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哲学・文学論など人文科学的話題を織り交ぜた日記・論文を断続的に掲載したいと思っています
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「古典」の世界について
酒を嗜むようになった今でも、いまだに好きなので、コンビニエンスストアやスーパーで、注意がいくことなのが、今の時代、炭酸系のドリンクの種類の多さというのは本当に大変なものがあります。ドリンク業界全体からいえば、それ自体で客観的な健康価値や健康効果を認められている健康系のミネラルウォーターや健康飲料も非常に多くなっていますが、そういう健康ブームとは別個に、栄養価的には糖質にしか過ぎないのに、炭酸飲料が売れ続けているというマーケットの現状があります。
  自分が好きで知っているからいえることですが、その種類の豊富さ、品質のレベルは、「本場」のアメリカに比べても、我が国の炭酸系ドリンクは、本当に相当なものであるということがいえるでしょう。日本の炭酸系ドリンクの種類の多さは、間違いなく世界一であるということができます。当然、商品の入れ替わりも毎年のように激しい。実に大変な競争です。 けれど、そういう目まぐるしい入れ替わりの中で、ほとんど「古典的」といってもいいくらい、昔から変わらないで売れている幾つかの種類の炭酸系ドリンクがあります。
  とあるテレビ評論家が出版不況を概括して「結局、出版では古典が一番儲かるんだよ」と実に正しいことを言っていました。つまり、一番儲かる出版方法というのは、厳密にいえば、古典をつくりだすという努力をする、ということになります。しかし、出版業の世界ではそのような努力をしているとはいえないでしょう。「古典」への距離が、あまりにも遠くにあるような気配が完全に支配している。「古典」の重要さは、食品販売の世界、炭酸飲料の世界でも全く同じです。しかし、こちらの世界においては、「古典」というものが、出版業よりもずっと身近で、努力すればそれを編み出すことができるという意欲がたいへん明瞭に残存している、というふうにみえます。
 コーラと出版物の世界を比較考察して、「古典」というものを共通して見出そうとすれば、相当な人に笑われるかもしれません。しかし、マーケットメカニズムの世界の中での私たちのイメージ的存在ということからすれば、両者に区別を設ける理由は少しも見当たりません。

  炭酸飲料の「古典」商品の一つにコカ・コーラがあります。炭酸系ドリンク系古典中の古典、筆頭格の古典、といっていいかもしれません。私はこのコカ・コーラが七歳のときから大好きで、真冬でも飲み続けたのですけれど、それだけの「古典」というとになると、日本の戦後の各時期に実に色々な象徴性を背負い込んでいます。世代的にも、私は70年代初め頃の生まれで、「ハンバーガーとコーラ」の時代、とそれ以前の世代から言われるような世代で、幼少の時からもうぜんぜん抵抗なくコーラを飲んでいて、自分の幼少時の頃の記憶の多くが、「コーラ」とともにあるような気さえするくらいです。これはコーラがアメリカ由来とかという史的考察とは少しも関係ないことです。
  戦後の一般大衆より一足早く、連合軍の捕虜収容所でコーラを飲まされた人たちの少なくない人達は「煎じ薬のような、ヒリヒリする、黒い甘い水」とその味を形容したそうです。美味しいものではなかったわけです。「美味しい」という言葉は分析的言語ではない、ということです。緑茶にはじめて出会った鎌倉時代の人間はお茶を「苦い緑色のお湯(水)」と思ったでしょうから。分析的言語でないからこそ、「美味しい」という感情的原理は私達の生き方を規定してくれます。
 嗜好品というものはどんなものでも、分析的言語を拒絶するものとして存在を許され、そして存在しはじめる。その先に、象徴性の確保の段階があります。象徴性を得た嗜好品ともなれば、もうどんな人でも、自分の人生の色々な場面を「そのものとともにあった」と説明したがります。私たちは「時代」というイメージを得るときに、嗜好品の象徴性と濃厚にある。それは近代においては特にあてはまる事象です。「古典=クラシックス」という言葉はそもそも、「正統派」という意味ですが、時間的・時代的正統性なものをつくりだすことに、書物の「古典」も、大衆的商品の「古典」も供される、というふうにいえるでしょう。

  「河」に関して、シーザーがルビコン河を渡りナポレオンがニーメン河を渡ったことに関して、「ルビコン」や「ニーメン」というふうな言葉を「河」と関係のない様々な場で使うように、私達は物質を象徴化し、その象徴化によって、文化の基本である比喩の基本を得つづけることができます。飲み食いするものに関しては、あまりにも身近なせいで、私達は膨大な人生の各段階での象徴化を、その対象に施しますが、気づかないでいることがたいへん多いといえます。この象徴化の意味作業が、ある意味で私たちのすべてだ、ということができます。
  いろんな場面で、私は「コーラ」をシンボリックに回想できます。言い換えれば、「コーラ」のおかげで、私は人生の幾つかの部分を確かに、回想することができる。
 たとえば、中学生の時の買い食いには必ずコーラの「晩酌」をつけました。あるいは「将来お金を稼ぐようになって何を最初に」という小学生教師の問いに「コーラ」といって爆笑された。その晩悔しくて、酒をコーラにまぜて、アルコール初体験をした、などなど。だからといって(味覚)以外で、何でコーラをそんなに飲んだの?という問いに、私はどうも答えられない。「ハンバーガーとコーラ」の時代という喩えが言おうとしている時代の軽々しさということとは別に、「ハンバーガーとコーラ」の時代と言われた私達の世代でさえ、そういう「象徴性」とともに「食」というものがあって、それが人生の意味を形成してきたのだ、ということです。

 こういう文化論的考察はジャンクフード的なものに群がる子供達を純粋に健康面から批判する言論ということとはまったく方向性を別にすることです。「食」の世界は大人になってしまった私達が考える以上に広い、ということは、そういう意味においていえることです。たとえ世界でもっとも客観的に健康に対応しない「荒れ果てた」食文化においても、「象徴性」と「比喩」の世界をつくりだしていく意味のプロセスを見出すことは可能でしょう。
 しかし、こうした文化論的なプロセスを基本において見据えても、現代の「食」文化のいたるところに、「古典」なるもの、というものが以前に比べてずっとその力を弱めてしまっているのはどうも事実のようです。コーラのような炭酸ドリンクのクラシクックスの生産は、商品が多くなればなるほど、少なくなる傾向に陥っています。私は書物・出版の世界と比べてみて、大衆的食品の世界の方がずっと、「古典」の力を保つ力が残っている、といいましたが、それは相対比較でいえることで、やはり、その「古典」力というものは、ずっと弱くなってきているのは事実なのです。
  もちろん、コーラは依然として売れ行きを維持しているけれど、コーラという「古典」と同じくらいの売れ行きを示す商品が一年や二年の範囲で猛烈な勢いであらわれては消えているという激化した競争の現状に加えて、いわゆるコンビニ文化で、いろんな食品が70年代や80年代に比べて信じられないくらい簡単に時間的・空間的に入手できるようになったことで、子供達はもはや、自分の人生の記憶と「食」を結びつけるということを失いつつある、ということです。「古典力」ということは、「軽さ」ということとは常に全面対決しなければならない宿命をもっています。大量生産と過剰競争という原理をそもそももっている資本主義の世界では、「古典」を生み出す、ということ自体が一種の背理なのですが、その背理の成立の微妙なバランスは崩壊に近くなっています。「古典の不在」という現象が、ドリンクの世界においても進行している、というふうな言い方ができるでしょう。
 
 「古典の不在」ということを、もう少し広げて考えてみましょう。
 たとえば数年前、サッカーの国際大会の場での、中国人サポーター達の、ものすごい乱暴な応援も仕方は多くの日本人の記憶に新しいことだと思います。まるでサッカー競技場が「戦場」になったかのような騒ぎです。ああいうやり方はもちろんとんでもないことであり、国際政治的には、厳重に抗議するべきことです。彼らが政治的力によって煽動されて、ああいう行動に走ったという非難な指摘も、まったく正しいと思います。
 しかし、私はあの狂乱を見つめながら、「競技に熱中する」とはどういうことなのか、ということを、ちょっと別の角度から考えていました。あのあまりにも乱暴なサポーターにとって、何かの「象徴」が、果たして、「競技」との間にあるのだろうか、ということです。つまり彼らがああなってしまうことについて、何かが存在論的に欠けているのです。
 あの世界は国技だ、国家的行事なのだ、と大真面目に彼ら中国人サポーターはいうかもしれません。「だから、私たちは戦争の一種だ」というふうに彼らは思い込んでいる。けれど、国技であり国家的行事と立派なことそのことのみで、「競技」の世界に没入することが果たしてできるのかどうか。「競技」というものは、競技自体の周囲に、もっと非常に俗的な、はっきり言ってレベルの低いことを伴うものなのではないか。だからこそ、私達は何気なく、人生のいろんな段階で、それを私たちは「楽しむ」ことができるのではないか。実は中国人サポーターの乱暴というのは、そうした俗的な象徴を見失ってしまっているからこそ、歯止めがきかないものになってしまったのではないか。そこに、「競技」の世界の様々な象徴性というものを見失っているからこそ、彼らは神聖な「競技」の場を「乱闘の場」と考えたのではないかという解釈を考えることができると私は思います。ゆえに、私たち日本人は、「だから、私たちは戦争とは違う神聖な場所だ」と考えている、というふうにいうことができて、中国人サポーターを非難できるわけです。
 時代はずっと以前、ずっと個人的なことへと遡ります。子供の頃の私は、阪神タイガースの小林繁投手がヒーローインタビューでコーラを呷るのをみて、阪神ファンでもないのに、それがどうしても忘れられなかった。「小林投手がコーラを飲むこと」が、自分が野球をやったり観戦したりすることの意味の一部になってきたわけです。裏返すと、「コーラ」が試合の最初から最後まで一本も視野に入ってこないと、私はその「不在」にひきつけられてしまい、どうしようもなく不自然な感じになってしまう。
 「コーラ」という一風景だけではありません。一見すると「競技」とは何も関係のないようなガムをプロ野球選手が噛む場面というのも、忘れられない。コーラやガムのような「食」だけではなく、勝敗には無縁のようなボールボーイの仕草、ベンチの中のバット置き場、そういう膨大な中間的現実の総合が、実は私たちの「野球」というものの意味を形成してきた。こうした「中間的現実」と言い換えてもいいようなものを見失うとき、中国人の暴力的サポーターのような、「勝敗」そのものしかないような世界に、「競技」の世界は転落してしまう。中国人サポーターの頭の中には、「コーラ」のような、象徴性の存在の世界、象徴性の不在の世界はおそらく全くないのです。

 すなわち中国人にとって、競技場の世界では「古典が不在」だということができる。象徴性を見失い、世界を象徴化する、ということが遂にできなくなったとき、人間は極度に「単純」になってしまう。中国人サポーターや現代のキレる日本の子供達は、単に、勝敗その他の対象に向きあっているだけであるように見えるように思われますが、それは膨大な情報量や知識量とはまったく関係なく、人間が「単純」になっていくことを意味します。
 この反対に「単純でない」スポーツのファンやサポーターというのは、余裕をもって競技そのものを観戦する人達のことをいいます。しかし、こうした「単純でない」「余裕」というものもまた、理想的な人間像といえるかどうかについては、実は相当に考えるべきところがあります。私たちにとって、大衆社会的な「競技」や「嗜好品」というものはいったい何なのか、それを抜きにして、「競技の古典」や「嗜好品の古典」を考えることはできない、ということです。
 パスカルの次の有名な言葉の中に、「競技」や「嗜好品」に熱をあげる人間の精神性の不思議が語られています。

 「・・・数ヶ月前・・・一人息子を不幸に失い、訴訟や争いごとでずたずたにうちひしがれ、つい今朝もがたもあんなにくよくよしていたあの男が、今ではもうそんなことを考えていないのは、いったいどうしたわけだろう。驚くことはない。猟犬どもが六時間も前からあんなに猛烈に追いかけている猪が、どこを通るだろうということを見るので頭がすっかりいっぱいになっているのだ。ただそれだけのことである。人間というものはどんなに悲しみで満ち溢れていても、もし人が彼を何か気を紛らわすことの引き込みに成功してくれさえすれば、その間だけは、不幸を考えないという幸福になれるものである」

  パスカルの言葉が私達をとらえるのは、「偽りの幸福」の中に私達はおくことで、多くのおそろしい不幸を考えないでいられる愚かな存在である、ということと同時に、その愚かさがいじらしい「強さ」でもある、ということを正確にとらえているからです。そしてその「愚かさ」と「強さ」を同時に可能にしているという「気を紛らわすこと」を決して安直に批判することはできない、ともいっているのだ、といえるでしょう。だから「偽りの不幸」という私の表現も、もしかしたら正しいものではないのかもしれません。「不幸」が偽りのものかどうかの判定者を私達は究極的にもたないからです。
  パスカルは「気を紛らわすこと」とはいったい何か、という問いを、深化させてはいません。なぜなら、パスカルの時代は、「気を紛らわすこと」が、明瞭に認識できるほどに、稀少なものだったからに他なりません。現代日本のような「気を紛らわすもの」だらけの時代というのは、パスカルにも想像つかないことだったといえましょう。
 たとえば、「気を紛らわすこと」というのは、自分が直面している不幸な事態とは全く無縁でなければならないことになります。しかし不幸を経験している人間の感性は異常に敏感ですから、対象の些細な変化を感じれば、たちまち、「気が紛れない」ということになってしまう。娯楽や気晴らしがすべて「気を紛らわすもの」になるとは限らないのです。

 「気を紛らわすこと」というのは、自己の在り方というものと、徹底的に関係性が希薄であることが求められるといっていいでしょう。そうしたナンセンス・無意味がゆえに、私達は「偽りの不幸」という精神の場に、不幸から気持ちの離れる自分を置くことができる。ここで、パスカルの言葉の狼と猪の喩えにあるように、他者の「競技」の世界に、もっとも典型的に現れる、といっていいでしょう。なぜならば,他人が存在を賭けているような場こそ、自分の不幸と最も縁遠いというふうな逆説が存在するからに他なりません。
 すると、プロ野球にせよ、国際競技にせよ、「競技場」の世界における、私たちにとっての「古典」の意味ということは・・・それはもしかしたら「コーラ」の世界も・・・私たちにとって「偽りの不幸」の場による、ということができてしまうのでしょうか?

 たとえば、オルテガの貴族主義的な保守主義をベースにおいて、日本の大衆社会化を批判する大衆批判論的保守主義の諸氏によれば、私がひいた、競技世界へのメディアを通じての熱中や、コーラのような軽食の文化などは、大衆社会化の最たるものであって、それが私達の「よく生きること」を貧しくしているのだ、という評価をされるでしょう。
 つまり「気を紛らわすこと」があらかじめいたるところに準備され、私達を「考えさせないように」「感じさせないように」している、それが高度化された大衆社会なのだ、というのが、これらの大衆批判論的保守派の言説です。しかしこうした大衆批判は、ある意味、あまりにも単純な見解だ、といわなければなりません。「気を紛らわすこと」がいっさい否定されて、それによって「濃密な時間」「本質的な時間」が人生的時間のいっさいに敷き詰められるかのように出現する、ということ自体は、コミュニズムのユートピア的人間観と同じく、人間性に関してフィクションです。私たちが「気を紛らわすこと」から解放されたときに、存立しうる理想的人間像がある、と考えれれるほどに私は過激な空想力をもちあわせてはいません。主体と対象の間になくてはならない象徴化ということの作業から離れてしまっている、というときに、私達はいつのまにか「気を紛らわすこと」に包囲されてしまっていることを感じなければならない、ということが問題だ考えるべきでしょう。「軽さ」そのものということと、「軽さを扱う精神的技術」を混同するべきではなく、後者は悪しきものではないのです。
  本当の「気を紛らわせること」はもしかしたら、ローマ時代のコロッセウムのように、限られた「暴力の場」ということを意味するのかも知れません。あるいは「食」ということならば、ローマ時代にも時折流行したという、私達の健康や存在と無関係な「暴食」ということになるのでしょうか。やはりそれもまた、限られた「暴力の場」といえるでしょう。つまり自分と世界のかかわりを希薄にしてくれるものだからこそ、暴食という「気を紛らわせるもの」として存在する。そして「気を紛らわす場」への渇望というのは、実は私達の深い「欲望」ということができると思います。「欲望」ならば、その限界点を見定め、それ以上大きくしないような歯止めが必要であり、限られた時間と場に閉じ込めておかなければならない、そう考えなければなりません。
 
  「気を紛らわせること」が「欲望」の一種であって、それを際限なく解放するという方向になぜ向かってしまったのか、ということを考えるならば、それは、不幸を直視する能力を失うように、不幸を直視することが苦痛であってその苦痛を減らすことが、まるで現代文明の一つの方向だ、というふうに考えたから、といえましょう。
 直視しなければならない最大のものは、自分の「死」という絶対的不条理ですが、「死」について考えないというために、様々な「気を紛らわすこと」を私達は発明のようにして、考えてきました。ハイデガー流にいえば、「墓」とか「葬式」すらが、それに該当する、ということさえもいえます。しかし、それをあくまで、ある程度の限定的なものにとどめるということを見失わないようにすることで、私達は「気を紛らわすこと」の際限のない氾濫に対して、それを制限し、防御的になることができてきたのだ、といえるでしょう。究極的に「気を紛らわす」ことをしてくれる「墓」や「葬式」が私達の理想であるという欲望に対して、私達は禁欲であらねばならないという最低線を、文明の原理とすることを忘れないできたから、です。
 「気を紛らわせること」を徹底して厳密に考えれば、死について哲学的に考察することだって、死という事象や行為そのものでないのだから、それも「気を紛らわせること」になってしまう可能性を避けて通ることはできません。死を直前に控えた人間の娯楽的な行為にしても、それは確かに、気を紛らわす行為、なのかもしれませんが、しかし、行為者の意識状態からして、本当に死を忘却しているとはいえないし、そのような行為が、逆に死を美しい行為としてより塗り替えるということさえあります。つまり私たちは、「気を紛らわせること」そのものについて、それが「必要毒」であるという認識が必要なのではないか、と思います。

 にもかかわらず、現代社会は・・・とりわけ日本において甚だしいように思えますが・・・それを果たして、限られた場にとどめている、という戒律をつくれているのかどうか。それどころでなく、社会全体をほぼ「気を紛らわせること」の世界にしてしまう、という欲望に従って、どんどん社会をデザイン化していっているのが現状である、といわなければならないでしょう。
 自分の子供の受験競争一つとっても、それが子供の自己実現という親の重大な目的であると同時に、死に物狂いの他者の「競技」への観察という、「気を紛らわすこと」の一種になってしまい、その関心のやり取りということが、「気を紛らわすこと」のやり取りになってしまうという袋小路が存在している、ということもいえるのです。子供の受験競争に真剣に直面した親ならば誰しもが一度は感じたことではないかと思うのですが、自分の子供と競争相手の子供の間の相対的な比較に、卑屈な感情を感じてしまう、これこそが実は私達が気づきにくい「気を紛らわすこと」の一つである、ということができるでしょう。古代の世界では、競技場の世界にとどめられていた「気を紛らわすこと」が、無制限に解禁されたのが、現代という時代なのです。
 「気を紛らわせること」がもはや能動的や選択的でなく、受動的で非選択的であるように、もしこの世界がなっているとしたら、私達はある種の底なし地獄にいる、という指摘が可能でしょう。「気を紛らわせること」についての「古典が不在」である、ということは、古典(正統派)が存在しない以上、非正統派も存在しなくなり、何もかもが等価値な「気を紛らわすこと」の洪水と反強制の中で、一生、「気を紛らわす場」を強制されて生きたら、悲劇も絶望も感じることができず、私達は生まれたときから死ぬことを、じっと待っているだけの存在に成り果てたことを意味するからです。おそらく大衆批判論的保守主義の諸氏は、この現象について大衆社会を批判しようとしているのに、おおざっぱに、「気を紛らわせること」そのものを批判する、というふうに批判の対象を取り違えてしまっているように、私には思われます。

パスカルが墓場から現代の日本によみがえったら、何というだろう、と私はふと考えます。99パーセントの日本人が、彼を何らかの「気を紛らわす場」で接待することを考えるでしょうから。数多くの「気を紛らわす場」の案内を繰り返される中で、「気を紛らわす場」の疲れを癒そうとするのもまた「気を紛らわす」場での時間であるということになるでしょう。おそらくパスカルは最後は「散歩」したいと言うに違いないと思います。しかし彼はそこで、本当の意味で「散歩」している人間が日本という国にいないことに唖然とするに違いありません。
 サルトルはかつてアメリカを初めて訪れたとき、「この国では出歩いている人はいるが散歩している人はいない」と言いました。つまり真底、ぼおっとしていることが許されない、ということです。この世界に不意に生まれて不意に死んでいくその自分を見つめるだけの、最高にすばらしくしかし最高におそろしい個人的時間を避けたいという「欲望」が支配する国、それがサルトルのみたアメリカという国だったわけですが、しかし私は日本中にあふれかえる薄っぺらな余暇や旅行ブームを見るにつけ、日本もまた「散歩している人間のいない」国に成り果ててしまったのではないだろうか、と思います。こうして散歩する気持ちにもなれなくなってしまったパスカルは、「パンセ」で述べた自分の言葉に、何かを付け加えることをしようと考えるのではないでしょうか。
  ここで一度確認しましょう。「気を紛らわせる場」というのはせいぜいのところにとどめておかなければならない。そうでないと、私達の人生の時間の大半が、気を紛らわせるという、つなぎの幸せの時間の維持に費やされてしまって、私達は死や虚無、様々な絶対的不幸に気づかないままいつのにか人生の黄昏を迎えるという、本当の不幸に出くわしてしまうことになります。具体的に言えば、「競技」を精緻に分析し、一瞬の勝敗をあやつる技術を論理的に語れる人が、「勝敗に負けて自殺することは悪か善か」という問題には答えられないに違いない。
 歴史学者の会田雄次は私達が言う「武士道」という意味は江戸時代という熟しきった平和な時代に再構成した「擬似武士道」であって、本当の武士道はもっとずっと生々しい、存在をかけたの血みどろの対決の中に、生涯数度くらい、ギリギリの状況で、ふとした形で現れるものである、といいましたが、同じようなことが、「競技」に浸りきっている私達にいえる。「気を紛らわせること」が、そのことそのものより遥かに醜い姿をみせるのは、「勝者」と「敗者」の間に起こる慇懃な礼儀のやり取りです。

 マンデヴィルは勝敗によって生じる、勝者と敗者の間に生じる様々な心理的交わりを残酷なほど分析し表現していますが、実はマンデヴィルが言おうとした「勝敗」の世界というのは、決してギリシア時代の闘争精神を磨く競争の場のことなどではない。「気を紛らわせる」場での「競技」という擬似「競争」の世界の、勝者と敗者の間に起こることなのです。そこには武士道や騎士道といった偉大な精神が生まれる余地は全くない。
 このことは進学高校に在籍した私には、実に痛切に理解される。その「競技」の場には驚くほどの数の驚くほど薄っぺらい擬似武士道や擬似騎士道が演じられていました。たとえば毎月不必要なほどに繰り返される試験の成績の上下の中で、(さすがに高校生ですから)「成績」や「知識」が私達の人間性そのものとほとんど関係ないことを認識していながら、あるいは受験そのものから時間的に遠ざかっている段階で、大学受験そのものとも関係がないと潜在的に認識していながら、私達は「気を紛らわせること」の競技場の中におかれていた、のですね。受験そのものとすら関係がないかもしれない「受験勉強」の地獄です。「こんなことがいったい何のためにあるの?」という問いを発することさえ許されないような、競技場の地獄絵図です。数十分もすれば忘れられてしまうような、勝者の敗者への謙遜(=擬似武士道)という日常絵図は、「気を紛らわせる」こと以上の何ものでもなかったと思います。教師や親や、様々な観衆まで含めた、壮大な「気を紛らわせる場」=競技場が、この国のいたるところに存在している。どうやらこのことが、わが国の根源的な病理の一つをつくっている(つくってきた)といえるでしょう。
 パスカルが「気を紛らわせる場」を不幸というのは、絶望や死や悲劇といった私達の「真実」から目をそらすから、であるということで、武士道や騎士道というのはそれらの「真実」に隣接してこそ迫真のものになるのですから、少なくとも、受験競争のような世界を「競争」という精神行為と叫ぶ誤謬だけはやめていただきたいものです。しかし受験社会の指導者面をした教師や、全力をかけて子供を追いやる親達は。それが「競争」という精神行為だと信じてやまないのですね。もしかしたら、「競技」の罪悪性の最たるものは「競争」の破壊にある、とさえいってよいものなのかもしれないと思います。
ニーチェは学者批判論の中で、文献を調べ、A氏とB氏の見解が存在しそれに大してイエスとノーのいずれかを言う繰り返しの中でしか「考える」ことが存在しなくなる、とし、「調べることは考えないことである」言いましたが、「調べる」ことを多少緩やかに解せば、これは現代の様々なレベルでの受験競争の中でもそのままいえることです。受験勉強は、とかく「調べる」ことに堕しやすい。受験生や受験社会での成功者というのは、実はニーチェが火を吐くように批判を向けた「学者」にびっくりするくらい酷似しています。「強者の道徳」を説くニーチェはギリシャ的な競争世界は正面きって肯定しましたが、現在の受験競争は、ニーチェ曰くの「強者」と正反対の人間を作りだす世界そのものとして、怒り狂って否定するに違いありません。そして根が深いなといつも脱力してしまうのは、あまりにも競争的なシンプルさの中におかれていたために、それから逸脱することのみがその人にとっての大事件であり、その人の精神的展開がそれでとまってしまう、ということですね。
 
 
「競技場の喩え」から、現代日本の病理をいちいち指摘していたら、それこそ夜が何回も明けてしまいますね。ここで「指摘」から「分解」に話を移しましょう。「気を紛らわせる場」がどうやって成立するのか、あるいは自分の中でどうやって成立してきたのか、ということです。再び冒頭のコーラの話に戻ると、子供であった私は、テレビの野球中継を観戦する度に、コーラを飲む選手をさがしていました。コーラはたまたま私がコーラであったので、他の何かを象徴としてさがしてした子供、友達も当然いました。
 つまらないタイプの大人は、テレビを熱心に観戦する度に「自分のことでもないのに何を熱心に見ているのか」といいます。こういう大人は、子供達が、選手の「事実性」を必死で乗り越えようとしていることを、全く理解できていない。野球スタジアムというのはテレビ中継である限り、いたるところに何かがある。音も含めて、試合の始まりから終わりまでの時間、いたるところのいたるものが満たされています。実存主義・現象学の言葉をかりれば「存在充実」ということなのですが、これが実際のスタジアムに行ってみると、私は「音」の一部である中継音の不在だけで、ぞっとしてしまうものを感じてしまいますね。しかし、テレビの中の「競技場」にそういうことはない。子供達はどの選手がどうこうという知識や評価には全く乏しいですから、とにかく野球帽やら持ち物(コーラ)やらで、画面の向こうの選手の圧倒的な事実性を乗り越えるように努力している。事実性を乗り越えることができると判断できた選手に対して、初めて、好き嫌いということが生じてくる。大人になってからファンになった人間は「どうしてあんな選手が?」といいますけれど、こういうことは、子供の頃の不思議なテレビ画面との交流の不思議さに気づかない。
  何から何まで満たされた「存在が充実していること」の世界が、自分の憧れの(事実性を乗り越えた)選手とともにある、という幸せな段階はまもなく崩れます。選手のスランプや欠場という「不在」が、存在充実の場を破壊する。破壊するようでいて、不在という選手の「自由」が、それを中心sにして、スタジアムという競技場を、彼の不在(自由)を中心に構成してしまう。私にとって、「不在」を気づかせるものは、「コーラ」という象徴性であったのですね。コーラを飲む選手というのは、毎日定まっているわけではない。しかし私のような子供は例外で、子供達はもっと一般的なもの、野球帽やバットというものを通して、もはや共有感覚といっていいものを選手に、チームに感じていく。かくして「選手の不在」という存在感は、何かより大きいものへの不在感(存在感)というものに発展していくことになる。私が「好きな選手」とか「好きなチーム」ができたのは、ずいぶん後のことになったのですが(もちろんジャイアンツではありません)こうした私の「初育不全」は、どうもこのコーラということがかかわっている、ということなのですね。
 「黒い甘い水」が私にとってただの「黒い甘い水」でなく、あるいは人それぞれに、「黒い甘い水」があって、事実性と象徴性の巧妙な操作の中で、たとえば、こういう「競技場」という「気を紛らわす場」が構成されるのですね。これは意外に色々な「競技場」に応用できる把握だと思います。子供を受験競争に駆り立てる親は、存在充実の場の只中に「子供」をおいて、その不在(存在感)にあたふたしつづける。「戦争」を実感できない「競技場」での演技と考える人間にとっては、空想的世界での自在な英雄の不在(存在感)が、彼の頭の中をよぎる。
 事実性と象徴性の操作や交換によって、その「競技場」が・・・つまりは「古典」という総合的な正統的意味が・・・成立していくのは言うまでもありません。そうした中で繰り返される「自由」のやり取りこそが、パスカル曰くの、「気を紛らわす場」のからくりだ、と私は言います。激しい「自由」のやり取りの果てに、「(あの選手)しょうがねーな」とか「(私の子供は)さすがあの大学に」とかいうふうにして、「自由」の争奪杯ということに、最後にほんのささやかでも勝利した言葉を言うことをしたい、というのが「気を紛らわす場」の、原理でもあり病理でもある、と思うのですね。ここで「地獄とは他人のことだ」というサルトルの言葉を想起するのは間違いではないですけれど、「地獄」をもう少し踏み込んで把握しようとすると、「地獄の中の小さな偽りの天国」なのです。「競技場」の喩えの中の、「気を紛らわす場」の勝敗というのは、結局、真実の勝敗とは縁もゆかりもないものですから、私達は最後は身勝手に、「自由」のやり取りを、自分の優位のうちに終わらせることができてしまうのです。この繰り返しが際限もなく続く様々な場に、私達は自分が置かれていることに、ある日ふと気づくことがあるのではないでしょうか。
  繰り返しになりますけど、私は「気を紛らわす場」そのものが悪いということを言いたいのではないのです。むしろそれは文化にとってもっとも必要な毒のような存在です。それは毒には変わらないのだから、味わくほどほどにしなければならず、毒としての認識も、解毒方法も心得ていなければならない、ということです。パスカルは「自分の惨めさを慰めてくれる唯一のものは気を紛らわすことであるが、しかしこれこそ私達の最も惨めさなのである」ということを、どこかで忘れないように、ということなのですね。この惨めさ、ということに気づかないことによって、私たちは「気を紛らわすこと」ということについての必要毒についての「古典」を喪失している、という現状があるのです。この「古典の喪失」ということが、今や、私たちの文化現象の全体に広がりつつあり、「必要毒」が「猛毒」になっている現象を私たちは見据えなければならないでしょう。











































































































































































































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「大人」と「子供」の世界について
 
  「法学とは大人の学問なのだから、子供っぽい質問は受け付けないものだ・・・」そういうとある評論家の文章を読んで、私は少々むかっときたと同時に、その文章で対立して使われている「大人」「子供」という言葉に対して、様々な思いを感じました。「大人」と「子供」の比喩、この両者の言葉ほど、私達が無意識的に、しかし両義的に使っている言葉はありません。

 大学院生から今に至るまで、私の周囲に実に多くの「法学兼哲学者」あるいは「政治学兼哲学」者がおります。これは私が大陸法、とりわけドイツ法の影響の強い世界と関係してきたせいもあるのでしょうが、ドイツ観念論を中心にしたドイツ哲学の世界を「近所」と思い、そして、自らの法学や政治学の専門を補強し、ある種美学的な色彩を与えるものとして、「哲学」という言葉の近くにいるのだ、という主張をしていたように思われます。

 しかし、「法学」や「政治学」が哲学と根源的に結びつくという前提に、多少なりとも両者を知っている(つもりの)私はまったく賛成いたしかねます。これはどうも法学・政治学の方の思い込みだけではなく、哲学の側からもそう思い込んでいる方がいるようです。つい最近も、私はある有名な哲学サイトの論文に、刑法学や民法学の因果関係論の蓄積が、哲学上の錯誤論に生かすものができるように思われる、というくだりを読んでいささか辟易としてしまいました。そこにあるのはある種の「教科書主義」です。民法と哲学の教科書主義の相互交流、ともいえましょう。よほど法学の現状を知らないまま、こういう主張を展開しているのです。
 「法とは何か」という問いが「人間とは何か」という問いという面において、やはり「人間とは何か」という問いと結びついている、というふうなことは、近代にさしかかったときに、法学の任務からはずれてしまっているのです。賢明な法学者の多くがそれを指摘しています。ドイツの法学者キルヒマンは、わずか数語の前提を失えば、法学はただちに崩壊し、裁判所の判例とその解釈しか残らない、といい、事実上の法学無用論を展開しました。これは法学に限らず経済学においてもそうなのですが、各学問の一般人、「法律人」や「経済人」というものの仮説から、法学や経済学はなかなか動かないようになっているのです。
 
 因果関係論ということでいえば、法学と哲学の違いとはこういうことです。たとえば法学でよく論じられる因果関係論というのは、「Aの過失で火災が発生した」というとき、原因と結果の間に、Aにどれくらいの責任を帰する必要があるのだろうか、ということが問題になります。Aの過失と火災の原因の間に結びつきがなければ、Aは無罪(無責任)になります。しかしこの議論自体がまったく「哲学的」ではないのです。
 まず第一に、「すべては起こりうるべくして起きた」という問いが、法学の因果関係では存在しません。Aの過失という行為の前提であるAの「意思」のあるなしの問題です。
 近代にさしかかるときに直面した哲学の大問題にして大難問が、「意思」が脳内のタンパク質の反応にすぎないかもしれないということ、つまり「自由」というものが人間にはないかもしれない、ということだったはずです。この大難問への危機感が近代哲学の始まりにもなりました。私達は自由に振舞っているようで、この自由がすべて、自然科学的に説明しつくされてしまうような「単なる必然」ではないだろうか、という衝撃的な疑いに、デカルト、ヒューム、カントたち近代の哲学者はひとしく従い、その難問に挑んだのです。
 つまりAの過失も、原因発生(火災)も、すべて起こりうるべくして起こった(のかもしれない)ということが哲学的な因果関係論である、ということになります。意識の自由と不自由について、そして意識とは何か、自由と不自由とは何か、について、それが「ない」ということまで含めて、延々と議論しなければなりません。しかし、法学の因果関係論というのは、Aの「意思」や「自由」ということは当然の前提として、その後の条件説(あれなくばこれなし、の立場。判例の見解)と相当因果関係説(事情の相当性を広範に考慮すべきという立場。学説の見解)についての図式的対立に、徹底して移行していくことになるわけです。「ない」ということも含めての議論と、「ある」ということを当然のこととしての議論では、どだい、話がまったく別世界なのです。
 もし「意思」を法学が完全に疑いはじめたらどうなるでしょう。法は国会・民衆の立法によって作成されるものですから、民衆の「意思」はないかもしれない、という議論に陥ります。民衆の意識のあるなしを議論する意思決定論というのが憲法学や政治学の分野でもあるにはありますが、しかし、そういう民衆意思論も、個々の意識の「自由」に遡行して議論するということまで至ることはありません。それはたちまち法学否定論、政治学否定論になってしまうからです。
 ここで私は再び「兼哲学」者という、私の周囲の気取っていっていた人間を思い出します。彼らはどうも、「哲学」という言葉を錯誤して使っていたというふうにしか思えなかった。法学者や政治学者であるということは、「法学」や「政治学」の定義が明瞭であるために、その言葉の意味するところは明確です。だからこそ、法学否定論や政治学否定論というものもまた明確であるということになります。いかに学問的に退屈でも、その学問の自己防御も明確になしうるのです。しかし「哲学」ということはそうはいえない。だからこそ「兼哲学」者、という曖昧な侵入を許すことも有り得てしまう、ということになります。

 「哲学は何か」という問いは、あまりにも壮大すぎる問いです。しかし少なくともここでいえることは、「哲学」は、いっさいの日常的事象を、「素手」で、徹底的に疑う、ということにあります。自分がぼんやりしていて、「自分」があることが不思議で不思議で仕方ない、そういう経験を子供のとき多くの人間が感じていると思います。自分だけではありません。「意思」についても、言葉で「そう思え」といったわけでもないのに自分の体が動く。これが不思議で不思議で仕方ない。「意思」「思う」「言葉」が不思議で不思議で仕方ない。
 これが哲学の永遠の出発点です。カントをはじめ、世界中の大哲学者はほとんどすべて「子供はみんな、哲学者である」ということは、そういうことを完全に正しく表現している言葉である、といえるでしょう。「子供はすべて、法学者である」という法学の諺が、果たしてどこに存在しているでしょうか?哲学は仮説や条件の了解をいっさいもたない無前提的なものなのです。「無前提とは何か」ということさえ考えうる世界である、といえましょう。だからこそ意外に無防備的であって、「兼哲学」者、という表現も許してしまうことがあるのです。にもかかわらず、近世ヨーロッパの文科系学問がかつてすべて、神学と哲学から生じたということ、ほとんど私達現代人が忘れてしまっていることだ、ということもできるのです。
  反面、キルヒマンの法学無用論を裏返せば、法学や政治学、あるいは経済学といった学問分野は、幾重もの仮説の了解によって成立しているのです。たとえばよく言われる例ですが、「鯨」は、経済学では、経済統計上(捕獲量)は「魚類」として扱われていますが、自然科学上は「哺乳類」です。しかしこのことで経済学が非本質的で自然科学が本質的・根源的であるのだ、という議論がただちに成立するわけではありません。

 しかし、この「仮説」「条件」の量が多すぎるとき、その学問分野が、虚構的な外見を有するということはいわなければならないように思われます。近代法学は、「疑ってならない仮説」「疑ってはならない条件」があまりにも多すぎるようにできあがっているのです。比喩としていうならば、この「仮説」「条件」が、「大人」なのです。
 たとえば「人権」のその由来を自然権的に考える立場(アングロサクソン的立場、日本の憲法学において多数説、護憲派に多い)と、法実証主義的に考える立場(ドイツ法的立場、日本では改憲派に比較的多い)が対立しています。しかし「人権」という仮説そのものを疑うことは、法学上許されないのです。ではたとえば、です。「宇宙人」という知的生命体が現れたとき、その「人権」はどうなるのでしょうか?あるいは地球の未知の世界に、人類とほとんど同じ知力をもっていて、しかし別系統に属する生命体が発見された「人権」はどうなるのでしょうか?
 私の問いは少しも馬鹿げていません。コロンブスやガマ、マゼランたちが近世、世界のあちこちに出かけて未知の世界に出会い、様々な人間たちに会ったとき、キリスト教世界の人々は、その未知なる人々が彼らの基準での「人」かどうか大騒ぎしました。現代人からすればまったく骨稽です。しかし彼らキリスト教文明の衝撃や論争は、おそろしく真剣でした。私がいいたいのは、そのときのキリスト教世界の依存していた「人」と、近代法学の「人権」は、「仮説」や「条件」に規定されて世界をみつめている、ということにおいて、同じものをもっている、ということです。両者が違うのは、前者は歴史上直面したやむをえないことであるのに対し、後者は、近代人が自らつくりだした世界の中にすすんで後退して世界を狭くみつめることで起きていることではないか、ということにあると思います。
  冒頭の「法学は大人の学問である」という苛立たしい言葉の中での「法学」という言葉を、私はそのように考えています。これは実証主義的な解釈ではなく、比喩の問題です。この喩えの中において「大人」は幾つもの「仮説」と「条件」の中におかれて、その中でしかものを見ることのできない存在、というふうにいえるでしょう。もちろん、キリスト教文明に賢者がいて、そして近代法学にも例外的な賢者がいるように、「仮説」「条件」に、意識的に身をおいている「賢い大人」がいる、ということもまた、間違いありません。そして「子供」とはこれらの比喩の中にある通り、無前提的にものをみることの出来る存在、というふうに「大人」に対置することが可能でしょう。「知」の世界において、「大人」と「子供」の意味は、そのように囲い込まれる言葉というべきなのでしょう。
 
 学問分野のアナロジーの比喩の世界から現実へと「大人」という言葉を少し近づけていってみましょう。
 私は「大人」という言葉を、「仮説」「条件」を背負って、無前提であることを忘却した存在である、というふうにいったんはとらえました。ハイデガーは「死」について、「葬式、墓、その他のくだくだしい形式に逃避する」という言葉を通じて、それらの形式を、存在論の根源である「死」の問題を忘却させるものとしていっている。言い換えれば「葬式、墓、その他のくだくだしい形式」というのは、非哲学的状況だ、ということです。子供は葬式や墓にも無知ですが、「死」に対しての存在論的関心は、大人の比べ物にならないものがある、ということ、すなわち、「子供」の比喩は、哲学にとってたいへんふさわしい、という公式がここで確認されます。
 しかし「子供」の比喩というのは、私達がそういうふうに思うとき、現実的には大人になっている私にとっての固定化された意味になってしまっている、ということはいえないでしょうか。たとえばサルトルは「自分のポケットには、労働以外の精神を純粋に見つけたことはなかった」という、左翼エリート気取りの言葉を、40過ぎになって臆面もなく吐いています。サルトルという人は政治的立場はまったく賛同できない人物ですが、哲学ということに関しては、疑いようもなく正真正銘の哲学者です。ではこのサルトルの気取りの言葉は、正真正銘の哲学者としての彼がいった「子供」の言葉なのでしょうか。私にはそうは思われません。
 私達は多少の努力をすれば、「子供」の視野の世界を知ることができる、というふうに思っています。しかし本当に懐疑的な思索的立場を採るのなら、こういうふうに思うことそのものに対しても懐疑的でなければならないのです。「大人」でも「子供」のいずれでもなく、「子供になりきったと思い込んでいる大人」になるとき、その人間の言説には「アダルト・チルドレン」の比喩がまったく妥当することになります。もちろん、「アダルト・チルドレン」を「子供っぽい行動をする大人」というふうにとらえることは、精神医学や心理学的には誤用ですが、私はその誤用を承知で、あえて比喩としての「アダルト・チルドレン」という言葉をここで使いたいと思います。
 
 サルトルの左翼気取りの言葉は、哲学的精神ということが左翼政治化したときに、アダルト・チルドレンの比喩へと転落した典型に他ならないでしょう。「仮説」「条件」から自由であれ、といいながら、それらから少しも自由でなく、しかし自由になったと思い込んでいること、それがアダルト・チルドレンの比喩にあてはまる人々であり、あるいはその思想ということになります。
 サルトルという人はコミュニズムを強力に主張しながら、一度も階級的労働に従事したことはありません。それ自体は少しも問題ではありません。しかし、従事したことがないのになぜ、「自分のポケットには、労働以外の精神を純粋に見つけたことはなかった」などということがいえるのでしょうか。子供でもないのに子供っぽくあってもいいというふうに、サルトルがどこかで決定的に誤解しているままだ、というふうにいえるでしょう。
 私のみるところ、二十世紀の左翼革命や平和主義の大半、近年はナショナリズムの主張の少なからずに至るまで、サルトルの気取った言葉の延長にしかすぎない「アダルト・チルドレン」の比喩から一歩も出ていないと考えなければならないでしょう。あるいはこの世界全体が、「アダルト・チルドレン」の比喩に満ち溢れた世界だ、と断じなければならない現状があります。ワイドショー文化の堕落的状況など、まったくそのことにあてはまるといわなければならないでしょう。こうして世界の文明論や教育論の大半が、「仮定」「条件」の復活、すなわち「大人」という意味の復活ということを一からやり直さなければならない段階にある、ということになってしまいます。多くの政策的正論が、まるで、法学や政治学の退屈さのようなものをもってしまうのは、やむをえないことだ、といわなければならないように私には思えます。
 しかし「大人」という言葉の比喩、意味合いということは、果たして「子供」とのアナロジーにおいて、否定的にとらえ続けられなければならないものであるのでしょうか?

 カントの「実践理性批判」で、彼が主張する有名な倫理法則に「嘘」論があります。この「嘘」論はカントの哲学の大きな欠点として言われることが多いのですが、要するにこういうことです。嘘は絶対についてはいけない。たとえば凶悪な政府に追いかけられた善良な人物が「かくまってくれ」と頼んできて、そののち、凶悪な政府の手先が家にやってきたとき「やつはいるのか?」ということをいったときでも、嘘をついてはならない、とカントはいうのです。もちろんこのカントの倫理法則は、キリスト教の戒律に由来しています。カントの言うとおりのことをしたら、歴史も現実も、私達の世界の人間的なるもののいっさいが崩壊してしまうのは明らかです。
 カントのいうことは明らかに異常です。しかし、「いかなるときでも偽証してはならない」というキリスト教の戒律について、子供のときに悩みぬいて、そののちいつのまにかその悩みを忘れていった、というクリスチャンの方は、実は案外多いのではないでしょうか。「いかなるときでも偽証してはならない」というキリスト教の戒律もまた、異常なのです。キリスト教の「嘘」の戒律の異常が照らし出されるのは、子供の徹底的な正直な精神によります。あえて、異常なることを守り通すべきだ、という信じられないことをいうカントは、「嘘」をめぐる倫理の不可思議さに、徹底して向き合って、その実質を炙り出しているのです。すなわちカントは「子供」の比喩がそのままあてはまるような正真正銘の哲学者だ、ということができるでしょう。
 しかしカントがそういう人間だったとしても、正真正銘の「子供」を貫くことのできない大多数の大人たちはどうすればいいのか、という問題は残ります。「子供のときはそういうふうに通過儀礼的に思えばいいのだけれども、大人になったらある程度の嘘をつけばいいのであり、聖書の戒律なんていうのはあくまでタテマエだと思えばいい」というふうに、聖書から「仮説」「条件」を切り離して、都合よく、キリスト教のエピソードに涙して、しかし生きている限りにおいて、何も戒律そのものの齟齬に悩まないからっぽな立場を選択するでしょう。これこそが「アダルト・チルドレン」的な対処そのものに他ならないのです。

 私はここで、我が国のある哲学者がその生涯を取りあげて論じた、イタリアのノーベル賞作家、ピランデルロについての話を考えます。ピランデルロは20世紀最大のイタリアの劇作家ですが、独裁政権であるムッソリーニ政権に協力し媚を売りながら、その創作活動を継続した、ということで、その「二枚舌」の巧みさを非難されたり、皮肉な褒められ方をされたりしている人物です。
 こうした月並みな批評というのは、たとえばスターリン体制下での凄まじい血みどろの弾圧下で、後世や西側世界にも確かな存在価値を残す作品を書いたショーロホフたちある時期のソビエト作家や、あるいはナチス占領下、創作活動を継続したヴィシー・フランスの知識人たちへの批評にもたいへんよくあらわれます。「彼らは二枚舌をつかって切り抜けたのだ」ということが非難や皮肉を伴うのは、取りも直さず、彼らが巧みに「嘘」をついた、つまり巧みに「悪」をなした、ということの前提があるからに他なりません。
 しかし、「二枚舌」「嘘」論は、ピランデルロの生涯を前にすれば、まったく意味をなさない議論なのです。実はピランデルロの夫人は、生涯を通して、すさまじい精神錯乱の病に取りつかれていて、ピランデルロ自身は、生活上、「もう一つの自分」を演じることで、夫婦の崩壊の危機を、彼の人生最後まで切り抜けた人物でもあるのです。彼の生涯の上でのこの継続的な事実の存在は、どれほど強調してもしすぎることはないというべきでしょう。そんな彼を「嘘」をついた人間、「悪」をなした人物、といわなければならないのでしょうか?
 ピランデルロが、カント的な「子供」でないことは明らかだというべきです。カントが20世紀にあったら、ピランデルロを非難したのは明らかです。しかしピランデルロの「嘘」は、一つの精神が犯した一つの犯罪的行為では断じてありません。そして私が本稿でいってきた「アダルト・チルドレン」の比喩にもまったく該当しない、といわなければならないでしょう。
 彼は、私が「大人」の比喩のときに述べた、「仮説」「条件」ということを、たっぷりと喰らっている人物です。結果としてなったピランデルロの「大人」の正体を暴くことは、どうにでもできることです。しかし、「大人」であることを演じることを生涯選択し、そしてその選択をしたことを謎として生き続けた彼の精神というのは、実はそれもまた、「大人」としか表現できない何か、なのではないでしょうか。

 ピランデルロがもし自分の二面的性格を正面からに反省して「一面的人間」になり、妻との離縁をしたりあるいは自殺や亡命を選択する「正直」を選んだとしたら、彼は私にはまったくの「アダルト・チルドレン」にしか思えません。自分の中に幾つもの「自分」があるかもしれない、というきわめて哲学的問いを知らない間に放棄して、「正直」さ、という上っ面だけの「子供」を選んだ気持ちになっているからに他なりません。「嘘」を安易に批判する大人というのは、大概、自分がもっている幾つもの自分、という本当の精神的闘争状態をまったく放棄しているものです。
  あるいは「悪」にぬるま湯的に溺れる、ということもまた、アダルト・チルドレンの比喩がふさわしい。「悪」や「大人」がきわめて強い誘惑的存在として迫ってきて、それを受け入れるかどうかというような段階においては、それは漫然と法学や政治学の専門主義者として型どおりの専門語を話し続けるだけの存在を選ぶことと同じで、何でもない存在なのです。
 カントならば、ピランデルロ的状況、あるいはショーロホフやヴィシー・フランスの知識人の状況に直面したら、いかなる言動を採るでしょうか。少なくともいえることは、「子供」は、存在の不条理そのものを懐疑する精神は有することはできても、存在の不条理を受け入れる精神の勇気を有することについては、「大人」に劣る、といわなければならないように思える、といえます。
 私達はここで「宿命」という言葉に耳を傾けなければならないでしょう。狂気の妻をもった夫として、そしておそらくファシズム体制下の知識人として生きることができた、そうした生きていく上での「仮説」「条件」は、惰性的な時間の彼方からやってくるものではありません。やむをえざるものとして、彼に襲いかかってきたのです。彼は「大人」にならざるをえなかった。子供の振りをした大人、というものがある反面、大人にならざるをえない大人、そういうものもまた、「大人」の世界にあるということは疑いようもない、ともいえます。
 「子供」の世界や比喩をいくら敬愛しても、大人になってしまった私達は結局は「子供」の世界に戻ることはできないのです。ある意味で虚構的人間そのものをつくり出す、時として「悪」そのものでさえある「仮説」「条件」を受け入れなければならない宿命を受け入れること、それが「子供」か「大人」か「アダルト・チルドレン」か、ということのさらに先にある「大人」の意識である、ということなのでしょう。たとえば世の中のいろんな不条理に直面して「無」になりたいとして毒物をあおるのは、私には単なる悪しき「子供」、すなわち「アダルト・チルドレン」にしか考えられません。大人という虚構的人間になるという「仮説」「条件」、さらに自分の中の謎、さらに悪を引き受けるという本当の意味での「大人」がそこにはまったく感じられないからですね。不条理だったら、不条理をこそ引き受けるのが、本当の「大人」だ、というふうに私は考えます。
 こうした主張に対し、世間的評価における「悪人」もまた時として「大人」なのか?という反論がただちに寄せられるに違いありません。然り、と私は答えます。世間で主張されている「子供」と「大人」の図式的倫理主義のほとんどは、子供が大人になるに連れて、悪人でないことを選択するようにつくられていく、ということを語っているにすぎません。私はこのような「悪人」論にはまったく組しません。私にしてみれば、「悪」とは、大人的世界に至る「仮定」「条件」の極限的な形態です。それをあえて受け入れる人間こそが、究極的な「大人」である、という可能性を、私達はどこかで保っていなければならないでしょう。
 聖書をひらくと、優れたリアリストであり、ひょっとしたらキリストとひとしい聖なるものをもっているやもしれない悪魔が、ついにはキリストに論理的に打ち負かされる場面が色々と出てきます。悪魔がなぜキリストに敗れるのか、それはよく考えてみると、非常に謎めいているように思えてきます。しかし、私がここで少し触れてきた「大人」と「子供」のアナロジーからすると、少々わかるような気もしてくるような気がします。悪魔が「軍団だ」というときがあります。「軍団」とは私には、個でない人間の、群れるだけの人間たち、というふうに聞こえる。あるいは悪魔はキリストの奇跡を試そうとする。悪魔にしてみれば奇跡が証明されるような精神なら受け入れ、奇跡が証明されないような精神ならば認めないという、数学公式的な世界観がある。実は不条理を受け入れようとはせず、そして矛盾するように聞こえるかもしれないのですが、「悪」を受け入れようとさえしないのが悪魔なのです。キリストは不条理のいっさいを受け入れて、そして一人の人間として、神の子であるにもかかわらず死ななければならない、そして「悪」の可能性でさえある神の言葉を受け入れようとする、私が考えるところの、真の「大人」なのではないでしょうか。そのアナロジーにおいて、悪魔が「アダルト・チルドレン」に過ぎない存在であることは、いうまでもありません。
 

「選ばれた読者」と「選ばれた民」?大江健三郎への一批判
 「選ばれた読者」と「選ばれた民」・・・大江健三郎への一批判

 最近、ちょっとした必要があって、だいぶ以前の江藤淳と大江健三郎の対談を目にすることがあった。読んだ対談は二回ぶん、一度目は1965年3月、二度目は1968年1月、掲載雑誌はいずれも「群像」である。
 このことは私がまったく知らなかったことなので驚いたことなのだが、この一度目の対談で、大江が長編「個人的な体験」を記すにあたり、世間に発表した小説の結末と、別の結末を記した小説を私家版として記したことがこの江藤・大江対談で明らかにされている。しかもその私家版の存在を、大江は、大手文芸誌「文芸」を通じて、堂々と世間に公表したというのである。
 「個人的な体験」は1964年に書かれた長編小説で、障害児(脳ヘルニア)の子供をもった若い大学講師が、その子を自分の人生的責任として引き受けていくまでの激しい精神的葛藤を描いた物語である。主人公は大江と同一人物ではないが、同時期、同じ境遇に直面した大江自身の倫理的問題が主題になっていることはさまざまに明白である。この小説は大江自身の文学的転換を意味するだけでなく、以後、大江の読者の中に、大江を一種の求道者として崇拝する風潮を呼び起こした作品であるともいえよう。脳ヘルニアの子供を引き受けるこの「個人的な体験」の最終部分については当時、三島由紀夫などにより、私小説的ではないか等、さまざまな批判がなされたのである。
  私はずっと、大江がその批判を耐えて克服したものだと勝手に思い込んでいた。だが、「求道者」的作家の大江は、この「個人的な体験」において、この脳ヘルニアの子が死んでしまったという別の小説的結末の私家版を執筆していたのである。私家版の小説を書く作家はもちろん少なくない。しかし、ある小説において、二つの結末を私家版において準備しさらにそれを世間に公表した作家というのを私は他に知らない。
 江藤はこの大江の所為を、「そこまで読み手の批評を気にして小説を書かなければならないのはどういうことか」と呆れるように批判している。

 (江藤)「ぼくのいっているのは結局きわめて素朴なことなんです。批評家でも編集者でもいいけれど、大江さんが編集者あるいは批評家を読者の代表としてお考えになるならば、そういうものは気にしないでお書きになったほうがいいといっている。気にしないで、書きたいことをこれ以外書けないというふうに書いてくだったほうが実はかえって読者に誠実なのだということをいっているだけです」
 (大江)「ぼくは自分が書きたいことはこれ以外に書けないということを確認したと書いているのですけれどね」

 江藤はもう一つの「個人的な体験」を大江が書いたということにこだわって、大江に対して執拗な疑問を次から次に投げかけるのであるが、大江の方は終始、このような「書きたいことを書いただけです」あるいは「小説的結末は重要ではないと思います」などと巧みに逃げをうって、結局のところ、この一度目の対談では江藤の追及をかわしてしまう。
 だが、この対談をよく読むと、その後の大江の文学的・政治的スタイルの根幹にかかわるような言葉を大江が言ってしまっている場面があるのだ。大江が江藤の執拗な追及にこらえきれなくなり、不用意にも「小説家にはまったく凡庸な批評家でないかぎり、好評、悪評をとわず、批評に答える必要があります」と宣言的にいい、「自分は不安だから、別の形の終わりを書いてみようと思ったのです」といったのち、江藤と次のようなやり取りをする。

 (江藤)「それは大江さんが頭がよすぎるからでしょう」
 (大江)「いや、批評家に対して誠実だからじゃないですか」
 (江藤)「批評家に対してそういう形で「誠実」になる必要がありますか」
 (大江)「ぼくは編集者と批評家をいちばん有能な読者、ふたつながら同じタイプの選ばれた読者というふうに考える。だからぼくは彼等に極力誠実であろうとしますけれどもね」
 (江藤)「それがぼくの不満の原因なんですよ」

  ここで大江は、自分が意識している「読者」が、いわゆる不特定多数の一般的読者ではなく、実は「選ばれた読者」を意味している、ということを言っている。しかもその読者すなわち批評家たちに対して自分は「誠実」である、というほとんど自惚れに近い自負を高言するのだ。「選ばれた読者」に対する過敏な意識こそが、大江にとって問題なのであろう。つまり、私家版の「個人的な体験」はこの「選ばれた読者」に向けて書かれたものにすぎない。このことは、大江という作家がもっている、不可思議な文学エリート主義とでもいうべき個性を示しているといえる。もちろん、江藤は最初から大江のそのような屈折したエリート主義の高慢を見透かしていて、もっと明瞭な形でそのことをこの対談で大江に言わせようとしたのである。
 それから3年後の両者の対談、すなわち私が読んだ二度目の対談では、江藤の追及は前回でずっと鋭利で顕わなものになり、それに感情的に大江が反駁して、終始、険悪な雰囲気の対話になっている。この3年の間に、大江は文学的執筆以外に、「ヒロシマ・ノート」の執筆により、政治色をきわめて鮮明にしたことにも注意しなければならないであろう。
  この二度目の対談において江藤の大江への再追及の手法は、この3年の間に書かれた「万延元年のフットボール」について、大江の小説の登場人物のほとんどが「鷹四」とか「密三郎」とか、きわめて奇怪な名前をもって登場させていることはなぜか、という問題を通じておこなわれる。こうした奇妙な名前の登場人物の問題は、確かに大江の作品のある時期からの一つの特徴で、大江の小説を読むときの入り口の妙な入りづらさを形成している。
 一度目の対談は大江の小説の結末をめぐる私家版の問題、二度目の対談は大江の小説の登場人物の名前のつけ方について、ということで、江藤が大江に対して論じようとするテーマは違うようにみえる。しかし江藤が追及することは一度目の対談と二度目の対談ではまったく同一のものに他ならない。江藤にしてみれば、前回、江藤が指摘し大江が不用意に口にしてしまった「選ばれた読者」の問題が解消されているどころか、より大江のエリート意識を助長するようにはたらいて大江のこの「万延元年のフットボール」が書かれたことが、ひどく不愉快なことだったに違いない。
  たとえば次のやり取りの場面。大江は前回の対談に引き続いて、再び江藤の繰り返しの追及にこらえきれなくなって本音をいってしまう。二人が使う「踏み絵」と「ハードル」という言葉に注意すべきであろう。

 (江藤)「小説家はあるいはそういうふうに書くかも知れない。しかし読者はそれを一ページから四百ページまで順に読むのです。そうすると、密三郎という踏絵が出てくるのでギョッとする。これは読む体験ということから考えれば、ハードルがある感じになる」
 (大江)「作家として傲慢といわれればそれまでですが、その程度のハードルは飛び越えてもらわないと作家としてはなにもできません」
 (江藤)「それが問題だと思う」

 「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えない限り、大江文学の読者は大江にとっての「選ばれた」人間にはなりえない、と大江は認めている。言い換えれば、大江の世界というのは、「選ばれた」人間によってのみ、ささえられているということになる。いうまでもなくここに認められるのは、とんでもない読者蔑視に他ならない。 
 よく知られているように、「飼育」で芥川賞を受賞した大江はもともと、サルトル張りの実存主義的感性の小説表現で戦後文壇に華々しくデビューした。瑞々しい少年的感受性と、奇妙な存在感に満ちたアンチ・ヒューマン的な世界設定が、もともとの大江文学の優れた持ち味である。もちろん、この初期の頃の大江の小説に、私家版の作成や、奇怪な名前の登場人物の創作ということは少しもみられない。大江の作風の変化は、デビューののち数年の中で実験的に開始した大胆な性表現に、政治的主題を押し込んで、その作品のせいで右翼の脅迫を招いた「セブンティーン」「政治少年死す」のあたりから急速に生じる。「叫び声」などの作品では、最初の頃の入りやすさはだいぶ消え去っており、事後的にみれば、「個人的な体験」の登場を予感させる。
 問題なのは大江の「選ばれた読者」という不可思議な文学エリート意識が、この大江の作風の変化と期を同じくして、大江の政治的方向性をも規定していることなのである。「読者」が「民衆」という言葉に置き換わるのである。江藤はこの対談で大胆にも大江に向かって直接、「あなたの創作方法はある閉鎖的操作で自分に味方する社会とそうでない社会にわけるんです」と言う。大江の作為が文学の次元に限定した行為であれば、「自分に味方する社会とそうでない社会にわける」ということの弊害は、せいぜい大江の文学のファンクラブをつくることにとどまったであろう。しかし政治的価値判断に敷衍してしまうとき、大江のこの意識は、極端に頑迷な政治的主張を解禁してしまうのである。
  ここで、「個人的な体験」と「万延元年のフットボール」の間に書かれた「ヒロシマ・ノート」という書を取りあげてみよう。
 「ヒロシマ・ノート」は、そのあまりにセンチメンタルな記述の連続に、かなり辟易とさせられるのであるが、「沖縄ノート」と異なり、被爆者への取材や反核政治集会への参加など、とりあえずはルポルタージュの体裁を整えている作品にはなっている。しかし、この書においても、大江の「選ばれた読者」への意識は、あちらこちらに充満している。「個人的な体験」の私家版を書いた大江と実はまったく同一なのである。
  いうまでもなく、第一義に大江が「選ばれた読者」として意識しているのは、この作品内部にあらわれる、悲惨な体験をした広島の被爆体験者たちである。彼らに対しての祈るような描写と思いいれは、多くの読者に、大江が純粋に広島の被爆の世界を描こうとしているのだ、と一読して感じさせそうになる。
  だが、「ヒロシマ・ノート」の中の、次のような実にいかがわしい表現を見逃すべきではない。

 「中国の核実験にあたって、それを、革命後、自力更生の歩みをつづけてきた中国の発展の頂点とみなし、核爆弾を、新しい誇りにみちた中国人のシムボルとみなす考え方がおこなわれている。僕もまたその観察と理論づけに組する。しかし、同時にそれはヒロシマを生き延びつづけているわれわれ日本人の名において、中国をふくむ、現在と将来の核兵器保有国すべてに、否定的シムボルとしての、広島の原爆を提示する態度、すなわち原爆後二十年の新しい日本人のナショナリズムの態度の確立を、緊急に必要とさせるものであろう。したがって広島の正統的な人間は、そのまま僕にとって、日本の新しいナショナリズムのシムボルをあらわすものなのである。    」

 この文章は、前半と後半で、まったく内容矛盾を来たしている。当時の中国は文化大革命のもっともひどい時期にさしかかっており、左派ジャーナリズムの偽宣伝が横行していたとしても、中国で何か重大な異常事態が進行しているらしいという情報は、大江にももたらされていたはずである。しかしその可能性を全く切り捨て、のみならず、核兵器保有を、「新しい中国人のシムボル」とみなす「観察と理論付け」に組する、と大江はいう。そして後半部分になると、同じ核兵器であっても、広島における核兵器の使用はマイナスであったということを、核保有国に対して主張し、新しい日本のナショナリズムとして主張しなけれならない、というのである。
  広島の被爆ナショナリズムのセンチメンタルな主張の貫徹のためには、単に、核保有国の中国を非難するか、文章上、あえて無視すればいいはずである。しかしあえてなぜこのようなくだりを付け加えるのか、といえば、大江は欲張って、「ヒロシマ」という「真実」に、もう一つ、「アジアの共感」という「真実」を盛り付けようとしているのである。「真実」は一つであればいいはずであるが、幾重にも「いい子」であろうとする大江は決して一つの「真実」では満足しないのである。
  言い換えれば、「中国」という「選ばれた読者」を想定して、彼は、「広島への祈り」をあえて修正してしまったのだ。このことは「個人的な体験」の私家版の作成とまったく同じ精神的地点より生じている。「編集者・批評家」だった「選ばれた読者」が、「選ばれた民衆」となって、「ヒロシマ」に、そして「中国」に姿を変えて、江藤がいう「自分に味方する世界」をつくりあげてしまっているのであるといわなければならないであろう。
 この「ヒロシマ・ノート」のしばらく後、「万延元年のフットボール」のさらに後にかかれた「沖縄ノート」では、大江の世界のメカニズムは、さらに露骨な形をとる。
  「沖縄ノート」はいろいろな謎に満ちた作品である。なぜ、取材もなしに、このような重要な主張をふくむルポルタージュの書が書けたのか?事実の根拠もないままの日本軍へのあまりに露骨な嫌悪と、意外なほどに軽視されているアメリカ軍の存在は、いったいどういうことなのだろうか?これほど日本軍への嫌悪をもちながら、なぜ彼は「沖縄」以外での日本軍のかつての実体を探求しようとはしないのか?
  しかし、これらの疑問への解答はそれほどむずかしくない。大江にとって、この「沖縄ノート」は、「個人的な体験」から「ヒロシマ・ノート」へ、そして「万延元年のフットボール」へと、江藤淳が危惧する方向へと大江が歩みを極め、それを完成した後の作品である。大江の最大の不安感はすでに解消されている。書が書かれるその都度において、「選ばれた読者」が誰であるかを見極め、それを満足できるように獲得できる術を獲得するということ。それが大江という人間の世界である。大江の民主主義の「民」とは、「個人的な体験」の私家版を書いたときに意識された、「選ばれた読者」の「読者」に他ならなかったのである。
  以下に二つの文章を例示しよう。一つ目の文章は「沖縄ノート」での驚くべき暴言の箇所である。
沖縄の地上戦とアウシュビッツ収容所を同一視し、「拉致」という物騒な言葉をつかう感性の持ち主が、その後、ノーベル文学賞を受賞したのは信じられないことである。二つ目の文章は、「ヒロシマ・ノート」や「沖縄ノート」から30年以上が経過したのち、21世紀になってから大江の「「ヒロシマの心」と想像力」と題された、これまた信じられないような空想的な政治的主張の講演録の一部である(「鎖国してはならない」所収)
  しかし、今まで論じてきたことを前提とすれば、実は両方の文章は特に驚くには値しないといえるだろう。大江が考える民主主義の「民」とは、リアルな民衆ではなくて、大江の世界の会員制の「民」だからである。かつて江藤が鋭く感じていた不快や危惧は、こうして完全な形で完成されてしまうにいたったのである。「踏み絵」あるいは「ハードル」を乗り越えてきた、大江の観念の中の「民」が、大江の暴言や空想を支持している。1960年代の何年かの営為で大江が獲得した方法論とは、そうした、果てしなく自己中心的な世界完結に他ならなかったのである。彼にとってみればあくまで「読者」が問題なのであって、リアルな「沖縄」や「広島」は、ある意味、二次的な存在の問題にすぎない。  

 ?「折が来たとみなして那覇空港に降りたった。旧守備隊長は、沖縄の青年たちに難詰されたし、渡嘉敷島に渡ろうとする埠頭では、沖縄のフェリイ・ボートから乗船を拒まれた。彼は実のところ、イスラエル法廷におけるアイヒマンのように、沖縄法廷で裁かれてしかるべきであったろうが、永年にわたって怒りを持続しながらも、穏やかな表現しかそれにあたえぬ沖縄の人々は拉致しはしなかったのである」

 ?「さらに日本政府があきらかにするできことは、朝鮮民主主義共和国のミサイル開発に加えてーそれが事実であるかどうか、決して軽率なことはいえませんがー核兵器の開発が疑われているいま、もっと切実な意思表示です。つまり、もし北朝鮮の核兵器ミサイルによる攻撃が日本に向けておこなわれる危機が現実のものとして浮上したとき、日本がアメリカの核兵器による北朝鮮への第一撃のみならず、第二撃の攻撃を要求しない、と声明することです。私はそれのみが、アジアの近未来の核状況において、日本が北朝鮮および中国から核攻撃を受ける可能性を縮小するもの、と考えます」

  私は戦後の左翼的作家の類型は二つに分けられると考える。一つは先年亡くなった小田実のように、現実の最先端にいて、いかなる間違いも認めず、「自分は正しいから正しいのだ」と最後までドンキ・ホーテを演じ続けることをアイデンティティとする惚稽な行動家。もう一つは10年ほど前に逝去するまで活躍した埴谷雄高のように、自分の左翼的思想信条に反するような資本主義・自由主義の現実を満喫し、多くの非政治的作家を育成しつつ、「永久革命者」という狡猾な造語により、自らの左翼的心情の温存もはかる老獪な理論家である。
  大江という人間は、その両方のいずれにもあてはまらない。彼の政治的信条には、惚稽さや老獪さといったある意味でとても人間的な匂いが、なにも感じられない。小田がもし、今進行している沖縄の問題に携わったらならば、もっと苦笑せざるをえない失言や醜態を演じて、間違ってはいるが、しかし戦後民主主義の人間喜劇の一つを演じたに違いない。また埴谷ならば、老獪に狡猾に、「沖縄」に深入りすることなく、しかし結果的には自分の好みの左翼的ポジションを確保しえたであろう。惚稽さも老獪さも、それが一般的な読者に対してひらかれることによって、広く、ある意味人間的な「反(アンティ)」を感じさせるのである。
  沖縄裁判の大江の言動に対して感じる「反」にはそれがない。彼の文学エリート臭と闘っているだけではないか、という徒労感のみが「反」の実体であるような気配を感じる。それは繰り返しになるけれども、「選ばれた読者」に対して、いつまでも「いい子」であろうとするだけであるからなのである。だが、彼の正体について、「個人的な体験」の季節の頃の江藤淳の指摘以来、再び明かすことのできる格好の機会である、ということもまたいえるに違いない。沖縄裁判という舞台は、大江という人間味のない政治的作家の晩節にふさわしいさまざまを、彼に演じることを強制していくことであろう。
「自殺」の世界について・再録
    「・・・私だって、自殺しようと思ったことは一度ならずあるわよ・・・」
      世間では連日、子供達(だけというわけではないのでしょうが)の自殺が様々に報道されています。各種ジャーナリズムは、例によってものものしい「危機感」を伴わせて、私達に事件を伝えようとしていますが、いったいどういうことが「危機」なのか、不明のまま、自殺報道は繰り返されているように思えます。もっとも新聞もとらずテレビも放送大学とアニメ以外は観ない私自身は、自宅でほとんどこれらに触れることなく、せいぜい喫茶店や居酒屋で、これらのニュースに触れています。そういうとき、それを伝える新聞やテレビを観ながら、間隙をつくかのように、同席していた女性や、お店のママさんが私の顔を覗き込んで、そんなショッキングなことを言う。「・・・私だって、自殺しようと思ったことは一度ならずはあるわよ・・・」これは全くの偶然なのですが、私にそういう告白をしてくる女性というのは、例外なく女性なのですね。
      彼女達は自殺報道を通じて流れてくる「自殺者」に対して、共感をしているのでしょうか。あるいは、「自殺をしたことがある」ということを通じて、ある種の自己表現を試みようとしているのでしょうか。いずれにしても、自殺を試みたことのない私にとっては、彼女達、告白者の実感的に謎である、としか言いようのないことがあります。しかし、だからこそ言いたいことなのですが、自殺が「死」への到達方法の一つであり、「死」が絶対的無である(可能性が高い)として、なぜ無への到達を急ぐことに「共感」できたり、その到達を「表現」しようとするのか、私には大いに疑問です。これは多くの文学者についてもいえることですが、自殺する人間は、自殺を決意した段階から、「死=無」に対する考察を停止し、考えないがゆえに、自殺という一般化された行為を選択決意できる、それがゆえに、自殺する行為を普通の行為と同様に、共感や表現の世界に持ち込むことができる、のではないでしょうか。しかし、死の世界を目的とする行為は明らかに他の行為とは違っている。死は回顧できないものである以上、経験とはいえないのですが、だとしたら、自殺を経験的に語れる人も、人類史上、皆無であって、自殺について回顧的に語れる人は、自殺未遂者でしかない、ということになります。そして、自殺未遂者が、「死」に対して、深い思索を有しているかどうかは、これは必ずしもそうとは言い切れない、といえましょう。 
       自殺という行為への考察は、幾重にも隠蔽の修辞学に囲まれている。たとえば、私の周囲の告白者から新聞テレビの自殺特集まで含めて、世間で語られる「自殺論」の多くが、「自殺原因論」にしかすぎない。「いじめ」は子供の自殺の原因の第一といっていいですが、女性にとっての自殺(自殺未遂)の原因は多岐にわたります。「失恋」、「相手異性の浮気」、「子育ての失敗」、「経済的失敗」、「君主や上司や教祖の後追い自殺」というものもある。ところが、「原因」は、それを語れば語るほど、「自殺」そのものからは遠ざかってしまうように思えます。たとえば、デュルケームは、自殺論の古典である「自殺論」で、実に見事な自殺原因論を展開し、自殺分析論の先駆をなしました。しかし、自殺についての考察の本質は、「いじめ」で自殺する人、「経済的失敗」で自殺する人、「君主の後追い」で自殺する人が、おなじく「自殺」という死の行為を選択する主観的普遍性の不思議さにこそ、見出されなくてはならない、といえましょう。「いじめ」と自殺率の間の因果関係が証明されたとしても、「いじめ」を受けた人物が、他の異常行為でなくなぜ自殺を選択したのか、ということは、自殺原因論は、説明はしてくれません。一例をあげればデュルケームは、未開社会では自殺があったのかどうか、という非常に興味深い主題が、非常に精緻に展開されていますが(未開社会部落でも自殺は存在していたと考えられます)それは自殺原因論を自殺歴史論へずらしたのであって、自殺の本質を考察しようとする手がかり以上のものを与えてくれるようには思えません。私達の日常は、デュルケームのような徹底的な水準には到底及ばないような、実に低い次元の「自殺原因論」を語る社会学者的おしゃべりが多すぎる、といえましょう。
       稀に、生々しい話が語られるのを聞くこともあります。「行為」としての自殺が語られるときですね。「告白者」の中にも、自殺行為の只中にいた自分を、克明に私の前で言葉で再現しようとしてくれる女性もいました。しかしこの場合も、やはり「自殺」について語っている、ということにはならない。「行為」としての自殺を語りながら、その行為が目的とする「死」をどれほど内包しているかを語ることは、ほとんどないからです。当然のことで、「死=無」を意識すればするほど、自殺行為に巨大な迷いが現れてしまうのが論理必然であるから、ですね。多くの批評家が指摘するように、三島由紀夫ほどの意識家でも(あるいは意識家であるからこそ)自殺を決意したと思われるあたりから、「自殺行為」しか語らないようなロジックを選択している。三島由紀夫には、クーデターに失敗した青年将校の自殺切腹の晩を克明に描いた「憂国」という謎めいた短編小説がありますが、この小説を三島が最後まで自分の代表作と考えていたことは、非常によく理解できる気がする。つまり三島は、「自殺」の問題を、「形式」に徹底的にとじこめることによって、自殺行為を、「死」の哲学的思索からも、「自殺原因論」の社会学的分析からも、保護したのだ、ということがいえるのではないでしょうか。三島の論理的知性は、「死」についての延々とした哲学的思索に拘泥するほど愚かではない、という裏返しのロジックをあえて徹底したのではないでしょうか。しかし「自殺」は果たして「形式」なのでしょうか。
       ブルーノ・ガンツがヒトラーを演ずる「ヒトラー最期の12日間」という映画を最近観ましたが、ギリギリに追い詰められていくヒトラーの自殺の企てと実行は、三島の自殺と比較すると、なかなか興味深い視点が見えてくる。自殺を決意するヒトラーは、軍医を呼んで、自殺方法について、冷静に検討するのですが、ヒトラーにとって自殺はあくまで、死の段階に到達する「手段」にしか過ぎない。「手段」として考えれば、切腹行為というのは非常に不確実な行為で、「死」に到達するまでの苦痛はもちろんのこと、時間的経緯も様々で、うまくいかない場合、数日間存命してしまう可能性もあります。つまり切腹行為というのは「形式」なのですが、ヒトラーにとっては、自殺行為については、三島のような関心をほとんど払っていない。
       ヒトラーはピストルを自分の頭蓋骨に撃ち込むことと、青酸カリを飲むことを併用し「自殺」を確実なものにしようと考えるのですが、ピストルが単に頭蓋骨を傷つけるだけで終わってしまう可能性がある、と軍医に言われて、「一秒」早く、青酸カリを煽り、その窒息死をより確実化するためのピストル発射、という軍医の推薦する組みあわせをうけいれます。このヒトラーの「手段」としての自殺行為の把握は、自殺を「形式」に閉じ込めた三島由紀夫の厳しい論理性、意識性とは全く別の意味で、論理的であり、意識的である、ということができる。映画は巧みに、自殺の日に日一日と近づくヒトラーを、少しずつ死に化粧させていくのですが、ヒトラーは、側近の中で唯一といっていいほど正気の人物であるシュペーアに、「永遠の安らぎに自分は逃げこむ」と宣言しますが、自殺を形式でなく手段として冷徹に感受しつくすところに、自殺行為の目的である「死」の存在が重くのしかかる、という精神力学が作用している気配がある。どんな形であれ(ヒトラーの言葉のレベルでの「死」論であっても)「死」とは何か、という考えを背負いながら自殺行為に向かう、ということが「自殺」の本質ではないか、ということを考える私にとっては、ヒトラーの自殺の方に(もっとも映画の中のヒトラーですが)思索性を感じることができます。あるいは、自殺における形式論の非思索性を提示している、ということもできる。「哲学的思索とは、死への準備に他ならない」というプラトンの言葉に従えば、「死とは何か」という問いを避けている「自殺」は、全く思索的でないといわざるをえないからです。比べて三島由紀夫の自殺には、形式性の中にある美意識の問題は激しく提示するけれど、「自殺」そのものの世界を考察することからは遠ざかるものだ、といわなければならないのではないでしょう。「形式」論ということも、私達が陥りやすい自殺論の誤謬の一つではないか、と私は思います。自殺の世界において、「形式」と「死」はどこか、対立しているように、私には思われます。
      三島由紀夫とヒトラーの自殺の比較における「形式」と「死」の対置を考えるとき、私がいつも思い浮かべるのは、カントの「判断力批判」における美と崇高の問題ですね。例によって、カントの世界での「美」と「崇高」は、私達が使う日常語の美と崇高の意味とはだいぶ異なっています。美も崇高も、美的な快感を与えるというという意味では同一ですが、両者を「形式」という点で境界線が引ける、とカントは指摘します。たとえば「宇宙の無限」というものを意識したときの私達が直面する感情は、美的判断力に属することだとはいっても、「美」に属する感情でなく、「崇高」に属する感情ということになる。「宇宙の無限」というものが私に与える美的な快感というのは「形式」を有していないからですね。あるいはたとえば、「情熱」という感情も「崇高」に属する美的判断力であるといえましょう。
      「崇高」の世界は更に広がりを見せる。「無感動」も、「崇高」に属するものだとされのですね。蕩尽や怠惰の中で私達は何かに足をすくわれるように次第に無感動になっていってしまうけれども、これも、形式をもたないものから受ける美的感情の一種だといえるのです。このことから、ラカンは、性的蕩尽を繰り返すサドの背徳文学の世界の「無感動」と、一見するとサドとは全く正反対の思想家と思われがちなカントの「崇高」の酷似性を指摘しています。私達が「美」と「崇高」を混同しがちである、ということ以上に、「崇高」が非常に広い美的感情にかかわっていることを気づかせることにカントの美学論の面白さがあるのですが、これを自殺論の世界に私なりに応用すると、こういうことになります。
       三島由紀夫はよく、「美」については語り尽くすけれども、実は「美しいもの」についてしか語っておらず、美的判断力については無頓着な作家だ、と言われますが、私に言わせると、そういうそうはいえない。三島は、それらについて、意識的だったがゆえに、自殺から、死という「崇高」を綺麗に捨象し、「美」という形式を確立しようとした、ということがいえるように私には思えます。そしてラカンの指摘に従えば、サドを礼賛していた三島には、根本的な陥穽がある、ということにもなる。サドの追及した性的蕩尽の果ての無感動や死の世界は、「崇高」に属する美的判断力の世界であり、「崇高」から絶えず美的形式を見出そうとした三島は、サドとはとうてい相容れない思想家だったといわざるをえないことになるでしょう。三島にとっては、「死」のあまりの不定形、不確かさ一般には、耐え切れない。「死」に「形式」を与える、ということになれば、自殺の世界を選択することは、三島にとって、実に論理必然だった、ということになるでしょう。しかし「自殺」の本質を(あるいは「死」の本質は)「美」の問題としてとらえた途端、思索は止まってしまうと思われます。にもかかわらず、三島の「自殺」への追求は執拗で、病的なものでさえあります。それは実は、三島が、自殺における「美」を追求すればするほど、思索性の欠如に意識的にならざるをえない背理に苦しんでいたことを示すのではないでしょうか。「崇高」は否定的感情も含みますが、自殺はどこかに否定的感情を伴うものであり、それを、あえて、「美」という否定的感情を含まない世界に閉じ込めようとしたところに、三島の自殺論の苦しさがある、と私には思われます。三島はあえて、自殺を思索から距離を置かせることにより、自殺を「美」として完成させることに、創作と行動のエネルギーを注いだといえましょう。
     自殺という行為は、そもそも、思索的行為とは距離をおかなければ、行為として決断実行することは難しいものなのでしょう。ニーチェは、行動というものは、それが過激なものであればあるほど、幻覚という秘密のヴェールによって、自分自身に虚構を築かなければならない面があるといいましたが、これは、三島由紀夫の自殺への行動論と大体一致するといえるでしょう。では、いったい何に対する虚構なのでしょうか。
     サルトルは「高らかな精神をもって処刑台に望もうとした人間が不意にスペイン風邪で死んでしまうことに、いつまでも私達の不条理はある」といいましたが、サルトルが言いたいのは、自殺者も非自殺者にも(殺人者にも非殺人者にも、英雄に凡人にも、善人にも悪人にも)「死=永遠の虚無」が等しく訪れるという不条理の方が、自殺そのものよりも遥かに大きな不条理を私にもたらす、と考えるべきだ、ということですね。その不条理は、カントの美的判断力論からすれば、「崇高」の問題である、ということができるでしょう。しかし、自殺行為というのは、どんな形であれ、その瞬間に誘われるときは「高らかな精神」をもって臨むものです。そのことを熟知していたショーペンハウアーは、自殺自体には否定的な見解を言いながら、自殺を決意した人間の激しい意志について考察を張り巡らしましたが、「高らかな精神」にせよ「自殺しようとする意志」にせよ、その行為は、同時に、あるいは少なくとも潜在的に、「死」の絶対的不条理を破壊しようとします。「死」という「崇高」に属さざるを得ない世界は、決して、「美」によっては救い出されない。しかし、こうした精神的行為の幻影によって救い出される、という逆説が存在する。ここにおいて、自殺が、ある種の「宗教性」を帯びる、という奇妙なロジックが現れてきます。
      「自殺」が「宗教的」ということはどういうことでしょうか。「宗教は阿片だ」(マルクス)という息苦しい俗説を言う人間は、死の不条理を覆い隠すために、私達は来世を、あるいは宗教的世界を虚構したのだ、と遠大な観念的議論を言うのかもしれないですが、「自殺」の世界の宗教性は、そのようなレベルでとらえられるものではありません。「殉教」という行為は自殺とは根本的に相違しますが、しかし、死の自覚的選択という面においては、類似していないとはいえない。キリストは「キリストの死」という殉教行為を置き、死の不条理を拒絶している。これは教義上、天国があるとか死後の世界があるとかということとは、区別されるものです。キリスト教の言葉の世界は、キリストの殉教行為という、特殊化された「死」によって、何ものかに変えさせるような観念のメカニズムを有しています。死はキリストにとって一種の行為であり、それは思想の実践でもあった、ということになる。もちろんキリストの死は、死に関しての思索性をもっているものではありません。しかし、その自覚的な死の世界への選択は、「死=無」の不条理を、いまやその多くが形骸化している宗教などよりよほど確実に覆い隠し、死から救済されようとしてしまうのです。人類史は様々な自殺教団を有してきました。また、キリスト教を筆頭に、その原始的教義には、自殺を禁止する文言は見当たらないのに、自殺禁止を教団が付け加えるのは、「自殺」が実は、自己の宗教教義をおびやかす最大の宗教行為になりうる可能性を知悉しているからだ、といえます。もちろん、特別な死に方、存在の消滅をしたからといって、私達の存在が「救済」される、という保障は、どこにもありません。しかし、この不明性は、「救われないという保障もない」という論理に裏返ってしまうことにもなるといえます。
       たとえば太宰治たち無頼派作家には、繰り返し、自殺をテーマにする作品が登場し、そして作者である彼ら自身も自殺を試みています。しかし、彼らの「自殺」には、何か「自殺」の本質と離れたヒューマニズムめいたものが強烈に感じられる。典型例として太宰をあげてみると、太宰文学の愛好者の大半にとって、太宰の数度の自殺未遂と最後の自殺を、太宰の「残酷」さと位置づける人はほとんどいないのではないでしょうか。太宰にとっては、自殺行為は、一種の救済行為だった、と考える人物が私の周囲の太宰ファンには多かったといえます。弱さ、優しさがゆえに彼は自殺した、ということですが、果たして、「弱い」人間「優しい人間」が、自殺を繰りかえし試みることができるのでしょうか。やはり太宰は、自殺することによって、自分の死を何ものかに変えてしまう力を信じていたのではないでしょうか。彼が、キリストに親近感を抱いていたのは、決して矛盾していることではありません。太宰たちがキリストから学んだのは、キリスト教的な天国の信仰などではなく、その死により、死の不条理から、「キリストの死」が何かの逸脱を成し遂げた、ということなのでは。だから、太宰たちは、死にたがるのです。執拗に、「死=無」を、自殺行為によって、絶対的不条理から救い出そうとするのです。ゆえに、太宰ファンの多くは、彼の死に大きな共感をおぼえ、宗教的なほどに彼を崇拝する、文学青年の一群を創造するのでしょう。
       実のところ、彼は自殺を「形式」に閉じ込めた三島由紀夫よりも、よほど「死」そのものを最後まで卒直に見つめていたかもしれません。なぜならば、太宰は、「死」の世界を明らかに、「崇高」の美的判断力で把握しているように見える。三島ほどの意識家でも論理家でもない太宰には、死を「崇高」から「美」へと救い出す作為など、思いもよらないことだったでしょう。三島の自殺には、政治的な暗喩や意思はふんだんに存在しているようにみえますが、それは解釈が可能な「形式」だから、ということでしょう。そこには、太宰の自殺のような「宗教性」というものは、ほとんど考えられません。三島由紀夫の自殺に感動した純情なナショナリストの青年が、彼への尊敬的な感情から、テロリズムの事件を起こした例は幾つかありますが、おそらくその青年達にも、三島の自殺に、同意することはあっても、その「形式」に近寄ることはできていないように思われます。太宰治の自殺は、つかみどころがないように見えて、実に近寄りやすい。私は三島の自殺よりも、太宰の自殺の方に、思索的な可能性というものを感じますが、太宰の自殺が非論理的で、非形式的であるから、つまり、「崇高」に近い自殺を試みて、それを成し遂げた作家だから、ということなのではないでしょうか。共感を得やすい自殺、というのは、美と崇高の美的判断力で死をとらえたときの「崇高」によって、「死」を広い感情でカバーしていることによって生じるといえましょう。
       しかしそのことは、太宰的「自殺」に疑問や矛盾を感じないということではありません。太宰がキリスト「死」に憧れていたとしても、物語的に整然としているキリストの死に比べて、太宰の死(自殺)は、疑問と矛盾だらけのものだ、といわざるを得ないといわなければなりません。大体、自殺が殉教的行為ならば、なぜ、何度となく他人を巻き込もうとする(心中)するのでしょうか。集団自殺や心中も自殺には変わりありませんが、自殺をどうしてもしようとする人間がたまたま同意してその場で一緒に自殺するのか、それとも、自殺行為の瞬間の不安や恐怖に耐えられなくて自殺同行者を誘うのかで、自殺行為の意味するところも、全然異なったものになりますが、私には何回も自殺同行者を求める太宰の自殺はどうしても後者にしか感じられない。実は、死という「崇高」の感情の世界に足をすくわれていた太宰には、自殺行為を独立したものとして考える視点が逆に欠如していたのではないでしょうか。矛盾した言い方ですが、太宰は「自殺しようとしたのではなくて、死にたがろうとした行為を選択した」というふうに、私には思えます。太宰とキリストの違いは、「弱さ」のあるなしである、というふうにいえると私は思います。だから太宰の死は宗教性を帯びているように見えるけれど、結果的に、宗教的になっているとはいえない、と言わざるを得ないように思えます。
       ドストエフスキーは自殺者の宗教性の考察と把握について、太宰よりも遥かに抜きん出ている。たとえば、「悪霊」の中に登場するきわめて思考実験的な自殺者であるキリーロフは、「神が存在しないならば、私自身が神だ」という有名な人神論を展開します。・・・もし神が存在するならば、自分の意思を含めた森羅万象はすべて神の意志に隷属し、その意志に反して自分は何もできない。しかしもし神がいないのならば、いっさいは僕ら自身に属することになる。自分にとっての何もかもが根源的に自由になってしまう・・・これはあまりにも恐ろしいことだけれども、キリーロフはそれを論理的に受け入れようとする奇怪な人物です。「悪霊」を読んでいて、キリーロフという人間は、人物として確かに動いていますけれど、どこかある一点において、表情がいつまでたっても見えてこないという、不思議な印象に、いつまでたっても付きまとわれる。それは、キリーロフが、神であろうとする論理に従って世間の事象をとらえようとしているからで、彼が人神論の論理に忠実に従う「論理的」人物であることがが私達をいろいろな錯覚に誘導するのだ、といえます。そして、やがて、彼の「論理的」世界は、論理的自殺を彼に導こうとする。
      「論理的自殺」が、なぜ、「神になった自分」にとって必然的行為なのでしょうか。人神キリーロフは、友人スタブローギンの「君はあの世の永遠の生命を信じるのか?」という質問に対し、「いや、来世での永遠の生命など信じない。僕はこの世での永遠の生命を信じているのさ・・・そういう不思議な瞬間がある・・・」という奇怪な言葉を口にします。つまり、「自分が神になってしまったという感覚=すべてが許されるという感覚」は、もはや死後の自分が存在しえないということを前提とした、この地上のみでの、一人一人の人神が集う「永遠の生命の王国」を作り出さなければならない、ということを意味します。「地上での永遠の生命」というキリーロフの妄想は矛盾していますけれど、しかしそれは、キリストがかつて口にした、「来世での永遠の生命」と同じくらい矛盾した言葉であり、それを口にしなければ、自分自身が神になる、という人神論の世界は、とうてい成立しない。言い換えれば、「死=無」の不条理を忘れさせ続けたキリストの「来世での永遠の生命」と同じものを、キリーロフは語らなければならない。これが人神論のロジックなのですが、キリーロフは、その人神論から、さらに、自分の自殺を論理的に導き出そうとします。なぜ「神」になった自分が自殺しなければならないのか。それはさらに謎めいた論理のようにみえますが、よく読みこめば、決してそうではないように思われます。カミュが指摘したように、キリーロフは実は「隣人愛」のために自殺をするのです。
      キリーロフは死を完全な虚無と考えています。虚無にもかかわらず、なぜ「隣人愛」が説かれなければならないのか。それは「地上の永遠の生命の王国」を創造するためなのです。彼は自殺のピストルを握り締めたとき、「自分のピストル音が、一人一人を皇帝にし、究極的革命に導くことになるだろう」と言い残します。キリーロフにとっては、キリストと逆さまの行為を選択しなければ、人神論が破綻してしまうことになる。キリストは来世を説きながら、この世を去っていった。しかしキリーロフはキリストが「天国の入り口にたって、自分が天国に入る資格のないことを知らされた」という光景を夢想します。「来世の王国」は破綻したのですね。ならば、「地上の永遠の生命の王国」は、完全な虚無である来世に自分がしっかりと入ることで、実は逆さまに証明されるのではないか。つまり、現世と来世は、時間的に逆で、私達は、死後、虚無に回帰してしまうのだけれど、来世=無に進んで自分が進むことが、人神たちが集うこの世界の永遠を証しするのだ、かくして、「自分自身が神になれる」ということの証が、自殺という「論理的行為」だ、ということになるのですね。
       そこには、極限化された自殺行為の宗教性というものが提示されているといっていいでしょう。「自由」の問題が不可避的に自殺の可能性を提示し、それは宗教性を帯びた行為として成立する、という裏返しの論理的行為を、キリーロフは示そうとしているように、私には思えます。死が虚無だから、私達は死をおそれ自殺をおそれる、というコモンセンスも、キリーロフのロジックでは完全に逆転されてしまっています。「死=無」であることが、自殺の回避理由でなく、自殺と分かちがたく結びつくことになるのですね。そして、「死」が「崇高」の混沌から救い出される。人神である自分が自殺することによって、死は非平等化され、私達は「善人にも悪人にも等しく訪れる」死の不条理から救い出される、ということになる。
  キリーロフについて語っていると、私自身が引き込まれ、まるでキリーロフが実在の人物であるかのような錯覚に陥ってしまいます(笑)しかし、キリーロフ的自殺は、決して、小説内部の妄想ではないように私には思えます。キリーロフ的自殺を、「原因論」にすっかり覆い隠されてしまっている、現代人の自殺を想起して考えてみましょう。自殺行為を精神的行為と考えて自殺する人間が、「死」をどのように考えているかは、自殺を回顧するという行為が厳密にはありえない以上、何ともいえないですが、もし稀少であっても、死後の世界を完全な虚無と認識し、なおかつ、自殺に精神的救済という宗教性を求めるのならば、自殺する人間がいたのならば、キリーロフのロジックと同じものを採用するのではないでしょうか。「人神論」はキリスト教徒にとってはおそるべきロジックですが、他の宗教風土や無神論的世界の住人にとっては、必ずしも採用しえないロジックではありません。「宗教的自殺」と「論理的自殺」はここにおいて、奇妙な一致を見ることがあるように、私には思われます。「なぜ自殺するのか」は私の関心外ですが、「自殺とは何か」という問いに関してならば、私は以上のことから、「宗教的に自殺」し、あるいは「論理的に自殺」する、というのが、答えになる、というふうに考えます。自殺が、時として、連鎖性・連続性を起こしたり、集団自殺のような事例、自殺教団の存在についても、以上のことが根底にかかわっていると私は思います。
       しかし、そうだとしても、「自殺」について考えながら、「自殺」という言葉に、ひっかからなければならないことを忘れてしまっているような問題があるように思えます。たとえば、私達は、「時間とは何か」という哲学的問いを発するとき、知らず知らずのうちに、近代的社会での「時間」概念を疑わないような前提を受け入れてしまっています。哲学的思索でなくても、「大陸文化からの文化の渡来」というとき、「大陸」を、20世紀以降の世界地図で考える誤謬に陥ってしまう、というようなことも私達は歴史的思索で、よく起こしてしまいます。同様のことが、「自殺」の前提にもあるように、私には考えられる。「自殺」は読んで字の如く、「自」分を「殺」す行為なのですが、果たして殺すに値する「自分」が存在するのかどうか、という問題に私はひっかからないまま、居酒屋や喫茶店での彼女達の告白、ワイドショーでの特集、三島由紀夫、ヒトラー、太宰治、キリーロフの自殺を論じてしまっているという陥穽にあるのではないか、ということですね。ビジュアルな世界で、混濁した理解力を有している現代の子供達に殺人の「人」が認識できているのかどうか、という問題が、自殺に関してもある、ということですね。もし「自」分がなかれば、いくら表面的に自殺行為が存在しても、その実質は自殺でも何でもないことになってしまいます。これは「自殺という行為は果たして成立しているのか」という、あまりに基本的ですけれど、絶えず問いかけなけばならない問題である、といえましょう。「自殺」が自殺でないのなら、私が考えてきた自殺の宗教性も論理性も、世間で言う自殺の紋切り型の批評も、その他自殺を巡るいっさいの考察が、無効である、ということになってしまいます。キリーロフの逆さまのロジックではないですが(笑)ここで、応用(宗教性・論理性)から逆行したプロセスへ、つまり自殺の根本の面に立ちかえってみることにしましょう。
       先述したように、デュルケームは、未開社会でも「自殺」が存在していたことを、精密な分析によって指摘しました。デュルケームは同時に、未開社会での「自殺」は、自覚的なものであるものは時代を遡るにつれて少なくなり、共同体の要請による老人の自殺(いわゆる姥捨て山)にみられる自殺のタイプが多くなる、と指摘します。しかし、にもかかわらず、意識的な自殺者(これをデュルケームは自己本位的自殺者といいます)もまた、非常に多くの部落に見られる行為であるとされ、この中間に「後追い自殺」がある、としますが、「後追い」自殺は、慣行的な意味での義務性があったとしても、やはり自覚的な自殺であることは間違いないように思われます。こうなると自殺の社会学的な遡行もどこまでできるか難しいですが、「動物の自殺」が絶対言うに有り得ない以上、「意識」の発生と「自殺」が同義であると考えるべきではないかと私は思います。
      「意識」の発生と「自殺」の発生が同義であるということは、どう説明したらよいでしょうか。再びサルトルの登場ですが、サルトルは、私達が多数人から他人(ピエール)をさがすとき、「彼はピエールでない」ことを繰り返すことを通じて、私達は「無のピエール」というピエールとは別の対象を発生させていると言いました。動物には、目の前にあるものしか対応できません。動物は親しい人が現れたとき、「いつも可愛がってくれるAだ」ということは判断できますが、「Aがいつも自分をいじめるBでない」ということは判断できない。サルトルが言いたいのは、これは私達人間が「否定」ということを通じて「無」を知っていることに他ならない、ということです。動物にも動物なりに意識がある、と判断する人もいるでしょうが、しかし、「否定」ということを知ることはできない。
      言い換えれば、人間は、自分自身が「無」であることを判断することができる動物だ、と言うことでもあります。「無の自分」を知っているということ、「無」への行為=自殺ができる動物でもある、ということです。動物には「?でない=否定=無」ということは存在しないがゆえに、自殺という行為もありえないのです。私達が死の不条理を認識できるのも、「無の自分」を知っているからであり、それは自殺ということと、意識の関係を示す、説明であるということができるでしょう。意識の発生ということは、「否定の発生」ということに他ならず、それがとりもなおさず、自殺の起源ということに他ならない、ということができるわけです。「否定」という判断ができる限り、私達は、「自殺」というものから、絶対に離れることはできない、というべきでしょう。
      しかし、「無の自分」を知っているからといって、「無の自分」の「自分」が何か、という問題が更に残るといえます。「無の自分」が、ゲーム的な世界でつくりだされた、空想的な自分であった場合、自殺者は、「無の自分」でなく、「無の架空の自分」を殺害するという分裂的な精神状態に陥ることになります。あるいは、全体主義的国家の、非人間的な戦争教育というのも、「無の自分」を、「無の架空理想的な自分」への誘導という形でなされる、ということができます。かくして、「自殺行為は果たして成立しているのかどうか」という問いかけを通じて、自殺論は、主体性の確立という、実存主義的ヒューマニズムに、遠まわしで到達する、ということができることになります。「無の自分」が成立するということが、自殺という行為の成立の生命線であるわけですから、「無の自分」の「自分」が不在である以上、自殺論のいっさいが成立しないことになる。「われ思う」というデカルトの主観主義と同じものを、ここで私は感じなければならないのではないしょうか。「無の自分」とは、哲学思索にせよ、社会学にせよ、おそらく通俗的自殺論にせよ、あらゆる自殺論が、議論しつくしても疑うことができないような前提であるのだ、と私は思います。
      「無の自分」の自分という、自殺論の前提を考えると、私が最初に軽視した「原因論」も、違った形で見えてくるように思えてきます。なぜならば、自意識が成立していないような状況であれば、自殺そのものが成立しないのだから、「原因論」は、自分あるいは自意識というものが成立しているのかどうかを射程に入れたものでなければならない、ということになるからですね。           
      有名な言葉ですが、死の不条理をテーマにした数々の小説を描いたカミュの、不完全だけれども不完全だからこそおそろしく暗示的な評論「シーシュポスの神話」の冒頭にある「真の哲学的問題はただ一つしかない、それは自殺ということだ」という一節は、決して、自殺が「哲学的行為」だということを意味していません。周到にも彼はその冒頭の言葉のしばらく後で、哲学的熟考は自殺とは無縁である、といっていますね。自殺と哲学思索は無縁なのですが、しかしもし、「完全な不条理」が私達を襲いかかったとき、私達が自殺というものから果たして自由かどうか、つまり哲学性を破壊してしまうのかどうか、という意味において哲学的だ、ということがカミュの言わんとすることでしょう。そして、自殺を「無の自分」の自意識論に広げて考えれば、自意識に最大の刑罰を与える不条理は、哲学性を破壊する自殺という行為の意味も破壊する、という意味で、最大の「哲学的問題」に大きくなる、ということがいえるでしょう。カミュの「シーシュポスの神話」は、考えようによっては典型的な自殺原因論ですが、自意識を破壊するものは何か、という問いかけを、そういう問題設定によって、大きな自殺論にしているのだ、と読み取れます。
        「シーシュポスの神話」は、神に命じられたシーシュポスが、絶対的に無意味で無目的な労働を命じられることを通じ、時間の完全な空虚というものに直面する話を描いています。この世界にあるいかなる私達人間の単調な労働も、微細であっても、実のところ、何らかの意味と目的を有している。しかし、シーシュポスにはそれさえも奪われている。ゆえに・・・ドストエフスキーもまた自分の流刑体験を通じ、どんな凶悪犯であっても、自分が食うため、という目的さえ失わせた無目的な労働や作業が、凶悪犯である彼を震え上がらせる、といっています。極限的な自殺原因論ですが、しかし、自意識の極限ということが自殺原因論の極限だ、ということになれば、このテーマは、原因論から限りなく離れて、「無の自分」の自意識の問題に到達する、ということができます。ビジュアルなゲーム世界や、非人間的な全体主義的国家教育が、もし、完全な空虚に耐えられる人間を完成してしまったら、ということを私は考えます。自意識があってこそ、私達はシーシュポスの神よりの刑罰の不条理を理解でき、そして、自意識による否定行為を行いそれを理解できる。そのいっさいが破壊されてしまったとき、私達は、「シーシュポスの神話」は、再び新しい神話へと書き換えられなければならないでしょう。「無の自分」の自分さえも失い、自殺の意味さえもままならないまま、自殺を繰り返す、気味の悪い喪失者達の神話、ということですね。それはもはや自殺とはいえない自殺行為といわざるをえない世界の自殺なのだ、と私には思えます。自殺の復権、というのは恐ろしく矛盾めいた表現ですが、自殺について考察を重ねるうちに、私はそういう表現に到達してしまったようです。
        
「性愛」の世界について(再録)

  ・・・・「わしらは世界を征服して、誰もが幸せに暮らせる世界をつくるんじゃよ・・・」という、この「悪」の台詞を聞いたとき、幼少の私はいったいどういう反応をしたのでしょうか?・・・昔のテレビ番組をDVDで復刻するというのがブームなようで、ブームに乗せられて、私も暇なときに、子供の頃観たテレビアニメの復刻DVDを観る、という習慣が身につきました。いわば自分自身に語りかける思い出話みたいなものなのですが、そういう昔のアニメDVDを観ていて改めて驚くのは、「これほどおびただしい善悪に、子供の頃の私たちは浸っていたのか」ということを発見することですね。中には、善悪の根拠を疑うという優れた作品もないわけではないのですが、大概は、善悪の形が定まっている。私たちは、こういう、今では無名化してしまったたくさんのアニメによって「道徳教育」をされていたんだな、とあらためて気づきました。しかも「戦い」の場面だけでなく、主人公の日常生活のさりげない一つ一つの場面に至るまで、「善悪」がしっかりと根を張っている。友情・親子愛・恋愛、そういうところまで、すでに確かになってしまっている「善悪」がある。物語世界の時間や人間が、まさしく機械仕掛けのように進行していく。「こんな堅苦しい生活をしていてよく窒息しないな、と思えるほどですが(本当はそれを楽しんで観ていた私達の「窒息」が問題にされなければならないのでしょうけど)そんな中、私がレンタルしてきて漫然と観ていた、あるアニメ作品で、救いようないふうにキャラクター化された「悪」のヒーローが「・・・わしらは世界を征服して、誰もが幸せに暮らせる世界をつくるんじゃよ・・・」という台詞を不意に言っているのが気にとまり、胸をつかれる思いがしました。この何気ない一つの言葉そ少しでも真剣に考えるだけで、善悪など簡単に裏返る。「悪の世界征服」が許されないのならなぜ「善の世界征服」は許されるのか、ということを考えてはならないところに、アニメだけでなく、この世界の様々な「道徳教育」が「教育」でなく「躾」の範疇を超えないものであり続けている原因があるといえるでしょう。
     喫茶店でお茶を飲んでいても、居酒屋でお酒を飲んでいても、周囲に飛び交う言葉を聞いていて、ああ、何だかんだ言って、この世界はやっぱり変わらないな、と思う瞬間が時々あります。私はその度、「躾」ということを思い出す。子供への躾がなっていない、という教育論は非常に正しい面があると思いますが、必要でないことをいつまでも「躾」している、ということもまた確かではないかと思います。「躾」は判断において迷いがあってはならない人間性の面において行われる強制です。躾の不足も恐ろしいけれど、躾から人間が身動きがとれないということも恐ろしい。この国のこの時代に神話がなくなり、元気でなくなり、ただ繰り返されるだけの精神や文字の活動ばかり・・・そんな誰しもが思い浮かべる力のない批評の中で、おやおや、と思う言葉の類いが相変わらずよく飛び交っています。私に言わせれば、その大半は、戦後教育や戦後マスメディアがおこなってきた、「善悪」の躾、で説明できてしまう。
       「もう最近は、何も信じられなくなった・・・」という言葉など、その一つです。実にこの言葉を多く聞いてきて、今なお多く聞いている。「信じられなくなった・・・」ということの同意を求められなくなった、ということも数限りなくある。しかし私にはどうしようもなくこの「信じる」の言葉の飛び交いがどうしようもなく不快です。私には「信じる(信じない・信じられない)」という行為が成立するかしないか、ということよりも、「信じる」という一見すると非常に美的な行為が、私たちのマイナス要素を伴うか伴わないか、つまり「信じる」ということは本当に「信じる」ことなのか、あるいは美的行為なのかが問題です。だから、たとえ「信じられなくなった」という理由で絶望する人がいても、私はすぐさまその人が悲壮だとか、悲劇的だとは思わない。なぜならばその人は自分の「信じる」行為に裏切られたかもしれない、と私はまず考えてしますからです。しかし「信じる」に関して、この国では、アニメから道徳教育にいたるまで、「躾」がどっしりと根をおろしているような気配があります。だから私が「信じる」について話をしようとすと、問答無用、とばかりに、否定されてしまうことが大変多い。議論になるはずはないのです。「平和」や「民主主義」と同じく、この「信じる」は、迷うことを許されない「躾」の中におかれているからなのですね。信じる・信じないもまた、平和(戦争)や民主主義(非民主主義)と同じように、なんらかの善悪の図式の中におかれている。(しかも平和や民主主義と違い、日常用語化しているだけに話はより厄介です。
       もちろん、「信じる」にはいろんな行為の意味や行為対象がある、といわれるかも知れません。喫茶店や居酒屋で飛び交う「信じる」は「神を信じる」「永遠の生命を信じる」という言葉ではない場合が多いといえます。これに対し(勧誘の場はよく見かけますけれど)相手を信じて金を貸したら大変なことになった、という「信じる」は比較的多いですけれど、もうそんな場では私も「信じる」についての理屈を言い返せるほどの状況ではないことはわかっている。信じたことは失敗だった、と彼(彼女)は思っていることでしょう。しかしこういう状況においてもなお、「信じた」は、絶望しながらも、自分の「信じる(信じた)」を、善悪の形式からは解放していない。彼は「絶望的な善」の地点にとどまっている、といわざるをえない。あるいは「神様のように信じられないものだ」とその裏切りを受けた人はいうかも知れません。しかし、「信仰」というのはそれを突き詰めていけばいくほど、信仰対象との無限の距離や、無心の跳躍ということを問題にせざるをえなくなり、信仰の「信じる」という行為の激しさ、すさまじさということは、非信仰者が考えるような、安住としたものでないことを、理解せざるをないことにあるでしょう。実は「神を信じる」ということと「借金を申し込んできた友人を信じる」は、同一の次元において考えなければならない「信じる」なのではないでしょうか。
        たとえばカントは「ある」には実在的な「ある」とそうでない「ある」が在る、といいましたが、私の考えるところ感じるところ、「信じる」ということは「ある」という言葉よりも、もっとずっと普遍的・画一的な述語であると思います。言うまでもなく、というべきか、言わなければならない、というべきか、「信じる」が一番問題になるのは「愛」がかかわるとき、つまり「(恋人である)私を信じられる?」というときに他ならない。なぜか。それはそこに、「信じる」対象との、恐ろしくスリリングな激しい距離の混乱があるからです。「神」が誰だかわからず、あるいは借金した友人が裏切る可能性があるかもしれないように、恋愛相手は絶えず相手の「自由」を意識し配慮しなければならない、だからこそ、「信じる」という行為が問題になってくるのです。つまり、神が誰だかわからないこと・借金した相手が裏切ること・そして恋人が自分の思うようにいかないこと、こういう「信じる」自分と正反対の可能性を信じているからこそ、「信じる」という行為が成立する。まさしくそこに、信じる」という行為の奇妙な二面的性格が顕わになるといえるでしょう。「・・・私はそれを信じている。言い換えれば、私は信頼的な衝動に身を任せ、そう信じることを決意し、その決意に留まることを決意する。・・・信じるとは、自分が信じているということを知ることを知ることであり、自分が信じていることを知ることを知るとは、もはや信じていないことである。それゆえ、信じるとはもはや信じないことである」というサルトルの「信じることは信じないことである」という言葉は、クリスチャンにおけるキリストの「神を試すことは許されない」と同じくらい、私にとって玉条的な言葉なのですが、「信じる」という行為は、決して純粋な精神行為はない、つまり善き行為でも悪しき行為でもない、しかしにもかかわらず、「信じる」行為の「信じない」というある種の決定的ないかがわしさに目隠ししてしまうような「躾」に私は不快だ、ということなのですね。「信じる」ということがそもそもこういう性格を有したある種非常にいかがわしい行為であるにもかかわらず、世間では毎日のように、様々な報道番組や特集で、「信じる」ということの周囲で起きる様々な事件を、「信じる(信じた」人間を善の側においた報道を繰り返している。その浅はかさは、喫茶店や居酒屋での「信じる」の言葉の飛び交いよりも、さらに不愉快であるといわざるをえない。この国には、いったいどれほどの間違った「躾」が蓄積され(たことにより判断停止に陥り)そしてなすべき躾がなされていないか、ということを考えると、暗然とした気持ちになってしまいます。 
        旧日本軍の軍隊内部の暴力制裁を取りあげて、「日本人は暴力的だ」というプロパガンダを一部の外国や戦後政治勢力は展開してきましたけれど、私に言わせると、そういうプロパガンダはぜんぜん本質的なことを理解していない。軍隊教育における暴力制裁は、「躾」と「教育」を混同した結果、生じてしまった慣習です。「躾」は強制を伴うものなのですから、暴力の力をかりることもある。世界中のどこの国でも、子供を躾することに、何かの強制力を伴います。かのヒトラーでさえ、側近との食事との席の会話で「私は父親にずいぶん殴られたけれど、あれはとても大切なことだったと思う」としみじみと言ったといいます。しかし「人間をつくりだす」ということを、「近代人をつくりだす」に読み替え、躾を青年に対してもおこなう、つまりいつまでたっても躾をしている、という価値判断を敷いたところに、戦前の日本軍の暴力制裁があり、あるいはそれが、戦後日本のいたるところの体育会系組織・グループに引き継がれたところがある、ということがいえると思います。何度も言ってきたことですが、私たちの国は幾度もの大転換に成功しました。しかし「近代人」にせよ「国民」にせよ、作り出していかなければならないものであり、そのためには強制力が必要であり、それは「躾」という形になってあらわざるをえず、時として陰湿な集団内の暴力統制という形にもなった、ということです。もちろん私は青年を強制力的に躾することは反対ですが、この「躾」は、明らかな外形になる非常にわかりやすい「躾」である暴力制裁よりも、もっと曖昧な形になって、軍隊や集団と関係のないところに、全く不必要な形で残存しつづけている、と私は思っています。平和的に私達の思考に強制力を行使してこようとする「躾」の方が、「殴られる」躾より、よほど腹立たしい。私の考えでは、「躾」の通りにさまざまな「善悪」が動いているのですけれど、それは消え去るどころか、ますます身近なものになってしまってくるように感じられます。「悪いこと」自体よりも(私は「悪いこと」自体にあまり不安や苛立ちは感じません)「悪いこと」を取り巻く人間の判断停止的な行為の方に、ますます不快を感じざるをえない。自分が「善悪の躾」の中にいることを強制されるような気がしてくるから、なのですね。
       ニュース特番やワイドショーで語られる生々しい事件・事例をとりあげると、「例外」「非日常」として片付けられてしまうかもしれないし、アニメストーリー論にするのもなんとなく気が引けるので、もっと気楽に(幅広い世代に)私たちの頭の中に入ってくる、テレビドラマの世界に目を向けてみましょう。好き嫌い、は私の趣味の問題で、そんな結論はどうでもいいと思うのですが、もう20年以上にわたり製作が繰り返されてきて、私が心底嫌いにもかかわらず、何となく観てしまい続けているテレビドラマシリーズに「金八先生」シリーズがあります。嫌いなら観なけりゃいいじゃないか、とファンの方に怒られるかもしれませんけれど、つい悪口言いたさ、あるいは意外なほど多い私の周囲のこのシリーズのファンの話題あわせに観てしまうということ、つまり私の「嫌い」の感情も、せいぜいいい加減なそのレベルのことなのですから、いつの日か簡単に「好き」に裏返るかもしれなという程度の「嫌い」なのですが、しかし今のところこの番組には、私の嫌悪感を呼び起こす、根本的な何かがあります。喫茶店や居酒屋で私が感じる不愉快感と、何か共通するものが、このシリーズの「嫌い」にはある、といっていいのです。
       実は、このシリーズ初期の頃は(第一回放送は小学生低学年時でしたが、しっかり観ていました)私はこの番組が非常に好きでした。付き合いを続ければ続けるほど嫌いになってしまったけれど、かつて好きだった、というだけで付き合いを続ける、離縁しない交際相手、ということなのでしょうか(笑)年を経るにつれて、やがて「金八先生」が取り上げる年齢時期に達し、そしてそれを越え、さらには金八先生達の大人の側の年齢に近づくにつれ、なぜか次第にこの番組がみるみる嫌いになっていく。自分の中学生経験は、このドラマが描くような世界じゃない、「金八先生」はぜんぜん現実に反していた、ということではありません。「金八先生」の世界と私たちの中学生時代の環境は、私の場合、さほどの大差があったわけではなく、そういう意味では「世界が実際とは違う」ということの不満はないのですね。私が中学生の時期だった80年代半ばは、いわゆる校内暴力が極点に達していた時期で、「金八先生」の世界は、リアリズムという面では、非常に共感できました。大体、「描いている世界が実際とは違うよ」といってみたところで、それは物語を嫌う理由にはなりえません。向こう側(金八側)が「こういう世界もあるんだ」と言い返してくれば、その瞬間から不毛な相対論の世界に「好き嫌い」は入ってしまう。これは物語論だろうと現実論だろうと、同じことであると思います。「嫌い」ということで話が終わらないようにすることこそ、大切なのですね。物語世界の形成においては世界が「同じ」ものであるからこそ、あるいは「同じ」ものを発見することによって、その共通の土俵の範囲で嫌悪感が醸成された、ということを問題にすることに意味があると思います。「違う」ことよりも「同じ」ことこそが問題になる。そうでないと、つい先日の終戦特番の討論番組のように、お互いの戦争での身の上の苦労話(悲惨話)を応酬しあってお仕舞い、ということになりかねませんね。
       「金八先生」のどんな「同じ」が私の嫌悪に関係していたのでしょうか。「金八先生」は第一回放送の時から、そのリアリズムの力をかりて、ワンシーズンの放送の間隔の中で、ずいぶんいろんなテーマを盛り込んできましたけれど、そのワンシーズンの中で必ずといっていいほど、性教育・性愛のテーマを取り上げる。最近が性同一性障害の話を登場させたりしていましたが、第一回目の放送は、中学生の妊娠の話でした。性愛にかかわる話の物語のパターンとして、生徒の誰かが、何かの形で大人が説明に窮するような事例に他律的に巻き込まれ、「大人の世界」との対峙が生じ、それを金八先生の良識と理解力で仲裁の方向にもっていき、やがてクラス全員が「自分の問題」として受け止める、という形に展開していく。性愛にかかわる問題に関しては金八先生は特に態度が慎重で、大人と中学生の双方に相互理解的であり、その慎重さはこの問題に関してだけは、まるで作者(脚本家)本人が、金八先生に感情移入していると見まがうようですが、これに関しても、私は別に不愉快ということはありません。もちろん性愛のテーマを取りあげること自体がわざとらしい、ということではない。「金八先生」に関してはこれらを嫌う人も多いので、私は、通常の「金八嫌い」ではないのかも知れません。
       私の不愉快がまず向けられるのは、この物語世界が性愛のテーマにかかわるとき、たとえば女性教師(保健の先生)が「私も二十歳の頃好きな人ができてセックスしたもん。だからみんなの気持ちわかるの。でもコンドームつけなければダメ」といったり、「(マスターベーションを)やってもいいがやりすぎるなよー」といって生徒を笑わせたりする。私にはこういう「和の雰囲気」「告白の雰囲気」による、学校教育の場での性愛の世界の教育が、どうしても理解しかねるものとして、映ってしまうということです。性教育が学校という主体によって行われるべきかどうか、ということについても、もちろん疑問がある。しかしもっとひっかかってしまうのは、「性教育の教え方」と、その教え方が依拠している中身の価値ということです。「金八先生」の世界が性愛にかかわるとき、最初から最後まで、この「和の雰囲気」「告白の雰囲気」が、教室の雰囲気を支配しつくしている。まあこの「和の雰囲気」「告白の雰囲気」というのは「金八先生」の常設的な雰囲なのですが、この雰囲気の中でできる議論の範囲というのは、いつも一定の限界があり、それはこの性愛の話において著しい、ということがいえるのではないだろうか、と思います。「和」も「告白」も、それ自体が悪いということではない。しかし、この国では、慎重に扱わないと、「和」や「告白」は、時として観念暴力的なものになる。たとえば、「告白」ということに関して、私達(大人ですら)は告白することによって、(告白すべき)他の罪や非道徳性をかえって隠蔽してしまうという偽善性をどうしても伴いがちである、ということに自省的でないまま、「告白」という制度なり雰囲気が教育の場にもちこまれたら、子供たちの告白内容の自由を奪う(奪っている)のではないか、という検討が、もっとおこなわれるべきではないでしょうか。そういうレベルでの「和」や「告白」はこと性愛の世界の本質を捉えようとするとき、最大に邪魔なものになる可能性をもっている、と思います。「語りえないもの」が性愛の本質なのですから、あえてそれを語ろうとするときに、そういう意味での理解の場の虚構は、語りえないものを表に出すことを拒んでしまうのではないか、と考えるからです。そしてこの雰囲気の中で、「金八先生」の世界は、性愛の世界に関しては、なぜか急に「躾」の雰囲気に転じて、物語時間を進行させていってしまうのですね。
       性教育自体が不要ということではありません。しかし性教育に関して私達が思い浮かべなければならないのは、「性の世界の機能を教えるはずの性教育が、性の意義について教えるようになってしまうとき、性教育は必ず意堕落してしまう」(福田恒存)という言葉ですね。蔓延する性病や安易な妊娠の危機に対して対策をとることは大切である。しかし「危機」とその「対策」を説明することと、その対策の採用・不採用において生じる「自由」の問題は、とくに性愛の世界においては、区別されなければなりません。
       たとえば、中学生(あるいは最近は小学生が問題になる場合もあるそうですが)の段階で性行為をすることの是非、という問題を考えてみましょう。根拠は様々な形で漠然としていますが、法律違反問題を除いても、「いけないこと」と考えるのが、まずは妥当だと思います。性行為に走ろうとする小中学生を必死で止めようとするのは(たとえそれが法律違反にかかわらなくても)全く正当です。私は「いけないこと」だとは間違いなく思いますが、その理由付けに拘泥することには、ほとんど意欲を感じません。「現行の法律に定められている結婚適齢からして、中学生の性行為や妊娠はいけない」という理由でもいいし、「今はそういう時代じゃないんだから」とか「いけないからいけないんだ」という理由付けでも、間違いではないと思います。しかしこの「いけないこと」の意味に関しては、「いけないこと」の理由付けとは異なり、非常な注意を払う必要があると私は思います。たとえば「いけないこと(性行為)」をしてしまったその人が二十年、三十年後で、思い出話の語りあいの場で「自分は実は中学生の時に・・・」というふうに話はじめたとき、他の「いけないこと」と同一視されて、真っ向から倫理的非難を向けられる、ということだと、私たちの日常では、そういうことでもない。なぜならばそこに、義務違反が完全な形で生じたわけではない、という了解が、私達の間にあるからです。通常アモラルな行為は、事前的にも事後的にも評価は同一であるけれど、性愛に関しては、明らかに両者は異なっている。「いけないこと」であるにもかかわらず、それをしてしまうことで、「いけないこと」でも「してもいいこと」のいずれもならない何かの別次元の倫理が成立する。これは金八先生だけでなく世間の大半の学校性教育がそうなのでしょうが、性愛の「いけないこと」の特殊性を理解しようとするこのスタートラインがまず存在しない。中学生妊娠その他の「事件」が生じたとき、金八先生は一見すると非常に冷静ですが、実はそのテーマ自体の刺激性にあたふたしていて、「理解してあげよう・受け入れてあげよう」という次元にとどまってしまっている。性愛の世界というのは、それを授業の場という白日の場にさらすこと自体が何かのタブー違反であるかのようなスリリングさがあるのですが、その段階にとどまっている限り、少しも性愛についての思考や議論は進展しません。こういったことを完全の洞察していた野坂昭如氏は、「コンドームをはじめとする学校での性教育は、文化破壊行為の一種である」という議論を展開しましたが、性愛の世界における特殊な「いけないこと」の形を理解しない以上、野坂氏の意見は間違っていません。性愛に関しては、「いけないこと」の根拠が問題になるのではなく、性愛と「いけないこと」という評価の間の関係が問題になる。
       たとえば「ませたいけない行為」ということなら飲酒や喫煙ももちろん該当します。しかし飲酒・喫煙と性行為間では、あきらかに決定的に違う何かがあります。つまり、飲酒や喫煙ならば、その行為を白日のもとにさらしても、別にそうした行為の価値が減じるわけではない。言い換えれば、「性教育」と異なり、「飲酒教育・喫煙教育」では、「機能(健康的実害)」を飛び越して「意義」を説明しても、その「意義」にほぼ安定した了解があるゆえに、性教育のような問題は生じないのです。ゆえに、未成年者の飲酒や喫煙は、あるいは「なぜいけないのか」という話の次元で、「安心した討論」が可能になる。未成年者の飲酒・喫煙に賛成・反対に分かれて、互いの根拠を応酬しあえばよいのです。「・・・どこそこの時代や国では許されていたけれど、私達の国では、ある健康上の理由という説を採用したためそれを未成年には禁じるという了解が可能である・・・」という相対主義のレトリックも可能になる。つまり普遍的に成立了解している「飲酒・喫煙」行為に解釈を与えるだけでいいのですね。ここにおいてももちろん「善悪の躾」が顔を覗かせますが、それがおこなわれたとしても、私達の判断を停止に誘うようなことはない。私個人も、こういう方面での躾は大いにおこなうべきだと考えます。しかし、「性愛」というのは、サルトル流にいえば、その行為の意味自体を、つくりださなければならない、という相違点をもっている。「いけない」「いけなくない」という解釈の対象となるような普遍的行為というものが、成立していない。「性愛の世界」というのは、これは断定的にいっていいことだと思うのですが、ほとんど永遠といっていいほどに、「意義」の確定しないものだからなのですね。前述した「(性行為を)やってしまった」ということの事前的評価と事後的評価の相違は、その「意義」の不確定のよい例です。さらに飛び越えていえば、その意義の不明と不安定は、それこそが実に普遍的なもので、私達はその不明と不安定を、管理しようという密かな欲望を、社会システムに期待している、ということもできる。キリスト教、特にローマカトリック教会はその管理の願望を壮大かつ徹底した形でもった宗教でありました。ゆえに三島由紀夫は「カトリックはある意味で最もエロティックな宗教である」といいましたけれど、わが国のメディアでおこなわれている様々なレベルでの「性愛の躾」には、そういう激しいまでの異常さもない。当たり前のことで、何もスタートしていないからです。何もスタートしていない議論をテーマにするなら、最初からテーマにしなければよい、と私は思います。
       ではお前が作者だったらどうするのか、あるいは親の立場になったらそんなふうに冷たく語れるのか、性教育の現場に投げ込まれたらどうするのだ、というふうに言われるかも知れません。性愛の世界のスタートラインすらも、「金八先生」は、切っていない、と私はいいましたけれど、そんなあやふやな形でともかくドラマがスタートする、ということを承認してみましょう。そして、例によって例の如く、金八先生のクラスの場面で、生徒が、問題を「共有」する場面に移行する。ここがある意味、「事件」以上に、番組のクライマックスです。そして私の不愉快もここで、極点に到達する。なぜ、ここで「受け入れてあげよう」ということをテーマにするのではなく、なぜ「こころ」を問題にしないのか、ということを思うからですね。このクラス討論の場が、金八先生だけでなく、いろんな学校でおこなわれている性教育のカラクリの最たる場面であるということができる。たとえば、これは私の実際の経験ですけれど、中学生の性教育の授業で、ある私のクラスメイトが、「・・・だってさ、偉い人だって、恥ずかしい形でやっているんだろう・・・」という、普通の大人からすれば「子供じみた」意見を言い、(なぜか)教師を激怒させたことを思い出しますが、それを言った子供の感性を無視するべきではない。「善良な人」も「悪人」も、等しく「性愛の世界」に憧れ、それを求め、誰にも迷惑をかけずに溺れ続けることも可能である。障害者のセックスを論じることは大いに賛成ですが、障害者と健常者の間に共通する「こころ」が存在する(かもしれない)という不思議な「平等」をこそ、そこで考えなければならないのではないでしょうか。「純粋無垢なビーナスの憧れをもって接したのに、いつのまにかソドムの悪徳をもって終わってしまうことに、美のおそろしい不条理がある」とドストエフスキーは言いましたが、性愛の世界にも、そういう魔術的としかいえない段階がある。不条理なほど平等、ということがそこにある。それは肉体的成長とか人生の段階とかということをいくら説明しても、ますます理解できない。いっさいは、科学的説明の外で起きている、といわざるを得ません。性教育では、経済学でのホモ・エコノミックスと同じように、なんらかの「通常人」が潜在的に仮説されているのですが、これは恐ろしく卑小な議論に行き着かざるをえない仮説です。「通常人」は「通常の性行為」をおこない「通常の恋愛」をするのでしょう。通常(正常)の意味も形式も考えたことのない人がなぜ性愛を理解できるような気がしてしまうのか、ということは、実はこの「通常人」の暗躍によるところが大きいのではないでしょうか。ここにも「善悪の躾」が見え隠れしてします。しかも明らかに不必要な「善悪の躾」が、です。
       繰り返しますと、「善良な人」も「通常人」も「悪人」も、等しく性愛の世界への憧れをもっている。「性愛の世界」というのは恋愛から出産、結婚、不倫までも含むあまりにも漠然とした言葉ですが、対象はあまりにも広大無辺で漠然としているから、言葉も漠然とせざるをえない。しかし「性愛の世界」というものが実在し、私達が不条理なほど平等に、そこからの拘束と自由に悩まされている、という一見すると当たり前の事象に驚かなければならないことに、「意義」ということにかかわる性教育の問題のスタートラインが存在している、と私は思います。「スタートライン」を切った後は、「こころ」の問題になっていく。それは「コンドーム」や「避妊」の問題という「善悪の躾」を押しつけることとは、全く関係のないことである。
       私がいう「こころ」の問題、ということはこういうことです。妊娠を知った(世間的評価からすれば)悪人といわざるをない人間が、昨日まで反発していた社会一般の倫理に、急に妥協的になる。あるいは全く逆に、妊娠を知った人間が、この子供のためならば、どんな悪にでも手を染めよう、という価値観をもった人間に裏返ってしまうこともある。つまり性愛の世界というのは、それに近づき、足を踏み入れた瞬間に、その人を何かに変えてしまう、底知れない何かがある。その底知れないものの前において、私達は不条理なほどの「平等」におかれている。性教育の場での「通常人」の時間の歩みはきわめて段階的で、「中学生の妊娠」も、そこからややずれただけ、という問題に閉じ込められてしまう。私が「こころ」の問題だというのは、「心を大切にしましょう」という戦後民主主義教育のお題目ではなく、「人間を恐ろしく変えてしまう何か」が肉体的成長の外の何処かにあり、肉体的成長がすすめばすすむほど、この「何処か」が問題になってくる、という意味での「何処か」ということに他なりません。煙草を吸いはじめても酒を飲み始めても、私達の「こころ」は、急に激しい変貌を遂げるということはありません。しかし性愛というのはそうではない。
       品のない言葉ですが「私」が美しい異性をみて「やりたい」と思う。性教育のお題目を唱える人達をはじめ、世間一般の人達はこの「やりたい」という性衝動をどの時代・どの世界においても普遍的なものだ、という前提を疑っていません。しかしたとえ「やりたい」という言葉が性衝動というような乾燥した言葉で表現しなおせるものだとしても、対象となる女性は微細に分析すればするほど、その都度全く違った対象である。たった一人の女性を追い求める人もいるではないか、という反論があるかもしれません。しかしそういう場合でも、記憶やイメージの中の「彼女(彼)」と、現実対象の「彼女(彼)」が同一のものであるという保障はどこにもない。にもかかわらず、同じ「性衝動」が生じるという不思議さに、「こころ」の不思議はあるのです。これは「美」に関しても同じで、無限の差異をもった膨大な美の対象に同じ「美しい」が成立する不思議を考えないような美学談義は、どうしても私はついていけない。同じように、多数の異性対象に成立する「やりたい」というのはいったい何だろう、ということを伴わない「性談義」は、少しも面白くないし、全然刺激的でない。
       だから「通常人」の仮説から、「それからはずれた(=しかし受け入れよう)」ということ、「はずれていない(できればそのままの方がいい)」という価値判断を繰り返しているだけの、「金八先生」の授業風景は、私にとっては、果てしない退屈なものにしか思えません。私だったら、「妊娠をどうして避けなかったのか」ということを当事者に、意地悪でなく、しかしあくまで納得しない理屈屋の生徒、あるいは「(妊娠した)彼らを許して、どうして私達が(セックスを)やるのを許してくれないの」というこれまたなかなか納得しないスネた生徒を登場させます。もちろん、全くの不評に終わるでしょうけれど(笑)ここで私が特に言いたいのは、「金八先生」にせよ、性教育にせよ、「こころ」の激しい状態がテーマにならないために、実はこの世界が前提としている「幸せ」あるいは「恋愛観」、そして私が常にひっかかっている「相手を信じる」という問題も、全然疑われていない、ということになる。結論的にいえば、刺激的テーマを展開すればするほど、世界が妙に健康的にまとまっていく後味を、このドラマシリーズは有している、ということです。もちろん、金八先生の世界では、「信じる」ということは、根本的な危機にはさらされていません。裏切る奴もいるが、実に機械仕掛けのように反省して、話が終わってしまう。「信じる」という行為の倫理性を、世間的な意味の次元で温存する物語的なメカニズムが、「授業」の場を中心に展開しているから、なのですね。だから金八先生の世界は、「こころ」がより「関係性」へと問題になってくる恋愛論への移行はほとんどないのです。乱暴な結論をあえていえば、「金八先生」においては、その性愛の扱い方はきわめて物質的であり、むなしく生々しいヌード写真集を見てるかのような気配さえ感じてしまします。「善悪の躾」から「恋愛」は生まれるはずもないのですから、それは当然といえば当然なのですけれど、これを教育番組と勘違いし、鵜呑みにした性愛理解をしている人間もいるのかもしれないな、と思うと、少しばかり背筋が寒くなってくるのですね。「恋愛」にかかわらない「性愛」の意義、というものは、世間のどんな空論よりもむなしいものではないかと思います。
      「善悪の躾」から、性愛の世界を救い出す手がかりは、「信じる」ということと同様、どうも教育の世界の外の文献や現実にある、といわなければならないでしょう。スタンダールは、その大著「恋愛論」で、恋愛に関して有名な4分類を行いました。曰く「情熱恋愛」「趣味恋愛」「肉体的恋愛」「虚栄的恋愛」という分類ですが、スタンダールの考えが秀逸なものといわざるをえないのは、スタンダール自身の好き嫌いはあっても、この4分類のどれもが私達にとってどれもが本質的な恋愛行為であり、価値的に優劣をいうことはできない、しかしこの4種類の恋愛のどれかにいた人が、ある日不可思議なくらいに、違う「恋愛」の分類に移行する、その終わりのない物語が「恋愛物語」なのだ、ということを言い当てていた点にあります。この4種類の恋愛はキルケゴールの絶望論のような時間的段階におかれてはいないのですね。これは私達が正しいと思い込みがちの世界観とはかなり異なっている。私達はまず「正しい恋愛」と「軽蔑すべき恋愛」という判断を行い、「本質的な恋愛」ということに没我する。そののち、大概の人間は小さな成功・不成功の果てに言行不一致を起こして、「ただしい恋愛」から離れていく、ということになる場合が多い。しかしスタンダールにとっては、本質的な恋愛行為というものははじめから存在しない。私達が性愛の世界を語るとき、性教育を含めて、知らず知らずのうちに歩かせてしまう「通常人」は、スタンダールの世界においては、存在していません。肉体目当ての「肉体的恋愛」でも、それは「偽」ではないのです。肉体を希求するときの私達の「こころ」を微細に問題にすれば、肉体的恋愛が恋愛でないということはいえないことはすぐにわかることなのですが、私達は性愛の世界において、「あるべき」ということを暗喩する「通常人」を歩行させていることで、「肉体」と「恋愛」を区分するという判断停止に、往々にして陥っています。「恋愛」という、広い土俵の中に飛び込むこと、言い換えれば「形式」に飛び込むことが「恋愛」であって、そののちに、さまざまな分類の恋愛を悩みながら行き来することが恋愛であって、「何をすべきか」「何をしてはならないか」「何が成功か」「何が不成功」か、ということは、そもそも、この形式を離れない限り、どうでもよいことである、ということになる。
       「赤と黒」のジュリアン・ソレルは、レナール夫人に対して、当初、階級的憎しみ・報復ということを目的とした「虚栄的恋愛」の只中にあったけれども、それが次第に「情熱的恋愛」に移行していき、悲劇的結末を迎えるのですが、始まりから終わりまでの「こころ」の「闘争状態」そのものがジュリアンの「恋愛」ということに他ならない。スタンダールの小説を読んでいて面白いと思うのは、たとえばこの「赤と黒」のように、ジュリアンのボナパルティズムやレナール夫人との階級差のように、社会的要因を「きっかけ」として題材にすることはあっても、小説世界が社会正義的な憤激に転じていくということがほとんどない、ということですね。そういったものがもたらす小説世界の緊張感というものには、スタンダールはほとんど関心がないようです。ゆえに、二人の間のたえず「こころ」と「関係」の揺れ動きが、より強く私達に緊張を強いてくる。私が最初に言った「信じる」ということの行為も、これでもか、というくらい、その正体を顕わにする。ジュリアンにとっては「幸せ」の意味も、そして「(レナール夫人を)信じる」というということも、絶えず危機にさらされている。しかし「信じる」ことは、決して段階的に正しい方向の「信じる」に向くわけではない。恋愛にいおいて、正しい「信じる」などというのは存在しない、ということは、よく(真剣に)考えてみれば、当然のことなのです。情熱的恋愛の中で生じた「信じる」がゆえの犯罪行為が偽者の「信じる」である、ということは、平板な価値観に沈んでいる私達であっても、承認しないでしょう。あるいは「信じる」という行為をこれほどまでに翻弄し続けるということにおいて、性愛の世界というのは、私達の前に不条理で残酷なほどに「平等」なのだ、ということが、自然と理解できてくるのですね。
      当たり前のことですが、この「赤と黒」の世界に「善悪の躾」めいたものはいっさいありません。何より大切なことは、ジュリアンは「純粋」ではない、ということでしょう。彼は終始狡猾であり、むき出しのエゴイズムを失わず、情熱的恋愛も、実は肉体的恋愛ではないのか、と思えてしまうのではないか、という疑惑を読者に感じさせてしまうほどです。しかし、だからこそ、彼は狡猾さやエゴイズムについて、苦悩することができるし、他の恋愛分類に、劇的な変貌をとげることもできるのです。「純粋」でない、ことがゆえに、彼は、恋愛という「形式」にとどまり、激しい精神的闘争状態を経験することができるのです。私達現代人の性愛の世界を歩いている「通常人」は「純粋に」思いやりがあり、「純粋に」異性を好きになり、「純粋に」性欲があり・・・・というふうな存在の次元におかれていることができるでしょう。しかし「彼」は純粋がゆえに、悩むということもできない、という背理を抱えている存在でもあるのです。物語の最終場面ではジュリアンは、もしかしら彼は本当は「純粋」だったのではないだろうか・・・と思える目の輝きを示すけれども、それが本当かどうかは、読者の中に委ねられてしまっています。つまり、「死」(処刑)を目の前にしても、ジュリアンは精神的闘争状態にあった、闘いを繰り返していた、ゆえにスタンダールの「恋愛論」に沿った小説世界の人物であった、ということができると思います。
       このことに、哲学的・思想的理由を少し捕捉しましょう。カントは「善の観念及び悪の観念は、道徳法則・道徳形式に先立って存在してはならない」といい、「適法行為」と「非適法行為」のいずれかを選ぶことが道徳的なのではなく、あるいはその内実を価値判断することが道徳的なのではなく、「適法」と「非適法」の中で精神的闘争状態に陥ること自体が「道徳的」だと言いました。つまり「善・悪」が予め定まっているのではなく、あるいはそれを他人や公的教育から鵜呑みにするのではなく、「善・悪」において、出口なし的状況において絶えず「何が善・悪か」と問い続けることが「道徳的」である、というこの「実践理性批判」や「人倫の形而上学の基礎つけ」で言うカントの「道徳的」ということの意味は、私達が言う「道徳的」とずいぶん異なっているようですが、その徹底した形式主義は、私にしてみると、逆に非常に新鮮です。そしてこの「闘争状態」はあくまで「自律(自分語」によって支えられなければならず、「他律(他人語)」による精神的闘争状態は、たとえ敬虔なクリスチャンであっても、道徳状態をつくることにはならない。必然的に、「純粋な人」ということも、否定的に考えられます。つまりカントのにおいては、私達が言う意味での「何が善・悪か」ということの答えは、ほとんど見出すことができない。これはスタンダールの恋愛論を思い起こさせるものです。そして「善人」に非道徳は潜んでいる可能性があり、逆に「悪人」に、「道徳的」という精神的闘争状態を見出すことができる、という結論が導かれることになる。これはむしろ犯罪や反道徳的行為にかかわる恋愛の方に、私達が読み取らなければならない「性愛」がある、というスタンダールの恋愛論と、多くの面において一致するものがあるといえましょう。
      もちろんこのカントの考え方にも問題はあります。ショーペンハウアーはカントの道徳形式においては、「エゴイズム」というものの実質的考察がまったく前提になっていないといいました。確かにカントの倫理学が言う「自己愛」や「自惚れ」の概念は非常に図式的で、心理学やニーチェとそれ以降の哲学に慣れている何度読んでも「自我」ということへの生々しい把握が湧いてこない(だからこそカントの倫理学の異常な個性がそこにある)また有名な話ですが、アイヒマンは(アイヒマンはヒトラーがニーチェを読むほどにはカントを読んでいなかったようですが)裁判の場において、「・・・自分はカントの道徳法則に従いユダヤ人虐殺をおこなった・・・」と言いました。このアイヒマンのエピソードは、ただちに次のような想像を私に呼び起こします。つまり「・・・私はスタンダールの恋愛論にしたがい、趣味恋愛を選択し、たくさんの彼女(彼氏)を弄んだ・・・」という自己弁護を素知らぬふりでする人物です。「スタンダールを悪用するアイヒマン」といったところでしょうか(笑)しかしカントにせよスタンダールにせよ、そういった徹底した「正直さ」ということが彼らの倫理学や恋愛論の持ち味なのであって、ニーチェの哲学と同様、悪用されるということにある種の思想的な偉大さを私など感じてしまうのですが、いかがなものでしょうか。
     「性愛(恋愛)」においては、実は「本質的なもの」はなくて、そのかかわりの「形式」が問題なのであり、「出口」はない、つまり「精神的闘争状態」のみが存在するとしかいえない、しかしそれが、アイヒマンのような悪用者も可能にしてしまう、といいましたが、ではこれに対し,「金八先生」的な性教育の世界(善悪の躾)は、私の不愉快な感情というようなどうでもいいものとは違う、より社会的な次元で、どういう「実害」をもたらすのでしょうか。つまり「精神的闘争状態(道徳状態)」を欠いた「性教育」が進行しすぎると、いったいどういうことが生じることになるのでしょうか。
       たとえば初等教育から生涯教育のレベルまで、性教育の徹底によって、エイズをはじめとする性病の罹患率の低下に成功した欧米は、その「性教育」の成果によっていろいろな現象が生じています。これが日本で顕著な、私の言うところの「善悪の躾」を伴うものなのかどうかは難しいですが、少なくとも現象的なことを言うと、たとえば、フランスでは「老人の性」というお題目が一人歩きした結果、老人ホームでポルノビデオの上映会が開かれるという(そういうものは個人的に隠れて観るべきだという「古い」考えをもっている私からすると)きわめて非人間的な事態が出現する事態が生じている。「性愛は共有化された感情である」「性愛は公然なものである」ということを推し進めた結果、なるべくしてそういう事態が出現したのですね。「老人の性」ということをまさしくカントの言う「他律(他人語)」よろしく、得意に議論して語る人に私は大勢出くわしてきましたが、「老人の性」の「性」が、大体世間平均的な「性」である青年の「性」を基準にしてしまっているがゆえに、この老人のポルノビデオ会を、論理的に否定拒絶することは難しいものになってしまうのではないでしょうか。
       あるいはアメリカでは娘や息子がデートに出かけるとき、親が笑顔でコンドームを手渡すということが慣例化している。これはニュースだけでなく、私がアメリカに行ったときに実際に目撃しました。ここでも、性愛の世界は公然なものになり(成り果て)そしてある種の性愛の間接的管理を経て、「共有」されてしまっている、ということができます。「金八先生」の授業の場での「和」と「告白」の雰囲気を、ここで思い出すべきでしょう。「金八先生」の世界の論理と倫理も、こういうアメリカの慣例化を否定することはできない。むしろ「理想社会」と考えなければならないのではないでしょうか。金八先生でのコンドーム教育の場には明らかに「精神的闘争状態」が存在しませんでした。存在すべきだったのは、既述した野坂昭如氏の言葉のような性教育否定論との「闘争」です。あるいはこのアメリカでの実例のような「理想社会」を「金八先生」に登場させればよかった(よい)のですね。しかしそういう、カントの倫理学やスタンダールの恋愛論のような過激なほどの「正直さ」もまた、「金八先生」を筆頭にした、私達の国の性教育は持ち合わせていません。「善悪の躾」には論理は不要なのですから、これも致し方ないのですけれどね。勘違いしないでいただきたいのですが、私は老人の恋愛や性欲増進には大賛成だし(私は老年になっても性欲を感じていたいです)あるいはコンドームの使用による性病や(意図しない)妊娠の防止も多いに必要だと考えています。しかし、「するべきかどうか」という闘争状態が、明らかに「機能」と「意義」を混同した結果、「意義」がただちに外的に管理されたものになっている証だ、という福田恒存氏の言った警告に立ち返るべきではないだろうか、ということです。こと性愛の世界においては、「子供たちはまだわからない」から「出口」を教えるべきなのでなく、「子供たちはまだわからない」からこそ「出口はないのだ」ということをまずもってきちんと教えるべきなのではないか、と私は思います。
     しかし以上のように話しても、性愛の世界というのはあまりも広大であり、何とかまとめてみた私の見解も、全部が全部、ただの机上の空論ではないか、という自己猜疑心にとらわれてしまう。だから無駄である、ということでなく、だからこそ語ることに意味を「賭ける」ということがいえる、という考え方が正しいのではないでしょうか。性愛について語るのは、「食」について語るような平易さを装いながら、その実際は「死」について語ることに準じることとさして変わらないような難しさをもっています。だから抽象論と具体論で具体論が優位にたつ、ということが、簡単にいえない。性愛における「具体論」の一種として、文学や映画における性愛の描写を例にあげても、そのことがいえるでしょう。繰り返し激しい性描写を、ハードボイルド風の文体で繰り返す石原慎太郎氏の小説は、読めば読むほど、巨大な徒労感が蓄積されていってしまう。これは現代小説一般についていえることで、非在の存在化、という性表現の原則から、小説の書き手があまりにも踏み出してしまった、といういことを意味しています。性表現の場面の刺激性が(あるいは刺激を受けなければならないという小説内部の制度性が)さまざまな思考停止や感受の停止をもたらしてします。これは性教育の「対象」の刺激性に沈んでしまっている金八先生の授業とある意味で同じなのですね。石原氏の文学には「善悪の躾」というものは存在しませんが、その代わりに、荒涼たる非意味の原野が、読後感に広がっているような気配を感じます。
       性愛の世界というのは「描かない」ということが「実感」を盛り上げるということの方が、どうやら正しいということがいえそうです。ヒッチコックの「レベッカ」はレベッカの性愛を「描かない」というエロティシズムを積み重ねることによって、レベッカの悪女の形成があまりにも描かれていく(視聴者の中に蓄積されていく)という傑作ですけれど、「エロティシズムは彼女の中のどこかにあるのだろうな」という感じを自然にもつことができます。限られた作品の中で、原則を違反し、違反することによって原則を存在ならしめる、つまりもっと描いてほしい、ということがあってもよい、という不満を感じるのですけれど、その不満自体が、彼女のエロスの形成を実は私たちの「こころ」の中で醸成しているのです。「描かない」原則はいったん崩されれば、それはなし崩しになってしまう。結局、性愛の世界は、この意味においても、出口はない、ということなでしょうね。「描かない」ということは「語らない」ということでもあり、だからこそ「語らない(語れない)」ことに真実があり、その真実に挑戦しようとする邪道を私は演じているのかもしれない、ということも、一理ある、ということになるでしょう。
       それじゃ、「おまえ自身の実感ということはどうなのだ」という質問が飛んでくるかもしれません。あるようでもあり、ないようでもある、ということが答えなのですが、そんな答えで納得してくれる方は一人もいないでしょう。そこで、私自身の実感に強烈にかかわった文章の終わりに、とある日の記録を記すことにします。もちろん、実際にあった話に基づいて記されています。いつもでしたらここらあたりで、論理は終盤に移るのですが、性的刺激のない性愛の話に飽き飽きされていると思いますし(笑)また、今まで話してきたことを前提として「関係性」の話に移行するのが筋なのですが、そのテーマも兼ねる形で、そのある日の日記を載せることにします。これはある人間にとっては非常にショッキングな話であり、しかしまたある人にとってはありふれた話でもあるといえる。性愛にかかわる話ではないのではないか、という人もいるかもしれないのですが、私にとっては、いろいろなショッキングな面をもった、実に性愛の「こころ」にかかわる、ある意味で非常に恐ろしい実話なのですね。


(2005年の厳冬の真冬、都心のとある知己の家にて)

   ・・・・そこは私にとっては非常にいい部屋でした。「住居」ということに関しての私の判断基準は、世間一般と、かなりずれているところがある。「あいつの部屋は広いけど薄暗くてさ・・・ケチケチ儲けた人間に相応しい、面白くともなんともない部屋だよ」と私は幾度も聞かされてきました。昨晩から「・・・ああ何といい暗い部屋なんだろう・・・」と私は幾度となく思い、そして目が覚めて、改めてそのことを思いました。
    この部屋の主が隣室で起きた気配がする。他人の家で目が覚めると私はいつも、「不安」におそわれます。他人行儀の中で、朝食を準備してくれたり、顔を洗うように言ってくれたり、シャワーを浴びるように言ったり・・・と、「寛ぐための忙しさ」に巻き込まれてしまうから、ですね。居心地のよさがいつまでも続けばいいな・・・とばかり私は、この部屋の主が起きて自分の部屋に来るのを、不安気に待ち続けていました。
     時計がなければ時間が皆目わからない部屋、というべきでしょうか。日あたりはきわめてよくない。私は一瞬、すでに夕方になってしまったのではないだろうか?と思いました。しかし、携帯電話の時刻を見て、実は就寝した3時から4時間しか経過していないことに気づきました。
     なぜ、そこまで、この部屋は居心地がいいのでしょうか。私にも全く疑問としかいいようがありません。
     ここが「閉ざされた世界」だから、と私は思いました。ハイデガーは「・・・閉ざされた寒村のある深夜の一瞬に、存在への問いかけが単純かつ本質的なものにならざるをえない、真の哲学的瞬間が訪れる・・・」と言いましたが、私にしてみれば、都心で、日常的時間から隔絶されたこの暗い空間が、妙にそういう言葉に相応しいような気がしてきました。一歩外に歩めば、思考や感受を中断せざるをえないような、様々な時間が流れているような巨大な錯覚を強制され、目を瞑って私はそこに飛び込まなくてはいけなくなる。「時間は流れていない」と疑うためには、時間が流れている、と激しく錯覚するような空間のすぐ近くの静寂に、いなければならない。私はハイデガーと違い、田園や農村が、思索を深くするということはなかなか感じられない。感じられないというより、「田園」や「農村」は、不意につくりださされるものだだと考えている、というべきでしょうか。
     50にさしかかった初老の人物が、私の部屋に現れました。正確にいえば、この半年のうちに彼は初老化した、というべきでしょう。すっかりやせ細った体をひどく重たげに、すっかり白髪の多くなった自分の頭を軽く私にさげ、しばらく使っていないゴルフ道具以外、真新しいものの全くないこのリビングルームの向かいに座りました。
     本当に「彼女」は、このゴルフ道具を振りまわして二度も自殺をくわだてたのでしょうか?しかし、昨晩の彼の話に誇張があったとしても、確かに血糊の痕跡が、この部屋のいたることろにみえる。この血糊こそが、彼が彼女から離れられない、彼にとってみれば、愛の証しだと思い込ませているものなのではないでしょうか? 
      起きてきた彼は恥ずかしそうに私に笑いかけ、その間だけは疲労から解放されたように、しかしそして再び疲れきったように、焼酎の瓶を取り寄せ、コップに注いで、それを口に含みました。彼は二十歳近く年下の私に、敬語を使います。それは彼の育ちのよさ、ということよりも、ゼロ地点からスタートし、実業家として億万の資産を築いてきた中で身につけてきた社交術だといえました。彼は疲れきった外見と違い、実にしっかりした野太い声をしています。
    「飲みますか?」
    「朝一番からですか。さすがですね・・・私は少し休んでからいただきます」  
    「他に口にできるものなんか、この世界にありませんからね」    「いやいや・・・私もいずれそのことに気づくんでしょうかね。まだまだ、そんな境地にはたどり着いていません」 
    「病になりますよ・・・死ぬかも知れませんよ・・・」
    「・・・いつ死んでもかまわないですけれどね・・・」
    口に含んだ瞬間だけは、彼は私に微笑んだときのように、疲労から解放されたような表情になります。しかしアルコールが体内を巡りはじめると、また疲れきったような表情になる。彼を見ている限り、アルコールが人を太らせるのは俗説なんだろうな、と思います。
    私は「不安」から解放されました。この部屋においては、私が何か言い出さない限り、あるいは私のスケジュールが存在しない限り、彼が何かを言うことはない。部屋を退出するそのときまで、私はどうやらのんびりできそうである。
     ここがハイデガーのいう「思索の農村」であり「哲学の農村」である、ということはどうやら間違いなさそうです。存在していることが、そのまま時間であるような、世界の落ち着きと奥行き・・・部屋は幾部屋もあり、非常に広い。「隠れ家」という表現に相応しいマンションである。(厳寒の)早朝ですが、夕焼けのような鈍く赤い光が、心地よいこの部屋の暗さを妨害する不純なもののように、部屋に充満している。「明るさ」と「暗さ」あるいは「光」と「闇」は、この部屋においては、どうも価値評価は逆転している、ということのようです。私の考えでは思索の楽園や哲学の楽園にとって、「明るさ」や「光」は非常に邪魔なものであって、もしこの部屋に一人で数日いたら、思索がおそろしく進みそうな気分を、どうしても感じてしまいます。部屋のあちらこちらにある血糊が、その鈍く赤い光を浴びて、暗黒色になる。血は決して赤いのではない、いつの日か、ああやって黒く姿を変えるものなんだな、と私は思いました。
      私自身の胸に手をあてると、なかなかすごい二日酔いです。彼が目の前にしている酒瓶を見ただけで、私は気分が悪くなってしまう。・・・しかし、見つめれば見つめるほど、そんな酒瓶も。部屋の飾りも一種としか思えないような、まがう事なき、何かの「存在」にみえてくる。実に説明しにくいのですが、本当に不思議な落ち着きをもった部屋なのです。
      彼に二日酔いはないのでしょうか?いや、いつもアルコールが体を巡った状況にあるから、「二日酔い」ということもないのかもしれない。
      もっと気になるのは、いろいろな体調不良の噂がたっているのに、薬やサプリメントの類が全然見当たらない、ということです。飲んだくれの初老の男性だったら、胃薬の一つでもあるのが普通ではないのでしょうか。・・・様々なサプリメントに塗れて暮らしている私からすると、とても不自然で仕方ない・・・。「自殺はしないけれど、いつ死んでもいいとは思っているんですよ」という彼の言葉は、嘘でなかったのかもしれない。「彼女」の血糊の痕跡といい、この部屋には、うっすらとした「死」の雰囲気もまた漂っている。一つ一つの部屋の中の「存在」が、それぞれに全く異なった「時間」を背負っているかのような錯覚に、自然と陥らせてくれるのです。ハイデガーの難解極まりない存在論の哲学は、実際は「死の哲学」でもあるのですから、この部屋が、思索と哲学のための農村である、ということと、「死の雰囲気」は相容れないものではないのでしょう・・・。彼の野太い声が再びゆっくりと響きました。
     「・・・・で、昨晩お話したことですが・・・」
     「結論をいえ、というのでしたら、私の結論は同じですよ・・・もし、貴方が、生き残らなければならないのでしたら、私は、彼女とその一家は切捨てなさい、と言うしかありません」
     「私は、信じているんですよ、彼女たちを。信じるというお気持ち、おわかりでないのではないでしょうか・・・いや、失礼しました。信じる、ということは、私にとって、愛する、ということに他ならないのですよ」
     「もちろん、貴方ほどでないですけれど、私にも経験がないわけではありません。でも私は貴方と同じ立場にたったら、貴方のようには考えない。そういうふうにしかいえませんよ・・・・」
      ゴルフ道具等以外、特に何もない部屋だ、と私は言いましたが、細かいところをみれば、決してそんなことはな。正しく言えば、この部屋には私が手にとって動かせるような余分なものがないというだけのことで、場所を固定されたたくさんの装飾品がいたるところにある。この部屋の「物」は私の「自由」にならない、というだけのことなのです。
      「物」が自分をしっかりと見据えている。「時間」を背負っているのだから、物は易々と「生き物」に姿を変えて、私を見据えているという「錯覚」を完成させているのです。見据えられているのですから、不自由は不自由なのですが、しかし不自由にもかかわらず、私の気持ちは、「物」とうまく調和して、和やかになる。申し分のない芸術品に囲まれるというのはこういう気持ちなのです。・・・触るのも怖くなるようなガラス工芸品が、これまた瀟洒で触りにくい戸棚の中に、規則正しくおかれ、私達が使うグラスも、そこから取り出される。私達を見下ろすかのように(昨晩の彼の話からすればとんでもなく高価だという)抽象画が東西南北の方向に四つ飾られている。私は抽象画一般について、全然抽象的でなく、実は分析的・知能的に製作されている、と独断しているので(ピカソもブラックも私にはあまりにもわかりやすすぎる、のです)あまり好きではないのですが、置かれるべき場所に置かれると、ずいぶんいい趣を出すものだな、と昨晩からずっと考えていました。そして宝石やダイヤなど貴金属の類をあちらこちらに部屋の飾りとしておいてあるのも非常に面白い。奇妙な言い方ですが、高価なものに、この部屋は事欠かない。・・・この部屋自体を、絵も宝石も理解しない、あの「彼女」と彼女の一家に、彼の他の資産とあわせてすべて手渡してしまうというのは、どうしようもない狂気、気違い沙汰だというふうにしか思えない。
      「どれもかも、あげてしまうのですか」
      「はい。どれもかも、です。貯金も、この部屋のものも、もちろんこの部屋も。自分の会社も処分します。」  
      「無一文になって、いったいどうやって暮らされていくのですか?」 
      「私の老後は彼女が世話してくれるといっています」
      「しかし・・・・」 
      「私は信じていますから・・・」
      この部屋の中で「高価でないもの」、といえば、ただ一つ・・・楽しそうに写っている写真が壁に掛けてあります。写真の日付は約半年前です。ある女性と、その女性を囲む子供達、そして彼が、楽しそうに写っている写真です。ああ、本当に楽しそうにだな、と思えてくる。この楽しそうな半年前から、彼はなぜここまで老け込んでしまったのでしょうか。この半年で、彼は築きあげてきたものの殆どを見失い、運命を凋落させたのだ、と私の周囲の人間は彼を評します。・・・ある女性とその一家に吸い尽くされて・・・・私は彼が誰であるか、そしてなぜ私がこの部屋にいるのか、ということは最後まで明らかにはしませんけれど、前日夜からの滞在で、少なくともまずいえることは、彼の「凋落」はどうやら真実らしい。「凋落」の先にある「破滅」がどのようなものかはわからないですが、彼は、「遺言」を言いたげな懇願で、私を自室に呼びこみ、私は語りながら一晩を過ごした・・・そういうことから、前日から翌日の朝にいたる時間が始まったのでした。
    ・・・・「運命の凋落」の物語、ということですと、シェイクスピアの「マクベス」を思い出す人は少なくないでしょう。「マクベス」の主人公は、悪魔的な行為により王位を簒奪する。しかしその後マクベスは、まるで物理法則に従うかのように、その運命を凋落させ、自分が犯した悪魔的な行為と等価であるかのような残酷さとともに、転落の人生を歩んでしまう。マクベスのこの「規則正しい悲劇」が私達の心を今なおつかんで話さないのは、物語のあちらこちらで登場を繰り返す、魔女の存在だといえます。
      魔女は彼の運命を予言し、その予言通りに、物語は進行していきます。魔女は決して物語上の単なる狂言回しではありません。私達はこの魔女の登場と彼女達の予言に、栄華から悲劇、そして最後は裏切りの果ての暗殺へと破滅していく自分を実は凝視しているもう一つの自己の化身を発見するのですね。「内面の物語」としては、これから沈むことがわかっている船にあえて乗り込むという人間の不可解さと、全く同じレベルのところに、マクベスはいるといっていい。「自己凝視している自己」の存在は、物語の悲劇の要素を、より一層高めます。「マクベス」が言わんとしていることは、王位簒奪といった政治劇にとどまるものではありません。たとえば、自殺する人間はある時期から「死」についての考察を中止するからこそ、自殺することができる。さまざまな言行不一致の存在により、私たちは、悲劇を受け入れる「鈍感さ」を手に入れられるのです。犯罪を犯す人間にしても、「犯罪」についての考察と無縁であればこそ、心安く犯罪行動に身を任せられるのでしょう。しかし、「死」や「犯罪」について、その瞬間まで、思考や意識に取りつかれたまま、それらに至ったとき、自殺者や犯罪者の中には、「マクベス」の魔女のような、自己凝視する自分が出現し、悲劇は「内面の物語」の様相を呈することになる、というべきでしょう・・・。そこには血みどろのサスペンスなんかは及びもつかないような、壮絶な生き地獄が出現する。
      ・・・目の前で、酒浸りになっていて、すべてを失いつくしつつある「彼」は果たして「21世紀のマクベス」なのだろうか・・・そんな疑念が私に湧いてくる。私自身はどれくらいのレベルの登場人物になるのでしょうか?
      彼と「彼女」の正体は言わないといいましたが(私にとっては事実などどうでもよく、彼の精神状態のみが、関心の対象です)最低限の事実を羅列的に記してみましょう。
      薄暗がりの部屋の中で、起きるや否や、ひたすらアルコールを飲み続ける私の目の前の彼は自分とさほど年齢の変わらないある中年女性と恋愛関係にあります(彼はその後消息を絶ちましたがおそらくその後も今にいたるまで続いているのでしょう)彼は、前妻と離婚して、現在の彼女と恋愛関係に入りました。彼は明らかに商才を有しており、幾つかの中小企業を経営しているまずまずの資産家です。
      これに対して、「彼女」の方は資産らしい資産を何ももっていない、場末の飲み屋の経営者である。私は彼女もよく知っている(しかし彼女も消息を絶ってしまいました)彼女も離婚経験のある独身者ですが、彼女の方は二十を過ぎても働かない何人ものグウタラ息子を抱え、さらに彼女の両親は重度の障害者である。かねてから、彼女達の生活費の不足分はすべて彼の負担である。交際をはじめて七年になるらしいけれど、その間、彼は彼女たちの一家にマンションを買い与え、そのグウタラ息子たちの高校の学費も負担した。私は彼女の店の常連なのですが(常連だったのですが)経営下手で、しかも経営時間中、男性客とすぐにどこかにいなくなってしまい、アルバイトに任せてしまうような彼女の店が黒字であるはずがない。店の赤字はすべて彼が負担してきたのですが、自立心の強い彼女からすれば彼に依存しているここがどうしようもない不満である。彼女は一年前、ある男性からかなりまとまった金銭を貰いうけ、とある通販の事務所を立ちあげた。彼女からすればこの事務所の立ち上げによって、形勢を逆転できると思ったのでしょう。しかしこの事業も全くの失敗に終わる。幽霊法人のようになった彼女の事務所は、近所の噂になる。しかし事務所を閉めることだけはどうしてもしたくない。かくしてまた彼の資産に飛びついてしまう。幽霊法人の維持費も彼の懐から消えるようになる。彼はついに、彼女の一家の生活、飲み屋の赤字、幽霊法人の維持費、それらをすべて引き受けることになってしまいました。お金はみるみる消えていってしまう。近く、もっている会社の一つあるいは二つを処分しなければならない・・・そういう噂もたえない。世間的な評価では「悪女」そのものである彼女は、彼なしでは何もかも行えないにもかかわらず、その彼を人前で「ストーカー」呼ばわりするような腹いせ行為を平然とおこなう。「・・・もうこの男とは何月も寝ていないのよ・・・」なんていうことを平気で彼の前でいう。彼はびっくりしたような、しかしすぐにその驚きを物悲しさでかき消して、彼女の悪意に反論することをやめてしまいます。彼女とその一家は、彼から援助を多くすればするほど、彼に憎憎しげになっていくのですね。私の説明力の不足で彼の様子がまだほとんどわからないけれど、彼が一般的な意味あいにおいて「可哀想」な人間であり、反面、彼と結びついている彼女が「傲慢」な女性である、というイメージは何となく認識できるのではないか、と思います。・・・・そういえば、彼の声は、映画でマクベスを演じたオーソンウェルズに、似ていなくもありません。
     「もしかしたら、これでお別れになってしまうかもしれませんね・・・・」
     「ええ、彼女の性格でしたら、秘密を私に話したことを許しはしないでしょうから・・・」 
     「ごめんさない」
     「いえいえ、話さなければ、もう押しつぶされそうだったのですから、仕方ないですよ・・・」
     こうした彼女の傲慢な行為は、ある意味で非常に人間的行為であるといえるかもしれない。カントは「他人への親切は人間にとっての不完全義務であり、実は危険な行為」と言いましたけれど、繰り返される親切行為はそれを受ける人間に不平等感や屈辱感を増幅させるという一面をもっているのですね。スタンダールも「恋愛関係において、わけあうことは愛を高めるけれど、与えることは憎悪をもたらす」といいました。つまり、親切さ、援助、そういったものは一方的になされればなされるほど、関係の平等性を破壊してしまう。恋愛・性愛のように、関係性の平等がより強く前提になっている世界では、よりその「破壊」は、援助を受ける側に、激しく感受されるのです。
      いずれにしても、これほどの状況にありながら、彼はどうしても、自分が吸い尽くされていくこの運命の凋落の構造からどうしても自由になれない。さらに信じがたいことですが、電話やその店の外で個人的に話すとき、彼は凋落している自分や、自分のことを何とも思っていない、相手の女性とその家族のこと、「浮気」を繰り返している彼女の行動までも含めて、全てを見抜いている、のですね。全てを見抜いているにもかかわらず、彼は脱出を試みない。マクベスは、カント的な意味では非常な精神的闘争状態にあるのですから「道徳的」なのしょう
。柄谷行人はこのマクベスの闘争状態を「意味という病」とたくみに表現しました。・・・・21世紀の今の彼は本当にマクベス的人物としての「道徳性」を有しているのでしょうか?
       昨晩からの私の正論的意見は、どれもどうしても通用しませんでした。私の正論が通用しなかった、ということよりも、彼がどういうふうな形で「内面」から頑迷に動かないか、という形式が気にかかります。彼の中には「絶対」がある。彼にはもうそこから先は絶対に疑うことの許されない、様々な恋愛・性愛の「実質」が彼をどうしてもつかんで離さない。もう、「恋愛対象」によって彼は恋愛しているのではない。自分自身の中の何かにとりつれているとしか思えない。これはスタンダールの恋愛論からいえば、いったい何のタイプの恋愛状況にいるのでしょうか?スタンダールの言った「結晶作用」は明らかに凝固状態になっているにもかかわらず、彼の中には、「恋愛」が存在しつづけている。そしてそういう状態の中で、彼の中では「闘争状態」が生じているのでしょうか?
  そうではないように思えます。彼が繰り返す「私が信じている」は、やはり、善なる行為であって、サルトルの「信じることは信じないことである」という「信じる」原理がもたらしてくる、ひっかかりや負い目を背負っていない。奇妙にも、彼の観察眼の鋭さと、彼の恋愛についての「思考停止・感受停止」は、両立している。彼は、結局、おそろしいほどの「善人」にすぎない。「善人」だからこそ、「破滅」も受け入れる。カントは「イサクを殺せ」という神の命令に従った旧約聖書のアブラハムの例をだし、無条件に「神」を受け入れて信じたアブラハムは「私は信じてはいますが、貴方が神であるかどうかはこれからも永遠に定かではないでしょう」と考えるべきだった、といっています(このカントの記述は、有神論者としては非常に矛盾したように思えます)「善人」は、「神」を、「恋愛」を、「信じる」を、「善悪の躾」よろしく受け入れ、「善人を演じている自分の自己愛に気づかないくらいに他律的に」あり続けることができてしまう。
       そして、だからこそいえることだと思うのですけれど、彼はある意味で「白痴」のムイシュキン公爵のような純粋さをもちあわせている「善人」である。ムイシュキン的人物が、金や女性に恵まれてきた、ということはなんとなく奇妙ですが、ムイシュキン的人物は、実は様々な「他律(他人語)」を受け入れる、という可能性をもっている欠点をもっている、ともいわざるをえない。彼は「他律」の世界でのみ、成功や成長を繰り返してきたのであって、その根には、「純粋」が根を張っている、ということがいえる。マクベス的な能力でさえ、その「他律」の中で、養ってきたのかもしれません。「純粋」というのは、実は私たちが考えている以上に、この世界のあちこちにあって、これからもあり続けるものなのです。「信じる」ということの思考停止・感受停止と比較にならないほどの「躾」の世界に、「純粋」はおかれているということができそうです。「機械仕掛けの世界」と「予言通りに進行してしまう世界」は違います。後者は悲劇的ですが、前者はどうしようもなく退屈に喜劇的である。
     「吸いつくされますよ・・・」
     「いや、彼女と彼女の倅たちの食いっぷりからすれば、私は食べつくされていくんですよ・・・」  
     「食べつくされる?」
     「ハハハ、私と違い、家族揃って、あれだけ太っているんですからね・・・」
     ・・・目覚めた私は、食べ物の話を思い出しただけで、ひどく空腹感がありました・・・何でもいいから何か食べたい。私はどんなに大酒を飲んだ後の二日酔いでも、翌朝は必ず空腹になる。しかしこの部屋には、いろいろな高価なものには事欠かなくても、なぜか食べ物らしきものが、いや食べ物らしきものだけが、見当たらない。言い換えればあらゆる贅沢品に事欠かないような雰囲気の中で、なぜか空腹感を満たすものだけが存在していない。彼は昨晩の深夜までのいろいろな話の時そのままの優しい表情で、アルコールの魔にすっかりやられて、ソファーに横になっている私に、彼は、新しいウイスキーの瓶をおいてくれました。「お望みのものは何でもありますよ・・・」と彼は言いたげである。普段、外の酒席でも、彼は私がすすめてもいっさい食事を摂取せず、さらには水分らしい水分も摂取しません。ようやく起きた私の緩慢な動作に比べて、彼の行動は、非常に機敏でさえありました。まるで修行僧のような規則正しい行動ですが、「修行僧」は「修行」を積むかのように、起きるやいなや、私のソファーの向かいに腰をおろし、数時間前の行動を再開するかのような、機械的な手つきで、ひたすら、目の前のアルコール(焼酎)を摂取し、毒針の修行に耐えるかのように、飲みはじめました。もしかしたら、彼は一月くらい、食べ物らしい食べ物を摂取していないのかもしれません。もちろん、彼は減量をしているのではありません。食べたくない、という以上のものでないもの、なのでしょう。ぼんやりから段々と抜け出していく意識の中で、食べ物らしきものをおかないことが彼の一番の贅沢なのかもしれないな、と私は考えていました。・・・「何も食べない」ということは、やはり何かの強烈な精神行為である。その「食べない」は、なぜか「信じる」や「純粋」といった、彼の他律的な行為や精神要素の脆さやいかがわしさと比べて、全然本質的な行為になっているような気配でした。
      私自身はひどく空腹でしたけれどしかし、全然「不満足」というものはありませんでした。なぜなら、それに代わるものが私の中になんとなくあったからです。頭の中のバラバラなイメージが湧いてきて、昨晩の議論が一つ、また一つ、思い出されてくる。
      空腹感は満たされないですけれど、「空腹ということは何か」ということについては、夕方六時くらいに彼の部屋に入ってから、議論にくたびれ果ててついに横になるまでの十時間くらいの間に、幾度となく話しました・・・・「どうすれば空腹感が満たされるのか」ということでなく、「空腹感を感じるということはどういうことなのか」ということ・・・「私自身は、どうやって、という話にはくたびれ果てました、お腹がすいたときでも、買うことよりも考えること方に取り付かれるんですよ」・・・そういうと、やはりそのときも焼酎の杯を傾けていた彼の返答が返ってきます「仏教での空腹その他の修行ということが、どうしても、物を大切に、ということからくるものとは思えないですね。欠如ということが、そのものの逆に実体化させて因果関係といものを存在させてしまうんじゃないのでしょうか」・・・というようなことを言います。こうして「無が存在させられている」という具合に、話が侃々諤々と進んでいく。昨晩の私はずっと私は夢を見ているようでした。ビジネスの世界にこういう人間が実在したのだ・・・そう私を感動させるような、すばらしいセンスをもった人物である。しかし、その感動も、たった一晩で終わりを告げる・・・・そして、それほどの彼が、やがては食べつくされていく・・・・。出口を求めようとして「出口なし」に陥る。これが「善悪の躾」に陥った恋愛と性愛のいっさいすべてではないか、と私は思います。・・・・彼の予言の通り、その日は、私が、彼を見た最後となりました。彼と彼女の一家は、私の前から消息を消していきました・・・。「哲学の部屋」「思索の部屋」で起きた、わずか一日だけの小さな喜劇・・・すべてがまるで、機会仕掛けの世界の一部であるかのようにです・・・。
       
    

「私服」の思想と「公服」の思想
   「私服」の思想と「公服」の思想   
             ・・・・「戦争」と「平和」を巡る断章?
                                                     
  最近、何回も製作が繰り返されるシリーズが少なくなってきた中にあって、意外なくらいの国民的人気を得ていると言っていい映画シリーズに水野晴郎さん監督の「シベリア超特急」シリーズというのがあります。はっきり言って、映画史に残る、というような超大作ではありませんが、たくさんの映画に触れてきた水野さんの映画人生の知識や思い出を、主演を兼務する水野さんによってコミカルにまとめている作品シリーズで、もしかしたら、これからの時代、こういう表現方法というのもあってもいいな、と鑑賞していて思えます。この通称「シベ超」シリーズのは固定ファンもついたらしく、いつの間にか5作、6作というふうに作品数を重ねてきていて、私も知らない間にこのシリーズとの付きあいができてしまったのですが、作品の出来についての賛否両論は別として、贔屓目を差し引いても、まず何より、この作品の設定は非常に面白いものだといえると思います。
  時間(時代)設定は、ヨーロッパで既に第二次世界大戦が開始し、ドイツがヨーロッパの大半を征服し優位に戦いを進めている1941年前半です。物語の場所はその戦乱のヨーロッパを日本陸軍を代表し歴訪しシベリア鉄道で帰国の途についている日本の山下奉文将軍の乗るサスペンスの雰囲気に満ちた汽車の中、です。この時期、ドイツはヨーロッパのほとんどを征したとはいえ、まだアメリカ・ソビエト・日本という面々は参戦しておらず、世界大戦としての二次大戦は本格化する前の不気味な時間的緊張の中にあり、その緊張感が、汽車の中のサスペンスの緊張と、妙に符合するように、物語世界は展開されます。御覧になった方はわかると思いますが、水野さん演じる山下将軍はなかなかの名演(迷演?)です。
       まず山下将軍が「喋る」ということ自体が、物語的なのです。山下奉文将軍というのはシンガポール攻略戦や戦後の戦犯処刑などで名前自体は非常に有名で、エピソードも豊富であり、海軍の山本五十六と並ぶ、当時の「国民的英雄」なのですが、多弁な活動家であった山本五十六に比べ、どういう思想信条の持ち主であったかは、実のところほとんど謎に包まれています。「エピソード」と「思想信条」は、「英雄」にとっては別物で、前者は決して後者をあらわさない、ということを、山下将軍の歩みは示しているといえる。たとえば有名なパーシバル将軍への「イエスかノーか」という場面についても、山下自身が別にイギリス人に高圧的であったということではなく、突き詰めれば突き詰めるほど、「誰に対してもはっきりした表現方法を好んだ」という山下の性格的傾向が現れるばかりなのです。彼が記録たりうる「自分の言葉」を残していないからです。エピソードについて考えれば考えるほど、彼の正体は不明になってしまう。最近、山下奉文の伝記を記した福田和也さんは、実は非常にスクリーン的なヒーローであった山下将軍の謎を執拗に追いながら、彼の言葉のあまりの不在がゆえに、山下将軍という可能性のある森林をようやく言い当てることができた、という感触をその伝記に記していましたが、こういう意味での「無口」が映画や小説などの表現世界にとっては、非常に魅力を感じさせてしまうことはいうまでもありません。「エピソード」のみがあって思想信条が不明である、すなわち内面的な正体が不明である、ということにおいては、古代日本の伝説的人物をフィクションの対象にする魅力と全く同じであるともいえましょう。卑弥呼といいヤマトタケルといい神功皇后といい、表現者はエピソードのみしか存在しないそれらの「謎の人物」に言葉を語らせるまさにそのことによって、過去を創造できたような痛快な錯覚を感じることができるのです。山下将軍もまた同じです。
        水野さんは別段、口喧しい平和主義者ではありません。しかし水野さん本人が演じる山下将軍は繰り返し、しかも物語的に脈絡なく、「戦争はいけないんだ」というシンプルな台詞を繰り返し繰り返し、言わせます。「シベ超」の世界は、戦争そのものが描かれているのではなく、「戦争」は体験談としてしか登場しない。山下将軍にいたっては、それは「未来の体験談」でさえある気配です。だから説得力はぜんぜんありません。しかしこのあまりの単純語・・・正直言ってくだらない単純語が・・・このほとんどコミカルな映画の中で、妙に無視できない言葉であるような気もしてきてしまう。映画全体が茶化されているので、「戦争」という言葉さえもが茶化されているのです。
     「戦争はいけないんだ」というくだらない単純語の「戦争」が、平和主義者の言う「空語」としての近代国家間の「戦争」だけでなく、美しい独立戦争、革命的内戦、ファシズムへのレジスタンス、こういうすべてのものを意味する「戦争」であるためには、密室での何気ない言葉である必要があるのかも知れません。つまり徹底した空語であることによって、抽象性を飛び越して普遍性になる。「戦争はいけないんだ」ではなく、「戦争はいけないんだ、と私達に言わせてしまうくらい戦争は妙なものなんだ」というふうに聞こえてくる、といえましょうか。「革命」という言葉などもそうですが、あまりに手垢にまみれた言葉には、そういうことが言えるような気がします。「戦争はいけないんだ」という言葉を、山下将軍の存在感とともに、謎めいた方向へ引っ張ってくれるだけでも、この「シベ超」シリーズを鑑賞する意味はある、と私は思います。
        「戦争はいけないんだ」、いつもだったら、私はあまりにシンプルすぎる言葉には、ほとんど条件反射的に反発します。不愉快でさえある。まず、言葉としての反発であり不愉快です。私にとって「戦争はいけないんだ」という言葉は、あまりも後ろめたくて使えない言葉です。テレビキャスター、小中学の教師、宗教団体の教祖、与野党の国会議員・・・誰もが当たり前のように語る言葉ですが、そのほとんどがカントの倫理学が言うところの「他律(他人語)」にしか聞こえてこない。つまり、私自身にも、その彼らにも、「戦争」ということが、自分の精神的闘争状態の場に全く登場しない。「戦争はいけないんだ」ということで、実は戦争についての感情や思考を中断することが許されてしまうのです。こうしてこの言葉は、いろいろな人間を、虚しく饒舌にする。ますます不愉快になる。
    「他人語」の反対は「自分語」ということになりますけれど、もちろん、戦争の場にいたかどうか、ということが「自分語」の成立の絶対条件ということではありません。戦争経験者でも体験談しか語れない「他人語」を語る人はいるし、戦争未経験者でも想像力と探求から、「自分語」を語れる人はいます。私としてみれば、「戦争がいけないのかどうか」ということは、さしあたって、結論を先送りすることであっていいでしょう。人生の最終段階で結論が出なくてもかまわないことだとさえいえます。戦争ということについての根本問題は、「いかにして戦争をなくすか」ではなく、「戦争」あるいは「平和」という概念が、どうしてかくも私達を饒舌にし無思考にするのか、ということを考えなければならない、そこの不思議さに目を向けることからはじめなければならないのではないか、そういうことではないかと思います。
    「平和論」も、現代の平板で退屈なものから遠ざかり、古の書を紐解くと、なかなか面白くて退屈しない、読んでいてびっくりするような「奇書」があるものです。たとえばカントの「永遠平和のために」は平和論の古典的著書ですが、この書をひらくと、「共和国どうしは戦争を欲しない」という実に奇妙なロジックがいわれています。そして戦争は「君主国どうし」あるいは「君主国が共和国に挑む」形で発生する、という。カントの言う「共和国」はおそらくデモクラシーの度合いが高い国のことの言い換えであり、その中にイギリスや現在の日本のような民主的君主制も含まれ、「君主国」に、形式的には共和国でも実際は独裁者が王朝的に君臨しているような北朝鮮のような国、を意味するのだとしても、このカントの戦争観はあまりにも杜撰で稚拙だといわなければなりません。
    膨大な反証例が可能であり、カントが生きていた時代の革命直後フランス共和国から現在のアメリカ合衆国まで、むしろ民主主義国家の方が好戦的団結が強い、とさえいえます。カントによれば君主国家(あるいは君主的国家)は一部の人間の独断で重税や徴兵といった巨大な浪費を伴う戦争行為を決断しやすいけれど、共和的民主主義国家はそのような浪費を避けようとするから、戦争は起こしにくい、ということなのですが、もちろんこんな説明も成立しない。しかしカントの戦争観をすぐに嘲笑できないのは、この戦争観が、現実的政治から学問世界まで、いろいろなところに脈うっているということです。第二次世界大戦の正義的国家群と反正義的国家群の図式的対立の愚など、カントが考え出した堅苦しい「原理」に従うものだといって差し支えないといえましょう。こういう戦争観こそが、カントの意思とはおそらく正反対に、私達を戦争について無思考にし、そして饒舌にする、ということがいえる一例ではないか、そう私は思います。
    たとえば倫理学者ジョン・ロールズは(私に言わせればロールズほどの人物が)このカント的な図式を応用し、二次大戦時の連合軍の日本への無差別空爆や原爆投下は倫理的に違法であり、比べてドイツへの無差別空爆は違法ではないといいました。つまり、民主主義度が必ずしも低いとはいえない日本と、民主主義連合である連合軍の戦争は起こりうる戦争ではないが、連合軍と民主主義によって完全に敵対的な国家であるドイツの戦争は起こりうる戦争である、なぜならば本質的に戦争を欲しない民主主義国家の方が滅ぼされすいためでありそのための攻撃は過剰なものであっても許される、という価値観が働いているのです。この場合の「起こりうる戦争」というのは、「起こりえない戦争」ということでもありましょう。ロールズの思考はナチスドイツとの区別を欲する日本にとっては一見すると嬉しい言葉に聞こえなくもないかもしれません。しかしその根底にあるのはとんでもない欧米中心的中華思想だともいえるでしょう。またたとえばレーニンは「社会主義国家どうしは戦争は起きない」という、これまた中越戦争や中ソ紛争で簡単に覆された戦争観を言いましたが、「社会主義国」を「共和国」と読み換えれば、これはカントの平和国家論の移し変えであり、ロールズの言うことの変種であることが理解できるでしょう。
    ところが、加藤尚武さんの解説と紹介に従いヘーゲルを読むと、ヘーゲルはカントとは正反対のことを言っています。彼は共和的民主主義国の方が、「個別的なもの」と「全体的なもの」の関係が明確であるため、国民は戦争で散財や死を選択しやすい、と解いているのです。「個別的なもの」を自衛するものとして「全体的なもの」が存在すると考えているのだから、国民は国家の戦争行為に納得しやすいのだ、ということです。またヘーゲルの国家観に影響を与えたといわれるマキァヴェリは、長期に渡り民主的共和国を維持したいと思わせるならば、適度の自衛力を保持して相手を容易に攻略できないと思わせることが絶対的原則である、なぜならば征服したいという願望と征服されるかもしれないという不安を同時に抱くのが相手国というものだからだ、といいましたが、20世紀を経験した私達にしてみると、対内的にも対外的にも、このヘーゲルとマキャヴェリの戦争観の方が遥かに正しく常識的な原理を説いているということを、その後の戦争の歴史が証明しているといえるでしょう。
    カントは「戦争はいけないんだ」ということを論理的に言おうとした最初の近代人であると同時に、実のところ、「戦争はいけないんだ」ということについての考えを間違えた最初の近代人であった、ということがいえるような気がします。しかし最初に間違えた人であるからこそ、そこに私達が「平和」について間違えやすい様々なことを読み込むことができる、という逆説も、カントの平和論の中に、私は感じとれるのではないかと思います。
    カントの平和論をさぐっていくと、その平和観は、実は、国家観に平行移動された個人観であることがよくわかります。彼の国家観は、国家というものに人格的統合を認め、国家と個人を、非常に近いものとして捉えています。ここがカントという人の説教臭いところだともいえますが、もちろん、国家に人格的統合を認めるということが「国家」と「個人」を何もかも同一視するということはできないとしても、「個人」を背後に控えたカントの国家観というのは、個人観と連動するような、硬直化したものを絶えずもっていると言わざるを得ない面があります。ここのところの飛躍や誤謬が、現代の平和論の硬直を想起するにつけ、実におもしろいのです。カントの国家観を法人とのアナロジーで考えようとする立場もあるようですが、やはりカントはその場合でも限りなく「法人」を個人をモデルにして考えていて、私の考えるところ、カントの国家観は、いろんな意味で、個人のとらえ方(在り方)に近いとしか思えない面があるといえましょう。
     ではカントにとって「個人」とは何なのか。たとえば先述の、共和国的民主主義は浪費をさける傾向にある、という彼の見解ですが、カントは完済できないような負債を引き受けることは、人格的統合の集団としての国家としてはありえない、といいましたが、そんなことは全くの空論であることは、まともな頭で世界情勢を観察する人間ならば誰しもわかることです。彼の平和論をもう一度追ってみると、「永久平和のために」あるいは「人倫の形而上学」などに、国家は個人と同様、「道徳的存在」である、という言葉が繰り返しよく登場します。この「道徳的存在」という言葉に注意を払う必要があります。「道徳的存在」ということは、「道徳」という言葉を私達が日常、カントとは全く違う形で使っているため、読みすごしやすいです。
     カントの道徳的判断というのは、「何が適法行為か(正しいか)」ということの実質的判断についてはほとんど無関心である。実質論ではないということです。「適法行為」と「非適法行為」の区別という面においては、カントの倫理学はほとんど実践的な意味をもたらしてくれません。「何が適法行為か」ではなく、「適法行為」を演じている人間の中にこそ、非倫理的な悪が強く潜んでおり、その非倫理の根拠である自己愛が、そうではないような形で棲んでいる、という倫理学の構成をとるのです。これは私達の日常的常識からややかけ離れた人間観があるといえましょう。
    だから「自己愛」や「エゴイズム」が存在するということそのものが悪いことか、というと、そういうことではない、ということになります。自己愛やエゴイズムにまみれながらも、それらに敵対するような何らかの非自己愛・非エゴイズムとの出口なしの生き地獄のような精神的闘争状態、そこにしか根本的な「善」はなく、その精神的闘争状態そのものが「道徳的」だ、ということになるのです。ですから、非自己愛の姿に化けた自己愛を演じさせている「善人」こそが「反道徳的」であり、それに対して、犯罪を犯しても、激しい道徳的闘争状態に置かれている人間には「道徳的」である道の可能性が開かれていることになります。そして「闘争状態」の例として、初めから適法状態が定まっているかのように語ることを「他律(他人語)」といい、これこそが、最も忌むべき反道徳状態ということになる。これがカントの倫理学のアウトラインです。このようなカント倫理学は、一見するととても魅力的なものに映ります。なぜなら、「罪と罰」のラスコーリニコフのような人間こそ・・・自分の弱さがゆえに精神的闘争状態に陥っているからこそ・・・「倫理的」である、という結論が導き出されることになるからです。
     カントが「国家が道徳的存在である」ということは、こうしたカントの倫理学を前提としなければなりません。そしてそれはカントの個人観でもある、といえましょう。するとカントは、「戦争」について、道徳的個人や道徳的国家が「精神的的闘争状態」すなわち「道徳的」状態に陥った結果、戦争状態を選択するということがある、ということも認めるのではないか、というふうにとらえるのが自然ですが、実はここに、カントの思想の大きな落とし穴があるのです。
たとえばカントは、「自殺」を絶対的非適法行為と考え、「道徳的状態」の対象から外してしまっています。私は全くそう思えないのですけれど、「自殺」はたとえそれが自己愛に基づいたものであっても、道徳状態を形成することはない、というのです。有名な話ですが、カントは「嘘」についてもほぼこれと同じことを言っている。凶悪犯に追いかけられてきた被害者が逃げ込んできて隠れているとき、私達はその凶悪犯に対しても「嘘」を言うことはできない、といいます。なぜ「自殺」や「嘘」が例外であるかということの論証は曖昧で、成功しているとはとうてい言いがたい。カントは実は独断的に、そう考えているにすぎないのです。カントは「性愛」の世界についても、「性愛」の世界がく「道徳的」たりえない、という独断から、性愛の世界に自分の倫理学を応用することを全く拒否しています。こうして、性愛についてのカント倫理学の応用、ということは、カント自身の意図からは全くかけ離れたことだ、とういうことになってしまうのです。しかし本来ならば「自殺」「嘘」「性愛」という世界にこそ、生々しい「精神的闘争状態」が想定されるべきなのではないでしょうか。そして実は、「国家が道徳状態にある」という時、独断的に「戦争」を例外的な道徳対象においてしまっていて、そのことが、延々と奇妙な、戦争についての非現実的考察を形成しているのではないだろうか、といえそうな気がしてくるのです。彼の楽観的平和主義は、単に彼が暢気な平和主義者であったから、ということではない。だからカントと二十世紀的な平和主義者を同一なものとは混同できないですけれど、「戦争」を、人間の思考対象の例外というふうに考えることは、やはり何処かで同一性があるのだ、というふうにいえることもできる。いずれにしても「永久平和のために」という本は、いろんな意味で、つまりカントの世界の考えの中でも例外的なものだという意味でも、「奇書」だ、ということができるように思われます。
     もう少しカントにこだわってみると、本来ならば、カントの倫理学というのは、「非自己愛」「非エゴイズム」の振りをしてその実は「自己愛」「エゴイズム」でしかない、20世紀的な平和主義者や平和国家論を破砕する、最も有効な論理的な手段の一つであるはずです。しかしながら、カントの平和論はその独断によって、逆方向に向いているようにみます。ニーチェはカントについて、「形而上学の終焉に気づき、その破壊を鮮やかに開始しながら、いつのまにか檻に戻ってしまった、狡猾な狐のようなキリスト教徒」と喩えましたが、カントが狡猾かどうかは別として、何も形而上学だけでなく、彼の平和論・戦争論においても、そういう傾向が見られるのではないだろうか、と私は思います。「永久平和のために」は、私に言わせれば、それによって、偽善的な国際理想主義の根本的批判が可能であるにもかかわらず、正反対に向いた、まさに二ーチェの言うところの「檻に戻ってしまった狡猾なキリスト教徒」の書ではないだろうか、と思います。ならば、それを逆に向かせることなく、そのままあてはめてしまう、ということは可能でしょうか。
      「戦争」が、カント的の道徳形式の考え方に馴染まないということは、絶対にいえない、と思います。まずは個人のレベルでの例示をさがすため、再び20世紀の大東亜戦争の日本軍人の世界に戻ることにしましょう。大西瀧治郎という海軍軍人がいます。山下奉文将軍は「シベ超」シリーズの主人公ですが、大西提督は、昭和30年代の東宝の戦争映画の花形的主人公で、鶴田浩二さんがよく演じていました。山下将軍が寡黙なゆえに謎の軍人であったとすれば、大西提督はその饒舌がゆえに謎の軍人であったということができるでしょう。大西提督は戦史上は「特攻隊の父」とよくいわれる人間ですが(厳密に言えば、彼以前にも体当たり的特攻は数多く存在しました)彼は日米戦開始直前には山本五十六たちとともに対米戦突入反対の急先鋒であり、戦争開始後も講和推進派といってよい存在でした。また山本や井上成美と同様、戦前の非常に段階から航空機戦術論者で、大鑑巨砲主義を否定していたことから伝えられるように、合理主義的思考の持ち主でもある。また彼は、戦局が悪化した後、内地に戻ることがある度に、庶民の人々に「私達軍人の不手際で国民である皆さんに苦労をかけて本当に申し訳ない」と詫びる卒直さがありました。つまり典型的な海軍の良識派的首脳であったということができるでしょう。
      しかし、映画にせよ、歴史的にせよ、この頃の大西が語られることはほとんどありません。「特攻隊の父」であるという評価以上に、彼が鈴木貫太郎伝や米内光政伝、阿南惟幾伝などを通じ、あるいは映画を通して、苦々しく伝えられるのは「狂人」と化してからの大西です。1944年秋、戦局が極めて悪くなった段階で、フィリッピン方面の基地航空隊の責任者であった彼は、苦渋の末に、神風特別攻撃隊の編成をレイテ島海戦の一回限りで決意し、自由志願を絶対条件として、実施します。十数名の出撃直前の神風隊員を前にして講話する大西の震えながらの涙ながらの演説は、彼が軍事的指導者として珍しいほどの、人情あふれるヒューマニストだったことを伝えています。ところが、ある意味で大西の意の通り、この小規模の神風攻撃は予想以上の戦果をあげてしまいます。艦隊のほとんどを失ってしまった日本側としても他に戦法がなかったため、以後、終戦までの10ヶ月間、海軍攻撃の主方法に変貌してしまいます。しかし、豹変したのは海軍の攻撃戦法だけではありませんでした。この大西が180度、別人のように性格を変えて、気が狂ったような徹底抗戦派になってしまうのです。そして、私に言わせれば、この時期の狂人的な大西というのは、山下奉文の人生の全体についていえるのと同時に、「無口」な存在なのです。狂ったように喋っているように思えて、その言葉のほとんどは、後から考えれば、映画の中の山下将軍の言葉のように、「空語」なのです。彼は、狂人のように喋り続けるという「無言」を選択したように思われます。
       この大西の性格の変貌の凄さに関して様々なエピソードが伝えられていますが、とりわけ有名なのは8月12日の話です。大西は終戦時には軍令部次長の要職にありました。8月12日の段階というのは、強硬に徹底抗戦を主張していた陸軍ですら、ポツダム宣言受諾に原則的に賛成し、ただ一点、皇室の地位の確認のため、不明確に思われた連合国にもう一度この点だけを再照会すべきだ、という意見が一般的な「強硬派」なっている時期です。この日、再照会を主張する阿南惟幾陸相と、再照会に反対する東郷茂徳外相の押し問答の会談の場に大西はあらわれます。そこで大西は、「あと二千万人、二千万人の日本人が特攻に出れば必ず、必ず勝てます!戦争を継続してください!」という狂人めいた言葉を言い、東郷はもちろんのこと、阿南さえも唖然とさせた、ました。あるいは、終戦への方向性を討議する御前会議の場に威嚇のために軍刀をちらつかせて現れ、温厚で一言も他人を怒鳴ったことのない米内海相に「大西、神聖な宮中でに刀を持ち込むとは何事だ!」と大声で叱り飛ばされた、という話もあります。大西は終戦に同意する昭和天皇を人前で堂々と批判したとも伝えられ、あるいは大西と会うのがストレスのあまり、寝込んでしまった海軍首脳もいるといいます。
    とにかく終戦工作を妨害する大西の行動のエピソードはどれもグロテスクなほど異常なのですが、どうして彼がこんなふうになってしまったのかといえば、疑いようもなく、特攻に出撃する青年達の純真な目をその都度見つめるうちに、彼自身の深い人間味が、何ものか別のものに変貌してしまった、ということになるでしょう。私は歴史的には、鈴木首相をはじめ終戦工作に心を砕いた人たちを尊敬しているので、あらん限りの妨害をした大西はすぐには決して好きになれない。しかしそのこととは別に、彼ほど、カント曰くの「道徳的」な人間はいない、ということが実はいえるのではないでしょうか。あるいは、山下将軍と同様、「エピソード」と、その人物の内面は全く別のものである、ということが、不思議と理解できます。一般的な良識からすれば、彼のひどいとしか言いようのない数多くの言動は、どれも、精神的闘争状態の中で、吐かなければならなかった、空しい言葉、「空語」だったのだ、ということです。
      やがて終戦の日が来る。多くの人が伝えるところによると、彼はその瞬間から、別人と見間違うが如き穏やかなな人間になってしまう。つまりかつての彼に戻ったのでしょう。終戦の翌日、静かで格調高い遺書を記し、彼は割腹自殺します。180度の豹変は、かくして360度の豹変になった、ということでしょうか。その大西の遺書の終わりに、これからの若者に向けて、「永遠の世界平和のために尽くしてください」という言葉があるのですが、私に言わせれば、これほど感動的な「平和」という言葉はない。その言葉が「他律(他人語)」でないことは言うまでもありません。彼は自分の手で、特攻隊という、自分の思想と矛盾を演じざるをえなかった。それから10か月の時間、彼の精神状態は、まさしく精神的闘争状態にあったということができます。「戦争に勝利する」という国家目的(国家としての自己愛)と、「特攻に散っていく罪のない純真な若者の命を一人でも助けたい」(国家としての非自己愛)の間の中で、彼ほど苦悩した人間はいないでしょう。その中にあって、その中にまみれる中で、人生の最後の言葉として、「永遠の平和」という言葉を選択したのです。常識人と狂人を行き来した大西はカントの倫理学に反して、「戦争」の場にありそれを推進し、さらには「自殺」もした人間ですが、しかし実にカントの倫理学にふさわしい人間であるということができると私は思います。「戦争」という世界は、カントの意思に反して、道徳的でないどころか、最も激しい「精神的闘争状態」すなわち道徳的状態をもたらす、ということがいえるのではないかと私は大西のエピソードを読む度に思います。カント的な倫理形式を修正することは充分に可能であると思います。
    「国家が人格的統合である」という、もう一つのカントの飛躍的な思考形式に関してはどうでしょうか。たとえば湾岸戦争時、西部邁さんは「ルール違反を犯した強盗(イラク)に関して、被害者(クウェート)を世間(世界)が支援するのはあまりにも当然だ」という喩を展開し、日本国憲法的価値観にしがみついている国内の平和主義者を厳しく批判しましたが、西部さんの結論は正しいとは思いますが、西部氏も実はカントの「人格的統合としての国家」論に近い国家論に基づいて、議論を展開しているように私には思われます。当然のことながら、調停役的な第三者が存在する個人間の私闘と、主権間の間に潜在的な戦争可能状態があり調停的第三者が存在しない国家間の戦争では、さまざまなレベルで、ニュアンスが異なる、ということが、現実的国際政治の基本だといわなければならないでしょう。
    にもかかわらず、西部さんをはじめとする平和主義批判者の多くが、平和主義者の不自然さを批判するために、個人の喩を展開しています。西部さんの喩が正しいレトリックとして成立するためには、「国家」が家族共同体に近いものである、という了解が必要になると私には思われるのですが、家族共同体に人格的統合を置く人間、ということと、「人格的統合としての国家」論は、表裏一体のものだ、というふうに思うべきです。だからカントの喩えも西部さんの喩えも、戦争の賛否ということでは価値的には対立するように見えますが、実は同類的であるということができます。注意しなければならないことは、こうした国家観・戦争観は、国家の戦争権の無制限の解禁を禁じる傾向にある、ということができる、ということにあると思います。個人の喩の世界には、個人の私闘権の無制限の解禁を禁じる「何か」を想定するからこそ、その喩の世界が完成するということになるからです。
    たとえば、戦争についての倫理学的立場は、国家の戦争権を無制限に認める立場、自衛的段階において制限的に認める立場、そして一切の戦争権を認めない絶対平和主義の立場に大別できますが、少なくとも第一の無制限主義は、この「人格的統合としての国家」論からは論理的に導かれないでしょう。
    これに対し、たとえば、前述のヘーゲルのリアリズム的な戦争観には、「国家」というものに個人の自己実現の全面的可能性という、ほとんど宗教的なニュアンスの国家観がおかれていて、おそらくヘーゲルは、西部さんのように、個人の喩に国家の喩をもたらすことは否定的でしょう。ヘーゲルは「自分がそのために生き、そのために死んでもいいと思うような、普遍的な理念」が、国家には宿っている(宿るべきである)といいます。こうしたヘーゲルの修辞学は、近代国家がナショナリズムをたちあげるときに、必ずといっていいほど構築する国家理念です。しかしこのヘーゲルの国家観も、よく読めば、トマス・モアやホッブスが、個人を超えた「巨獣」として警告的に把握した個人を超えたものとしての「国家」を、言い換えたものに過ぎないことがわかります。個人間の私闘状態を解決するという、人類の長年の理想状態を解決する理想的な主体であるからこそ、「そのために死んでもいいと思うような普遍的な理念」を有しもするし、「巨獣」でもある。旧約聖書ではジェノサイドの権化だった神が、新約聖書では無言の優しい神に変貌したが如く、両者は表裏一体なのです。こうした「個人」か「非個人」か、ということは、戦争観ということに関して、様々な側面で微妙なニュアンスの相違をもたらしてくるように思われます。ほんの一例に過ぎませんが、こうした相違を踏まえて、「自衛権」ということについて以下、ざっくばらんに考えてみましょう。
     ここで再び水野晴郎さんの登場なのですが(映画評論家としての水野晴郎)小学校時代、どういうプロセスで登場したのかはさっぱり忘れてしまいましたけれど、「こんな世にも恐ろしいアウトローの世界があったのですよ」というふうな説明とともに、私は西部劇の写真を授業中見せられたことがありました。小学生高学年の時分だったと思います。「アウトロー」という言葉をおぼえているということは、意味がよくわからなくても、その英語が理解できるくらいにかなり強烈な写真を見せつけられた、ということになのでしょう。お蔭様で、私はそのままあやうく、西部劇の世界を「アウトロー」そのものの世界だとすっかり信じ込んでいました。中国や韓国での腹立たしい反日歴史教育は数え上げればキリがないですが、しかし私が受けたこの「アウトロー」教育というものも、実のところは、ずいぶんと杜撰な一種の反米歴史教育だった、といわざるをえないでしょう。しかしその数日後、たまたまロードショーで流れていた、とある西部劇映画の水野晴郎さんの見事な解説は、それを実に丁寧に否定していました。つまり、よく考えれば当たり前のことなのですが、西部劇の世界は、アメリカ合衆国独立後の世界、すなわち「法治国家」の時代の話である、彼らはデモクラシー的手続きによって制定された「法」に従っていたということをよくふまえて、西部劇を見なければならない、ということを、水野さんはきちんと指摘されていました。
       その上で西部劇映画を見ると、確かに、「正義」を気取るガンマンの多くが、相手が射撃スタイルに入るや否や、こちらから射撃する。実はここにガンマンの「正義の法的テクノロジー」がある、のです。彼の射撃技術、という意味での「テクノロジー」ではありません。どうしたら、そういう場にまで憎い相手を追いやることができるのか、という、実に人間的、総合的な意味での「テクノロジー」です。しかもそれは、法的に自分がいかにして違法にならないか(正当防衛が成立するか)という意識と密接です。そうでなければ、合衆国憲法と州刑法に逆らい逮捕起訴されてしまうことになってしまう。当然、ガンマンの行為は過剰防衛行為に該当する可能性はあります。が、それは近代刑法にすっかり馴染んでいる私達が言うことであり、少なくとも、ガンマンの中には既に近代的な意味での「法」意識は確かに存在しています。ゆえに、アメリカ西部劇の世界は、アウトローな世界ではなく、まさに法治国家であるからこそ、単純な殺戮ドラマにならない、という独自の世界を形成しているのだ、ということができます。繰り返しになりますが、アメリカは西部だろうがどこだろうが、合衆国憲法をはじめとする近代的法体系の中にすっぽり覆われていたのですから、刑法的価値観は、刑事裁判での買収など日常茶飯事だった当時の中国(清)や、やはり階級差によって違う刑法法規が適用されていた当時の日本(江戸時代末期)よりも、ずっと現代人である私達の感覚に近いものがある(あった)と、とりあえず言っていいでしょう。かくして、巧みにも多くのガンマンは起訴されることなく、再び法治国家アメリカを渡り歩くことができる、という物語が完成されことになります。
      しかしこのことは、言い換えれば、むしろ逆に、アメリカ人の正当防衛観は、依然としてこの西部劇の世界から踏み出していない、ということも示しています。そしてこれも西部劇の世界においてはよく見られるシーンなのですが、攻撃準備を行おうとしている敵方のガンマンの集団に「自衛権」という名の先制攻撃を仕掛けることは許されるのかどうか、という問題も登場します。面白いことに、こういう意味での「自衛権」の行使をしたガンマンを逮捕起訴しない保安官も少なくないのです。
      「個人の人格的統合」が国家であるということなら、こうした自衛行為の是非は、アメリカ文化の特殊性という比較文化論に解消してしまう可能性が高く、そしてそれがゆえに、根本的な否定は難しい、ということになるでしょう。従って、アメリカ人が、西部劇状況(あるいはそれを継承した現在の正当防衛観)に従って戦争を行なうならば、それを根源的に否定する論拠を探すのは難しいことになります。人格的統合が国家なのですから、個人において許されうる行為は、国家行為においても倫理的に許容されなければならない、ということになるからです。にもかかわらず、無制限な戦争権の行使は否定されなければならない(無制限な個人の暴力は否定されなければならない)から、自衛行動であるかどうか、ということを巡る、際限のない議論を始めなければなりません。私に言わせれば、少なくとも(世界最初の大殺戮戦であった)第一次世界大戦以降、国家の戦争権に対する考えは無制限主義から制限主義ないしは絶対平和主義に転換し、その後から、戦争は違法であるかどうかという議論が開始されたとみますが、「戦争が違法である」という価値判断への転換は、法的なものに根源をもつものでなく、殺戮戦による倫理学的な価値転換に基づくものであって(あるいはそれに過ぎないものであって)さらにそれとともに、リヴァイアサン的なものであった国家論あるいは戦争論が、「個人」の喩によるたとえの対象としての国家観に転じていくきっかけになったとも考えられます。それには独立国の増加が、近代国家(巨獣)でない国家の存在を激増させた、という背景もあるのではないでしょうか。そしてまさにその戦争観の変化が、ガンマンの正当防衛の理を、国際紛争の場において、可能にするという役割を演じさせることになってしまうのです。
     たとえば、「正当防衛」段階に至るまでの時間的経緯を引き起こした戦争の因果関係に関して、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、最終代表弁論でローガン弁護人は、「経済封鎖はそれ自体で戦争行為である」というパリ不戦条約の起草者ケロッグ国務長官の言葉を引用し、アメリカが日本の経済活動が不可能になるほどの経済封鎖により日本の戦争を挑発したことを論難しました。ローガンの堂々たる弁論は被告席の東条英機の涙を誘ったと言われるほどですが、ローガンが言おうとしたのは、日本が引き金を引かなければならない状況を、アメリカの方こそが故意につくりだしたのであって、つまり日本は、西部劇的状況を故意につくりだした狡猾なガンマンではない、ということなのです。しかしそうすると、戦争の因果関係をいったいどこまで遡ればよいのか、という問題が生じることを避けられない。アメリカ側はアメリカ側で、あの時点で日本が中国全土を支配しそうだったという脅威に対して、同盟関係にあった中華民国に対して、経済封鎖という自衛手段が必要だった、というロジックを採用するでしょう。正当防衛行為というのは、法理論上、自分に対してだけでなく、「他人」や「物」に対しても成立するのです。つまり「狡猾なガンマン」ではなく、「臆病なガンマン」の問題がここに登場するということです。
     東京裁判の法的根拠の問題性はいうまでもありませんが、反面、東京裁判がそれを裁く法が不在であったため、戦争の正当性や本質を、正面から倫理的に論じる場であったことも見逃すべきではない、ということもできると思います。たとえば、東京裁判が、国家の戦争権に関しての無制限主義を否定する価値観に少なくとも裁判進行内では依拠していたため、連合国の主張が、おそろしいくらいの形式論になってしまっている。「自衛権」が果たしてどちらにあったのか、という議論は、国家の戦争権を無制限に認める立場からは、必ずしも最重要の問題ではないはずです。ソビエトの検事にいたっては厚かましくも、日露戦争までを持ち出して、日本のソビエト侵略計画を立証しようとしましたが、ソビエトのとんでもなさは別として、なぜそのような主張を展開しなければならないか、というと、戦争権に関しての価値転換に、ソビエトもまた敏感であったから、ということができましょう。ソビエトは「臆病なガンマン」として、因果関係の針をずっと以前に遡るようにしてしまった、ということです。
    周知のように、アメリカは第二次大戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争などの介入戦争のほとんどに関して、「いつかは自分(自分の国)がやられる」という理屈で、そのすべてが「防衛戦争」だった、という理を持ち出しています。つまり先ほどの、自分を攻撃する準備をしているグループに対して、先制射撃を加えても、それは正当防衛行為になる、という西部劇的状況を、ついにアメリカ的論理は可能にしてしまった、ということになります。同時多発テロリズムに関しても、あの凄惨なテロは極限的なものとはいえ、どう考えても「国内法的犯罪行為」の一種であり、それがただちにアメリカの軍事行動を許容することができる、というロジックは、常識的に考えて、全く無理があるといえます。しかし「西部劇的状況」を捻じ曲げて解釈して「臆病なガンマン」たりえれば、これが自衛権の発動の一種であるという、奇妙きわまりない結論に至ってしまうのです。
    念のために言っておきますが、私自身は、同時多発テロリズム後のアメリカの一連の報復戦争行為は、全く正当なものだと考えます。ただそのための論理的な下地に関して、国家の戦争権を制限するという方向性で考えることによっては必ず論理矛盾を来たす、ということが言いたいのです。世界は事実上、戦争権の無制限時代に回帰しつつあるのにもかかわらず、左右を問わず、そうではない価値観を主張しあっているように思えます。ならばおまえは国家の戦争権を無制限に認めるという、19世紀以前の世界に逆行することを承認するのか、といえば、然り、と言います。絶対平和主義はもちろんのこと、国家の戦争権を制限するという倫理的立場も、アメリカのイニシアティヴでようやく平和が保たれているという状況では、事実上破産しているといわなければなりません。世界は或る意味において、20世紀以前の時間の世界へと逆行しているのです。
     カントとは異なり、国家の戦争権の無制限を許容する立場をやはり採用した論者の一人であるグロティウスの、「交戦者どうしの良心に従うことをもってしか、戦争の発生もその方法も制限できない」という言葉に立ち戻らなければならない、という状況に私達は再び私達はさしかかっているということができましょう。そのグロティウスも「敵の不正が正しい戦争を生じさせる」といっているのですが、そこから踏み込んで、「不正」や「正しい戦争」を倫理的に規制するということになれば、たちまちどうどう巡りになってしまう、ということに、既に気づいていたからこそ、ある意味で正しく絶望的な戦争権の考察に踏みとどまったといえるのではないでしょうか。そして、戦争権の無制限のこれからの「新しくて古い」時代にあっては、カントや西部邁さんの「個人の喩」の世界が、国家間において成立しえないことは、言うまでもありません。
     ついカントの話が多くなってしまいましたが、ついでに補足的に言いますと、平和な市民社会状態においてこそ成立が可能であり、大西提督の例でも言ったように、戦争時における個人間でもきちんと成立しえた、カント的倫理学の「道徳」論も、「国家」においては成立しえない、といわざるを得ません。国家が個人とどういうふうに相違する意思主体であるかどうかは別として、国家というのはカントが考えるようには道徳的存在ではないといわざるを得ません。たとえば、共和国的民主主義であるかどうかはとりあえず別として、北朝鮮という「悪」国家にこそ「精神的闘争状態」の可能性がある、という道徳形式論はとうてい成立しないのです。国家の犯罪行為は「精神的闘争状態」という言葉であらわされるような潜在的なものではなく、政府首脳の決意にせよ民意の暴走にせよ、もっとずっと顕在的なものであって、カントの道徳論の対象に馴染むものではないのです。
     カントの道徳形式に従い悩んでユダヤ人殺戮を決断した、とアイヒマンは言いましたが、アイヒマンの裁判で明らかになってしまったカント倫理学の「悪への自由」の問題が、国家を道徳主体と考える見解ではよりはっきりとした形で立ち現れてしまう、ともいえるでしょう。ヤスパースは、「通常の国家が犯罪を犯す」ことと、存在すること自体が「犯罪的国家」であるという有名な二分法を採用し、ナチスドイツは後者であるとし(言い換えれば日本やイタリアなどの他の旧枢軸国は後者ではない)といいましたが、アイヒマンの例は、国家の構成員のほぼ全員が、カントの倫理形式に従い、「精神的闘争状態=道徳的」であることによって(あり続けながら)ユダヤ人大量虐殺という「悪」を悩んであえて選択したということがありうる、ということを示しています。形式的な道徳法則においては、「巨大な悪」「組織的な悪」を避けることはできない、という袋小路がそこにあるようです。「嘘」「自殺」そして「性愛」を自分の対象からはずしたように、「国家」ということを例外視すればよいのではないか、と私は皮肉をこめて、言いたいくらいです。それをはずすことなく、論理展開することによってまさに論理的的に成立しないことを示したのが、「永遠平和のために」という書であった、と言わなければならないと思います。国家は個人とは別のものであって、国家が精神的闘争状態、つまり「道徳的」であるということは考えれらないのです。それは国家の戦争権が無制限状態に回帰しつつある現在では尚更なことです。
     国家の戦争権の無制限主義に回帰すべしと言っても、それが世界が暗黒の状態に戻る、ということを意味することではもちろんありません。カントは、グロティウスが苦渋をこめて言った「良心」という言葉にこそ、考察を深めるべきだった、と私は思います。国際機関や国家に「道徳状態」を求めるのではなく、交戦国の、個々の人間というミクロ化していく方向にこそ、「道徳状態」は存在しえます。繰り返しになりますが、そういうことを抜きにして、国家や戦争、平和を語ることの一切が、「他律・他人語」の世界に向いてしまうといわざるをえないでしょう。ヘーゲルの国家に重要な影響を与え、そして当然、国家の戦争権を制限するものは存在しえない、という立場に依拠したマキャヴェリがその国家論を記すとき、必ず公服に着替えて執筆した、というエピソードに、私はまさしく出口のない、この世界の、戦争と平和を語ろうとしたマキャヴェリの、地道だけれども偉大な精神を発見できる思いがします。それが気取ったものでなく、下級公務員の公服であったということが、実に面白いことです。私達が国家や戦争について記したり語ったりするとき、公服を着なければならないということではないでしょうが(笑)カントの平和に関しての倫理学にはこの「公服」の思想が実はみられないように感じられます。私達は何かの「公服」を心に着なければ、議論は個人的思い出話あるいは稚拙な理想の語りに転じてしまうのだ、ということを、このマキャヴェリのエピソードは正しく伝えているように、私には思われます。
「読書」の世界について(再録)
     かなり年配の方ですが,ある社会科学系の専門の先生で、有名大学の教員を長くやっていらっしゃる知己の方がいます。その分野においても一角の人物である,といっていいその方と先日酒を飲んでいて、杯を重ねるうち、「俺がみたところ、最近の学生の答案作成能力が目にみえて落ちてきた。それも年を追うごとにひどくなっていく・・・」と嘆息して何度もその話しを繰り返しされていました。
    大学時代の学部を次席で卒業されたという、伝説的な秀才であった(らしい)その老先生に比べ、私は答案、ということにそれほどいい思い出がある人間でもないのですが、その話になったきっかけというのはこういうことでした。戦前の旧制高校や旧制中学では、もうその段階から世界史や物理などの科目で、大学におけるものと同じような論文形式の答案方法を採用しており、昔のそうした方法は正しかったのだ、なぜならば知識が「総合的なもの」として存在することが大学に入る前からわかったからだ、ということが老教授の繰り返しの強調でした。しかし私は、知識が「総合的」になるということはどういうことか判明しない段階でそれをおこなえばどういうことになるのか、現状の教育制度でそれを導入すれば「総合的」であるということの詰め込みがおこなわれるかもしれない、と、老先生の側からすればやや的はずれな答えをして、雰囲気がなんとなく中座してしまい、会話が途切れがちになってしまい、そこで話題転換ということで、老先生の年齢からすればまだ「若い」といえる私にある意味配慮しようと思われたのか、老先生の大学の「現状」を話しはじめてくれた、ということなのですね。先生が私に気を遣ってくれたのは確かなことなのですが、「答案論」の継続だったのは間違いありません。答案作成能力、という単語の存在自体にも私はひっかかるのですが、それ以上に、老先生の嘆きが何処となく「楽観的」なことが不思議で、ついつい口答えをすることを思いついてしまいます。まあ能天気な私からすれば「口答え」にはあたらないのですが、その先生の権威を考えれば、「よくおまえあの先生の話を遮れたな」といわれそうな気がします。
     「・・・確かに私もそう思いますけれど、しかし、その原因はいったい何でしょうね」と私は尋ねました。「まあ、最近の学生は本を読まないからね・・・」というまずまずありふれた答えが返ってきました。「本を読まない、ということと答案の能力が果たして関係するのでしょうか」ここいらあたりが何となく「口答え」なのですね。まるで黒澤明の「生きる」で、中村伸郎演じる助役に「公園の件はもう一度御一考を」と「口答え」する(鑑賞者にはどう考えても意見具申にしか見えないのですが、市役所とはかくも恐ろしいところなのでしょうか)志村喬演じる市民課長の勇気、といった感じなのですが(笑)しかし、老先生の表情は(怒ることなく)冷静かつ真剣であり、また私に真剣に聞いてほしいという情を感じました。むしろ私の「口答え」を境に、老先生の言葉は堰をきったように、流れ始め、その真剣さが、私の口を封じてしまったといっていいくらいでした。言葉を記すだけではなかなか老先生のそのときの情が伝わってこないのですが、曰く、「・・・かつての学生は、有名な先生の本というと目を輝かしたものだけれど、今の学生は金があるくせ、誰が有名な先生なのか、知ろうともしないのだからおそれいるよ・・・」あるいは、「・・・むさぼるように読め、といくらいっても結局、試験日直前になってから、ようやく本を買い始めるんだ。俺の本だって、その頃になってようやく売れ始めるのだよ。売れれば売れるほど虚しくなる。試験というものがなくなったら、もう自分の本は全く売れなくなってしまうのだろうな、と思うとね・・・」そして何より印象に残ったのは「あと何年すると、俺の本はこの世界から無くなるんだろうな・・・」という言葉でした。もちろんその真剣さには、酔いのまわりが手伝っていたのは言うまでもありません。
     直接の恩師というわけではないのですが、一般的な表現を使えば、その老先生は普段から「ああ、こんな古めかしい世間ズレした先生ばかりだったら、大学は楽しいだろうな」という思いを生徒に抱かせるタイプの先生です。「世間ズレ」が「気味悪い」でなく「親しみ」になる性格なのですね。ただ、その物語的な存在感があまりにバランスが取れすぎていて、親しみを感じても、なんだか逆に近寄り難い、ということで、結果的には先生の周囲に集う人はあまりいなくなる、という、矛盾した雰囲気をもっていました。近寄りがたい人間に近寄り、近寄りやすい人間に近寄らない私は、別段違和感もなく、「月並みな言葉」が月並みな言葉にならず、「説教」が説教にならない、そういった貴重な言葉の使い手である老先生との雰囲気を時々楽しんでいたどのですけれど、どうもその日の語りは寂しげで、頼りなさそうでえありました。特に「あと何年すると、俺の本はこの世界から消えてなくなるんだろうな・・・」といったときの先生の雰囲気の弱弱しさは、痛ましいものでさえありました。
    老先生は多数の教科書的著作ももっていて、まずまずの売れ行きです。確かに人格的魅力のある先生です。しかし私にとって先生は何よりもまず「物書き」であり、その人格的魅力の反映を彼の著作において楽しむために私は老先生との時々の付き合いを楽しむのだ、といっていいくらいです。私老先生の本(教科書)は非常に体系的な記述方法を採用し、またいろんな学説や世界観に配慮することで逆に若い人達向けになっていない、というふうに私は認識していましたが、彼は決してそのことに盲目だというわけでなく、自分を半ば、ドンキホーテ気取りもできるという実は巧妙な演技者でもあり、つまり自分の人生のいろいろな場面を演劇的に計算できるというタイプの人物で、それゆえに物書きの寂しさというものと老先生は全く無縁だ、というふうに考えていたので、その日の雰囲気は意外でした。「読んでほしい・・・でも自分が思ったようには読んでくれない・・・なんでこんな単純なことにこだわるんだろう」と呂律が回らないくらいに酔ったその老先生は自嘲気味に笑っていました。そこで私は、やはり酔いも手伝ったのでしょう、知己の一人で、作家志望の青年の友人のことを私は思い出しました。寂しげな老先生とは対照的に、彼と話したそのときの雰囲気は非常に積極的で多弁でしたが、話している内容は、大筋においては同じでした。老先生と明らかに違うことは、同じ態度の同じ内容を私に会う度に繰り返す、ということにありました。はっきりいって相当に喧しい。その彼はほとんど彼の自論である「文学衰亡論(=純文学衰亡論)」を私の前で滔々と展開し、「文学は駄目だ、本当に駄目ですよ、作者も読者も駄目です」と老教授とは対照的な激しい口調で何度もいっていました。彼の論理はやや背理的で、「だからこそ自分は敢えてその世界に身を投じる」といった類のものでしたが、「結論嫌い」の性格である私は、その日がはじめてでない彼の自論の繰り返しにその日はとうとう痺れを切らして、老先生に向けたのと全く同じ質問、「何が原因で駄目になったのだろうね」と尋ねたのですね。彼の口調は一瞬止まり、そしてそういう質問をした私を詰るように、しかしなぜか落ち着いた口調で、「・・・本を読まなくなったからに決まっているでしょう」という答えが返ってきました。その友人の文学青年は、老先生と違い、この世に認められた著作はまだ一冊もありません。にもかかわらず、老先生と文学青年の「本を読まない」という言葉は、なぜか、妙に強い印象をもって私の頭の中に残ってしまっています。
     過去の何処かに、この世界の理想状態の基準を置く、例によって下手なたとえですが、「ルネサンス的人物」といっていい、こういう類の意見をもつ人物は私のまわりに非常に多いのですね。実に様々なレベルでのルネサンス的人物がいます。「あの頃の時代の食べ物はよかった」という自然食品ルネサンス人物、「あの頃の時代の映画は楽しかった」という映画ルネサンス的人物、「あの頃の時代のスポーツは楽しかった」というスポーツルネサンス的人物、・・・というふうに様々な「ルネサンス的人物」がおり、何を隠そう私自身もその幾つかに該当するのは間違いないのですが、老先生と友人の文学青年に共通する「ルネサンス」はこの場合、「本を読む」ということにある(あった)といっていいと思います。自分が住むこの世界が過去のどの時代か、多くの読書をすることによって豊かな意味をつかんでいた・・・そういったルネサンス主義といっていいものだと思うのですが、私自身が彼らの基準からすればどれくらいのレベルの読書家かは分かりませんが、しかし少なくとも、彼らの見解に気分的に同意したい、ということは、おそらく彼らほどの強い思いでいでしょうが、私にもあるといっていいでしょう。だからこそ彼らの話の聞き役になったのだろうし、私はクラブや居酒屋で大酒を飲んで騒ぐのは大好き、しかし平日の深夜休日の朝、自分以外誰もいない自宅の自室で良書にめぐりあえて感じるときの深い満足感は、決してそれに劣らないものがあります。「時代」などという言葉をわざわざもちださなくても、この満足感を、語り合ううちに共有できれば、やはりルネサンス的感情共同体が成立しているといっていいように思います。「人間の不幸というものはただ一つのこと、つまりそれは自分の部屋の中で静かに休んでいられないことから生じるものだ」というパスカルの言葉を、そのときほど強く感じることはありません。しかし私の満足感やパスカルのその言葉を伝えても、どうしても理解できない人間が確かにこの世界には多すぎるような気がならない。「気がする」でだけで、実際調べたわけではないし、もし思い通りの嘆かわしい状況だったとしても、それを改革しようという「運動」をしようとも思いませんが、読書の喜びを知る人間が世界にもっといるべきではないだろうか。私の場合は「ルネサンス的心情」とまではいえないにしても、私は一月に数回、確かにそんな気持ち、世界中の人々の行為の何割かが、読書ということになったら、世界はもっともっと幸せになるんじゃないか、と無邪気によく考えます。だからいくら喧しいといっても、その文学青年の毎回毎回の叫びを、どうしても否定できず、心のどこかで拍手してしまっている自分を感じてしまうのですね。
     「ルネサンス」ということは現状に不満があるのですからある意味で、革命的心情に似た精神行為という面があるのでしょうが、もちろん、「革命的心情」ということは往々にして苛立ちや怒りが裏返ったものである、ということがいえます。私の苛立ちや怒りなどはどうでもいいことですけれど、たとえば、「本を読まない」という私の頭の中の言葉の周囲には様々な苛立たしい人間がいる。アメリカの最高峰の大学の大学院に在籍しながら、本を年間一冊か二冊しか読まない、外国語が話せるだけで何ひとつ物事を考えない、にもかかわらす、ドイツ哲学が「つまらない」とかアメリカの政治家が「レベルが落ちた」とかという、もっともらしい意見をはける処世術だけは心得ている知人がいます。一言で言えば、自分に必要なこと以外は最初からいっさいしない、という人間ですね。こういう人間のコミュ二ケーションというのは不可解なほどに「複雑」です。一度、その彼から「彼が読みふるした」という、非常に綺麗な哲学書を借りたことがあります。そのとき唖然とするほど驚いたのは、「後書き」と「著者のプロフィール」のところにだけ、びっしりと赤線がたくさん引いてあるのですね。確かに彼は「読み込んで」いたのです。私は比較的早く見抜きましたが、彼が、硬派な話をするときの会話術というのは非常に面白い。「本の名前」「著者のプロフィール」そしてある意味での「後書き」に熟知していることが彼の武器ですから、その範囲にある限り、彼の話題は豊富です。問題はその本の内容について踏み込んだときなのですが、彼の言葉にもちろん「私は知らない」はありません。「難しい問題ですね」「よくそこまでお読みになっている」「次回までに考えておきましょう」を繰り返していきます。もっとも驚くべきは、話をしている人間の相手が、この彼の「振り」に最後まで気づかない。彼がまずまずの「知識人」として成立(虚構化)していってしまう、ということです。二ーチェの学者批判論の言葉をかりれば「戦慄すべき器用さ」ですが(彼ももほや半分学者ですし)要するに彼は必要なことしかしない人間であり「必要でない自分」の部分は「振り」で固める、ということになる。彼は本を読まないが、「本を読む」ことの純粋外在的な状態については、この上なく通じているように思えます。「本を読まない」ことが、その人を素朴な状態どころか、その逆に追いやってしまっている例といえましょう。「本を読まない」ことは素朴であるとは限らない、それどころか、「本を読む」という知的行為が持たざるをえないような何かの冷たさだけを吸収して、処世術として身につけてしまっている。資産家でも何でもないのに拝金主義者だったり、学歴と無関係にすごしてきたのに逆に学歴盲信者だったりする人にも似たところがあると思いますが、もちろんこういうタイプの人間はまずは問題外ということになります。私の前では「正体」がばれているということで語ってくれた彼の話が本当だとすれば、アメリカでも教授や知的サロンのほとんどで、このコミュ二ケーションが「成功」してしまうそうなのですから、「アメリカの大学や教育機関が日本より優れていて、本質的なコミュニケーションが存在している」という一般的見解も、存外、俗説なのではないでしょうか。
     大体において私にとって無害無益ですので、この彼との友人付き合いは漫然と継続しているのですが、「本を読まない」ということの周囲にいる人達をどう一括りに表現すればいいでしょうか。キルケゴールのなかなか含蓄のある言葉に、「他人を最悪に退屈させる人々は庶民、無限の人間集団である」というくだりがあるのですが、「本を読んだ振り」を厚かましく繰り返す一群の人々が、このキルケゴールの言葉と無関係でないのは、どうも明らかといっていいようです。しかしここで、スムーズに、彼らへの批判を言いきって、老教授は文学青年のルネサンス的心情に賛意を示す結論で終わっていいものでしょうか。この「振り」の彼が、改心して本を読み始めれば、それでいいというふうには思えない。彼の反面教師的な存在感が、何か強烈な疑問を私に示しているような気がしてならない。疑問文の始まりは「他人を退屈させる人間(人間性)」ということが、果たして「本を読む」という知的行為(あるいは「本を読まなという」という反知的行為」)とどうかかわるものか、ということは、ルネサンス的心情からいったん離れたところで、改めてよく検討しなければならないこと、ということだと私は思います。
    いくつか具体例をあげましょう。たとえば、私達の世界全体が一年間のうちに出版する本の数は、二十世紀以前の全世界史が出版してきた書籍の量に匹敵する、というデータも存在します。つまりこの世界のいたるところは人類の歴史上最高に「本」にあふれた時代なのかもしれない可能性ということも存在します。司馬遼太郎氏が生前いったように、その世界の中でも日本は飛びぬけた「本の天国」であるということがいえる。あるいは、たとえば「文学」ということに関して、小中高と施されている国語教育の中で、かなりの数の文学作品を読むことに依然として多くの教育時間を費やしていますが、個々の人間の自発性は別として、結果的には私たちは成人するまで、文学に触れる膨大な時間をすごしてきた、といえましょう。それは「教科書」によるもので、個人的愛着によって生じたものではない、と例の文学青年の友人あたりは反論するかも知れませんが、こういった見解こそ私は教科書的だと思います。国民教育の時代よりのちの「文学」は私達は教育機関によってその大半を経験したのであって、それを抜きにして、純粋に「文学」への愛着が生じるということが逆に道徳教科書的なのです。もちろん、国民教育が完全に確立する以前の人間が、果たしてどれだけの「文学」の読書時間を有していたのでか、ということも、考えなければならないことでしょう。その頃の人間は本はなくても本(文学)に飢えていた、という反論があるかもしれませんけれど、しかしそうした知的渇望の存在が、知識量の多さということはもちろんのこと、文学に対しての見識の存在を保証する、ということはただちにいえないでしょう。たとえば旧社会主義国家の人達は実によく「文学」を愛し「文学」を読み「文学」に渇望していますが、実に幼稚な文学観しかもちあわせていません。要は様々なレベルで「文学」が保護されすぎてしまった結果、マーケットメカニズムや自己懐疑を喪失して、やせ細った文学論しかもてなくなってしまったのですね。私には確かに「文学」については誰しもが知識を有しているこうした世界が「ルネサンス」的理想社会だはとうてい思えないのですが、いかがなものでしょうか。
     「読書量」ということに関して言えば、私達は実はあまり意識しないうちに、非常に多くの「読書」をしているのかもしれない、ということですね。一生に一度しか読まない本でも、それは読書したことには変わりないし、欠伸を噛み締めて学校で読まされた教科書だって、「読書」した本にはかわりないのですね。「読書の振り」の処世術に長けた彼は、そうした「希薄な読書」を意識的な戦略にしようとしているだけ、なのかもしれないのです。「本を読まない」ということの嘆きは読書量ということとは別の何かであって、私達と「本」のかかわり方ということに目を向けなければならない、ということも考えなければならない、といえましょう。つまり「本を読む」という私達の行為を、私達は単純に考えすぎているのかも知れません。大体、読書という行為は知的行為かどうかはともかくとして、非常に危険な行為なのです。聖書を読書することは多くの殺戮を人類史にもたらしましたし、近くの世紀をみても、物理学にいたるまで自己全集の発行を熱望した大哲学者気取りのスターリン、ニーチュを終生愛読したというヒトラー、ムッソリーニ、暇があれば歴史書を紐解いたという毛沢東というふうに、二十世紀の独裁者のほとんどが異常なほどの読書家であったということを私達は思い起こすべきでしょう。凶悪な犯罪者が異常な読書家だったという例はもっとありふれています。だから「読書」がいけない、ということではなく、人を救いもするし殺しもするある種の危険な劇薬に触れるということが「読書」というものだ、ということを認識しなければならないということです。「振り」をする人間が横行するほどに本があふれかえり、読書する行為の意味が何となく曖昧なものになっているからこそ、逆に私達は本当に読書しているのかどうか(読書量ということは読書という行為のほんの一部に過ぎない)また読書という行為は不意に私達を巨大な不幸に導く場合もある、そういうふうに、歴史や社会不安を観る場合でも、読書ということの意味を私達一人一人が広げて考えていく必要があるでしょう。こう考えれば、かつて日本の農村で「本なんか読むな」と親に怒られたという、よくるいわれる歴史的エピソードだって、決して一面的にとらえるべきでない話ということになる。これとは正反対に旧ソビエトの集団農場や文化大革命期の中国の人民公社では「読書会」が頻繁に開かれていたのですね。
      概観的に少なくともいえることは、私達は近世、中世、古代と遡るにつれて、読書する時間というのはその時代の日常的時間の割合においてどんどん少なくなっていき、次第に極小化していく、ということですね。こうした意見をいうと、哲学者や文学者など、限られた人間は今の人間よりも読書していたのだ、というかもしれませんが、読書することへの情熱は別としても、活版印刷術はおろか紙の使用もなされていなかった古代中国の春秋戦国時代、あるいは古代ギリシア・ローマの古の知識人が、今の(知識人でない)私達と比べて、たとえハードなものに限定したとしても、私達を上まわる読書時間(もちろん読書量も)を誇っていたという保証はどこにもない、といわざるをえないでしょう。当たり前のことでしょうが、紀元前に活動したプラトンやアリストテレスや孔子や韓非子がもし私達の前に不意に出現れたら、私達は第一印象において、「ずいぶん物を知らないな」という印象をもつに違いありません。私達現代人の多くが「物を知らない=本を読まない」という思い込みをしているので、彼らは「本を読まない人達」というふうに映ることでしょう。にもかかわらず、古の賢人が紡ぎだす言葉というものが20世紀や21世紀に住む私達が考えてきた言葉よりもずっと本質的であり、それどころか紀元前段階で、哲学や思想の問題の基本的パターンの大半がこの世界に出尽くしたという哲学史・思想史の通説への不思議さに私達はなかなか意識的になれないところがある。そこには、私達近代にどっぷり浸かった人間とはほとんど別個のものといっていいような、「本」ということへのかかわり方があったに違いありません。読書行為そのものとは別の、「読書行為にかかわる行為」とでもいうべきものでしょうか。つまりどう考えても、「最近の人が本を読まなくなった」と嘆く人達のルネサンス的基準というのは、「近代の何処か」ということにおいては成立するかもしれませんが、世界史全体からすれば、非常に危ういものであるといわざるをえないでしょう。読書量がきわめて少ない時代に、現代とは比較にならない創造性が存在していたという、考えてみれば至極当然のことに意識的でないところに、「本を読まない」という人の嘆きは存在しているのですね。ならば「本を読まない」という嘆きは、果たして無意味なものなのでしょうか。
      ここで再び、キルケゴールが言った「退屈」という言葉に戻ってみましょう。「他人を退屈させる人間」といったキルケゴールですが、彼は「退屈させる人間は何か」ということについて、「・・・世には倦むことのない活動というものがあって、これは人間を精神の世界からしめだして、本能的に常に運動していなくてはならない動物と同じ部類に入れてしまうのである。何でもかんでも<仕事>に変化させて、全生涯のあらゆることを<仕事>にしてしまう異常な天賦をもった人間が数多く存在し、彼らは事務所で働くときと同じ仕事熱をもって恋愛し、結婚し、機知に耳を傾け、芸術に感嘆する・・・」と言っています。キルケゴールが言いたいのは、一緒にいるだけで時間の底なし沼のような虚しさを感じさせる「他人を退屈させる人間」、というのは実は「退屈ということを自ずから知らない人間」なのだ、ということですね。時間の底なし沼のような虚しさ、ということは私達の人生的時間の絶対的条件ですが、それを自ら知り尽くした人間は、それについて語ること、それに対して何かの形での理論的・感性的防御に長けている人間でもある。しかしそれを知らない人間は、一緒にいるというただそれだけのことを通じて、時間の底なし沼の虚しさを私達に、どっとした徒労感と伴に感じさせてしまう。まるで刑罰としての退屈を強いられているということなのですが、キルケゴールによればそれは、その人物が人生のあらゆることを<仕事>にしてしまう才能をもっているからなのだ、ということになる。
     たとえば私達は「恋愛」を生涯で繰り返し繰り返し楽しんでいる(一見すると非常に羨ましい)人間の少なくない人たちに、生涯のあらゆる時間に付きあっている相手・性愛の対象がいなければならない、その裏返しということのみを目的化して、「勤勉な恋愛愛好者」と成り果てている人物を発見することがあります。彼ら・彼女達にとって、恋愛は<仕事>なのです。「つまらん」という言葉を繰り返した正宗白鳥ではないですが、私たちは年をとればとるほど楽しみが減る、ということを、つい加齢という医学的・物理学的原因に思い込みがちですが、楽しみが減るということはそういった原因とは本質的には全く無関係です。宇宙の果て(天文学)や過去の果て(古生物学)激しい知的欲求を抱き膨大な知識を詰めこみ想像力を働かせている人間にとっては、国内旅行や海外旅行ということは、天文学的世界を知らない人ほどには楽しめない、あるいはたかだか数千年の時間しか追えない歴史学という学問はぜんぜん刺激的でない、ということがいえかもしれません。もちろん、それは知性や理性のある種の傲慢という面もあって、「近いもの」のディテイルにいろいろな発見ということを繰り返すということがあってこそバランスのとれた知的関心なのかも知れませんがしかし、「知る」ということがどこかで「つまらん」という感性とどこかで深く関係しているということは認めざるを得ない。ですから人生的時間が進めば進むほど、大きな変化をもたらすことのない(ように見える)日常的世界に、私達は次第に言いようのない空無感を感じるようになる。人生に「退屈」を感じるようになるのです。恋愛にしてみても、新しい相手に気をとられるということとは別に、恋愛を繰り返す自分自身を見つめれば、「知る」という行為の楽しみは低落していき、私達は恋愛に退屈するようになる。あるいは退屈しまいとすることに挑むようになる。「退屈」を私達は発見できるようになる。あるいは「退屈」と戦うことができるようになる。「人生が短いのではなくて、私達が人生を短くしているのだ」というセネカの言葉は、退屈ということを自ら知った人間には強く響く言葉でしょう。ところが、恋愛を際限なくまるで単調な労働のように繰り返していく人の多くはそうでない人なのです。私に言わせれば「若いころと同じ」という意味を勘違いしている人たち、「老人も恋愛できるような時代になった」などというスローガンを言う人たち、恋愛という<仕事>好きの人たちというのは、確かにこの世界に大勢いるような気がします。
      表現は実に奇妙ですが、彼ら・彼女たちの恋愛とのかかわりは、非常に「勤勉」なのです。もちろんここでの「勤勉」ということの意味は、私達が日常的に使う意味とはだいぶ違うものです。ドストエフスキーやニーチェやカミュは、自己実現ということかた全く遠ざかった絶望的労働を強いられている収容所の労働者や、単に犯したいから犯すという虚無的人生観をもった犯罪者を描くことや考察することを通して、私達が「労働」や「犯罪」を前にして、ただ単に勤勉であるということ、死に至るまでの繰り返しということに人間の意識が耐えられるかどうかを描きだそうとしました。「単に労働する」「単に犯罪を犯す」
ということは、毎日、定められた場所に行き、終日何も感じることなく、同じ事を繰り返し、次の日に同じことをまた繰り返す、ということと本質的には何も変わりません。同じように、恋人とのデートや恋人の取替えを行なう「単に恋愛する」人間というのが、確かにこの世界には存在する。ここで言う勤勉な人達というのは、読書する「振り」の術に長けたあの彼ですらも及ばないものをもっている。意識とは何かという問題もありますが、「振り」の術というのは、それが意識的であるいうことにおいて、迷いを生じる可能性のあるものでありました。意識的な人間というのは、その迷いということによって、私達に「謎」を感じさせるものでありました。「単に」ということには、こうした恐るべき勤勉さがある。「単に自分自身である」という言葉を繰り返す人のプライドをサルトルは「形而上的プライド」と揶揄しましたけれど、「勤勉さ」が自分自身に向いて、全く「退屈」せずに、自分自身を演じることさえもが「勤勉」であるということが可能な人間もいるといわなければならないでしょう。「労働」や「犯罪」ということから解放されても、一見するときわめて自己実現的行為である恋愛にあっても、「単に恋愛し」「単に自分である」ことを、際限なくくり返す「退屈な人」というのは、この世界においては、後を絶たない、いやむしろ増えているという気配さえ感じます。
     完全に単調な<仕事>、というものに人間は最終的には耐えられず、どんなに単調に見える仕事であっても最低限の目的性・自己実現性ということは存在するように、どんなに単調そうに見える恋愛にも、最低限の何かが常にあるのだ、という反論があるかもしれません。しかし本当に完全かどうかということよりも、「退屈」に無意識的であり無感動的に目をそむけている、ということ自体がここでは大切だと思います。ニヒリストを自称したり他称されたりする人の大半が実は似非(中途半端)なニヒリストであって、「完全な虚無」の前に失語するという重みを持たないように、「退屈」を知らない人達も、実に似非的で中途半端的な「勤勉」を演じているのですね。まさにそれは自分や他人の「勤勉」さに意識的でないからこそ、可能になってしまうことでもあります。
     「恋愛」ということにもう少しこだわって言うと、収容所の労働においては国家権力によって、凶悪犯罪においては虚無的人生観によって強制的に封じられているものが、勤勉なる恋愛においては、おそろしく自発的になされている、ということに不思議さがある。私達は生活上必要なための仕事とか子育てとか、生きるためにやむを得ずしなければならないことにおいては、時間の流れの空無感などあえて切り捨てて、「勤勉」さを敢えて自分に課していくという選択が生じえますけれど、「恋愛」ということに関してはそういうことはいえない。別に勤勉でなくてもかまわないのです。本来ならばいくらでも懐疑したり嫌ったり、あるいは突然裏返って恋愛したくなったり、でもやはりやめたっていいのですね。「怠け者」的に恋愛とかかわればいいのです。至極当然なことですが、「勤勉さ」を放棄することによって、「勤勉」ということについて、前半生で恋愛に失敗し続けたスタンダールは、まさに、恋愛に勤勉であるということを放棄したことによって、「恋愛とは何か」という問いを発し続ける人間となることができたのですね。「勤勉さ」を放棄することによって「恋愛とは何か」という一般的な問いかけが可能になってくる。スタンダールの「恋愛論」と本屋で洪水のようにあふれかえっている凡俗な恋愛論のどこが違うのかといえば、後者は「<私>しかいない恋愛論」だ、ということです。恋愛する自分さえも疑われることを封じられているのだから、当然のことです。恋愛も疑われていない、「単に恋愛する」ということが疑われていない。従って何も議論が始まらない。「形而上的プライド」というサルトルの言葉をもじっていえば、「形而上的恋愛論」とでも言うべきもの、でしょうか(笑)カール・バルトは「自分が正しくないと思う限りにおいてのみ、その人間は絶対に正しい」と言いましたが、結局のところ、自分の人生に勤勉に「恋愛」を敷き詰めようとする人間は、「<私>しか存在しない恋愛論」という、これ以上ないほどに退屈なもの考え、どういうわけか書店にはそういった類のものが氾濫しており、時々打ち上げ花火のようなベストセラーが発生するのですね。書店でびっしりと並んだ「<私>しか存在しない恋愛論」をみて、現代が恋愛の時代だというふうに思う人もいるかもしれませんが、私に言わせれば、現代ほど恋愛が「他人を退屈させる人間達」によって不幸な立場に追いやられている現状はない、というふうに思えてきます。
     私は「退屈」という言葉をずいぶん多用してしまいましたけれど、「他人を退屈させる人間」とは何か、ということをさらに突き詰めて考えようとするならば、「退屈」とは何か、ということもここで立ち止まってあらためて考えなければならないと思います。キルケゴールが言おとした「退屈」は決して何もすることがない、という「何もすることのない暇」を意味するものではありませんね。退職した人間や、不意に得た幸運によって得た経済的自由によって不意に目の前に出現してしまった、長いだらだらとした時間、そういう意味での「退屈」は勤勉的な時間の間隙や終焉によって生じる「小さな退屈」であって、退屈でない時間の再到来を期待しているということにおいて、私の考えでは決して本当の「退屈」ではありません。そういった「小さな退屈」ということだったら、勤勉に恋愛にいそしむ人達だって、一日のうちに何度も感じているに違いありません。この精神的レベルでの「時間の空無感=退屈」は、時間が空無でない、ということを絶対的に考えているからこそ、気楽に小さく「退屈」できる。ドストエフスキーは、人間は自分の死を信じているというけれども実は最後の瞬間まで自分の死を信じていないという精神的側面がある、ということを幾度も小説で描きましたけれど、「いつ死んだっていい」という「死にたがり」の人間が実は「死」を信じきれていないからこそそういう言葉を吐くのと同様に、小さな「退屈」を言う人間は、絶対的退屈ということを全く信じていないからこそ退屈できるのです。
     では本当の「退屈」とはいったい何なのでしょうか。再びパスカルの言葉ですが、「私達は人生の最後の絶壁が見えないようにするため、何かさえぎる巨大なものをおき、それに安心し再び全力で絶壁に向かって走っているのである」という一節を思い浮かべましょう。本当の「退屈」とは、その「さえぎるもの」を私達が取り払ったとき、私達が意識してしまう「絶壁」と私達の人生との絶対的関係に感じる虚しさ、ということなのですね。ですから、残り少ない人生の段階で「退屈」を感じることも稀ではない。極端な話をいえば、人生最後の日においても、残された時間に「退屈」を感じるということは起こりえます。だから、自ら退屈を感じる人間、というのは、人間にとって絶対回避できない死滅をついに信じることができるようになった人間ということができる。ここにおいて、私達は「自ら退屈できる人間」というのは、常に「死」との意識的なかかわりを避けない人のことを言い、古今東西の優れた哲学者や文学者は必ずそれを自分の思想表現に含有しているということを見ることができるでしょう。「死への存在」を通して絶えず死とかかわるという本質的存在論を呆れるくらい徹底して繰り返したハイデガーや、絶対的ニヒリズムは絶対的偽善を可能にする、といった三島由紀夫など、彼らの言葉はどれも「退屈」ということの認識とそこからの超越・脱出ということに執着している。もちろん、その「退屈」が私達に襲いかかるとき、私達が生きることを放棄せざるをえない、ということではありません。私達の人生のさまざまな自己実現行為において、そうした「退屈」を内包しない行為はどんなことであれ虚偽的だ、ということなのですね。これに対して、「他人を退屈させる人間」というのは、その明け透けな「勤勉」さ、すなわち「他人を退屈させる」によって、そうした虚偽的行為を演じている彼ら・彼女達の絶壁の前の、パスカルが言うところの「さえぎるもの」をクローズアップさせ、彼らの人生そのものをわびしい喜劇に変えてしまう人達、と言い換えていいでしょう。「死」を忘れたかのように疾走する彼らとかかわることで、私達は嫌が応なく「退屈」さというものに気づかされるということですね。だからハイデガーや三島の言葉は決して私達を「退屈」させない。ただ、ナチズムに安易に傾斜したハイデガーや絶対的ニヒリズムからすれば(おそらく)いかがわしい行為であるに違いない自殺という行為行動に傾斜していった三島の人生を概観すれば、「退屈」さの克服ということもまた、非常に難しいという、その先を見なければならないことも言うまでもないことでしょう。「さえぎるもの」を取り払うことは難しいですが、その後絶壁に向かってどう歩むか(走るか)ということはさらに難しいということになりましょう。
      「勤勉な人間」はさらに暗躍の範囲を広げます。キルケゴールの「他人を退屈させる人間(=勤勉な人間)」の定義に「芸術」という言葉があったことを考えてみましょう。世界のいたるところで、様々な表現活動に関して、専門化や分類化をはじめとして、統一的な視点の喪失状態が進行しており、「流行」も「市場」もいよいよ個人の頭数だけ存在するようになりつつあるように思えます。私の考えでは、大手文芸誌が停滞してしまっているのは、「本を読まなくなった」ということとはどうも関係ない。「純文学」という専門化を進行させすぎてしまった結果、その刃が反転した結果、純文学の面白さが消え去ってしまったのではないか、ということです。面白い本は面白い本だ、という考え方の方が、むしろ純文学を栄えさせる。つまり「純文学」と「非純文学」という分類が固定してしまったことが問題です。作者の側からしても、「不連続殺人事件」のような、本格的な探偵小説にも手を染めた坂口安吾や、(かなり通俗的な)怪奇小説をたくさん記した遠藤周作の仕事を「専門外」と考えることは、専門的政治学者のジャーナリスティックなレベルでの発言行動を「専門外」とみなすことと同じく、「専門」の衰弱をもたらすものだ、と私には思われます。どんな分野であっても「芸術」とはそもそもそうしたディレタント的なものでなくてはならず、その浮気性的な知的関心の実践行動の中に危ういからこそしっかりとしたスペシャリストが成立するものなのだ、ということができると思います。「純文学を死守せよ」といったところで、実はそういった言葉が純文学に専門化という刃を向けていることに、私たちはなかなか気づくことができません。
    一昔前の文芸誌を開いてみればすぐわかります。「停滞」している現状に関して、私達はまるで近代以降、ずっと「純文学」が単独専門的に存在しつづけてきたように思うかも知れませんが、一昔前までの文芸誌を開けば、左派的な政治運動とそれに反発する保守主義・伝統主義、さらには政治的なるものから「文芸」を守ろうとする反政治主義、そういった数々の文芸外の思潮との間の緊張感に満ちた関係の中に「文芸」が生き生きと存在していたことがすぐにわかります。私は古本屋で購入した1960年頃のとある文芸誌で、井上光晴氏と福田恒存氏の対談を非常に面白く読みました。両者ははっきりいって、文芸の世界の外においては、全く正反対といっていい政治的世界観をもっているといいのですが、それがゆえの非常な緊張感の中の「和」の雰囲気で、様々な文芸観の交しあいが成立している。両者の対話技法と礼儀によるものかもしれませんが、こういった面白さは今の文芸誌にはなかなか見つけることはできません。二人はいろんな文芸外の世界にかかわる不純さがあったからこそ、文芸のテリトリーを維持できるという逆説の中にあったということでしょう。ところが純文学の「専門化」ということは、こうした逆説をどんどん否定していってしまう。読者は面白さに集うのであって、純文学という専門に集うのではありません。「面白さ」という実は恐ろしいくらい多様な概念自体を巧妙に操作していけばいいのに、その逆に、面白さを貧しくすれば、集わなくなる、ただそれだけのことですね。かくして、私達は「文芸」というもの自体を逆に不明瞭な場所に追いやり、統一的なことをいえないようになってしまっている。これは私たちと芸術的表現活動とのかかわりの(作者としても読者・視聴者としても)かかわりの困難さのある一例だといえます。ではこの難しさを改めるのように、世界は動こうと身もだえしているのか、といえば、全くそんなことはない。ここで再びキルケゴールの言葉を思い出す必要があるのです。私にいわせれば「依然として」でなく「ますます」という表現が適切であるような、ゆるやかな衰弱行為の進行というべきなのですが、実のところ、「勤勉な人間」はこうした場においても、しっかりと暗躍の場所をみつけて活動しています。
     あまりにも一般的なことかも知れませんが、大体、「芸術」というのはどんな分野のものであれ、製作者である自分(自分達という場合もあるでしょう)の作品以外はすべて偽者だ、というくらいの排他的感情をもつことが自然であるような、ある意味で情け容赦のない競争社会といえるにもかかわらず、「市場」や「流行」といった競争社会的原理に依存しては決して成立しないという、生々しく、そして実に人間的な矛盾に満ちた世界なのですね。が、そうした世界を愛好し評論するために、「情報」という、本質的には表現活動と無関係なことの確保に奔走する不思議な人間の一群が古来より存在しつづけています。小説ということにしても、「誰それの作家がこうしたエピソードを有していた」「作品の登場人物は別の作品にもある」ということが、単にそのエピソードを語るということをもって終わるとき、それが「文芸」ということに本質的にどういう関係があるのか、ということを、実は考えなければなりません。本物の作家や文芸評論家は、おそらく雑談的なエピソードを語りながら、それを普遍的な言語にもっていこうとする努力を暗にしているに違いありません。なぜならば彼らは巧みなディレッタントだからですね。ところが情報が情報のレベルで終わってしまうとき、それは文芸に無関係どころか、有害でさえあるということに、私達はよくよく意識的にならなければならない。信仰の有無の激しさと無縁なような表情をしている宗教学者を「哲学銀行の出納係」と言ったキルケゴールですが、芸術の表現活動の生々しさを忘れ、芸術ということですら、単調な繰り返しのベルトコンベアーに載せてしまう「勤勉な人達」の恐ろしさに、彼が敏感でなかったはずはありません。「出納係」という形容は、「勤勉な人」と非常に重なりあうものである、というふうに思える。ここにおいて彼ら・彼女達は、「絶壁をさえぎるもの」に向かって疾走するだけでなく、もっとすさまじい害悪をもたらすことになる、ということができます。なぜなら、他人を退屈させるという精神的苦痛だけでなく、ある種の静的な文化的破壊行為を行っているのかもしれないから、なのですね。特定の誰某でなく、世界全体が<私>というものを退屈させるもの、に成り果ててしまったら、本当にたまったものではありません。
     たとえば映画に関して考えてみましょう。映画評論雑誌を開くと、その雑誌にも、製作現場の監督が飽きれるくらい、映画界の近況、最新作の内容、俳優(声優)の個性、その他に関する知識を絶えずアンテナをもって吸収しつづけ、その百科全書派的といっていい行為自体に価値を見出そうとする方たちの評論、座談、そういったものがまさしく洪水のようにあふれかえっています。私が感嘆するのはただ一点だけ、「どこでこれだけの情報量を身につけたのだろうか?」ということだけです。言い換えれば「情報的言語」の洪水ということですが、「勤勉」な彼らにおいては「流行」や「市場」ということさえも疑われておらず、もちろんその先にある、映画とは何か、という問いが生じるはずもなく、もちろんのこと、そうした「情報的言語」が映画における表現活動の本質を言い当てられるのかどうかということにも思いが至らない。彼らの意識の中では、対象世界はびっしりと制御されたものになっている。もちろんそれだけで終われば単なる自己充足行為ということになるのですが、こうした情報的言語が、「評論」のマジョリティだ、というような圧倒的雰囲気には、ただ呆れるほかない。巨大書店の中で、あふれかえる本の洪水で辟易として、ふと気づけば、映画だけでなく、絵画も建築も文学も、そしてちょっと芸術のコーナーから出て覗き見れば、政治も経済も社会評論も、知らない間に情報的言語でしか語られていないものがあふれかえっているということになっています。さらに先をいえば、私が今まで出会ってきて、これからも出会うだろう人の多くに、こうした「情報的言語」を駆使し、その行為に価値を見出している奇怪な人達を発見できるのですね。奇怪な人達が多数派である(かもしれない)というのはさらに奇怪ですが、少なくとも彼らが「勤勉な人達」の種族であることは明らかです。
      「情報的言語」による評論ということは、「<私>しかいない恋愛論」という私の造語の正反対、すなわち「<私>がいない世界観」ということになるでしょう。ここでコントの実証主義的社会学やランケの没価値的歴史学を持ち出すのは大袈裟かもしれませんが、<私>というものが存在しない評論、ということが目指された徹底した客観主義による評論や議論は、それが完成されたものである限り、どんな分野においても、見事な記述を完成する、ということが確かにいえます。世界をや時間を「情報」あるいは「事実」によって徹底的に語りつくすとき、そこには見事な<私>が成立しうる。あるいは消し去ることのできない<私>を見出だすことができる。しかしそのことは逆に、それが凡俗なレベルで放棄されるとき、おそろしく「退屈」なものを私達に残すのだ、といううこともできる。再び、中途半端的な「退屈」ということが問題になってきます。言い換えれば、それを読めば読むほど、世界を語りつくせないという絶望を喜劇的なほど認識させられる、という意味においての「退屈」とでもいうべきでしょうか。私達の多くがコントやランケのような「あえて語り尽くそう」という精神を有することができないのは言うまでもありません。加えて、二十一世紀的世界というのは、おそらく私が既述した理由によって、ほんの些細な分野であっても、彼らの時代が対象とした世界全体よりもよほどとらえようがないものになっているのですから、没価値的な情報や事実によって世界を表現できると考えることは、奇怪を通りこして、そもそもが実はたいへんな気違い沙汰ですらある、というべきでしょう。「<私>しか存在しない恋愛論」が退屈だ、ということと、「<私>が全く存在しない評論」によって私達を退屈させる、とうことは一見るすると非常に矛盾するように思えますが、自己懐疑を失って独我論と自己喪失を行き来する<私>の軽々しさ、ということにおいては、両者は全く軌を一にする、というべきなのでしょうね。いずれにしても私達は「芸術を語る」という行為を繰り返す人達の少なからぬ人達が「自ら退屈することを知らない人」であって、彼らが「芸術」というものを退屈に語ることによって「芸術」をやせ細らせることに偉大に貢献し、この世界をますます貧しいものにしていることを見て取れるのではないか、と考えます。
     例によって随分と長い前置きになってしまって前置きだけで終わってしまいそうですが(笑)こう考えると、「本を読む(本を読まない)」という話に戻ってみると、「退屈」あるいは「退屈させる」こととは何か、ということを考えれば考えるほど、「本を読む」ということも、それが人間の精神を実のところは実のところ様々にマイナスな方向に誘導しているのではないか、ということが充分成立してくるといえそうです。「勤勉」な恋愛も、「勤勉」な情報言語的映画論も、実は本を通じてより促進されている場合がほとんどです。つまり、「本を読む」ことが、「勤勉」ということに埋没している可能性が充分あるということですね。「本を読まない」ことは全く問題ではないのです。私達が問題にしなければならないのは、「本を読む」という行為ということに意識的になること、だといえましょう。言い換えれば、「恋愛」や「芸術」を、キルケゴール曰くの「勤勉」から救い出していかなけばならないのと同様、「読書」ということを、私達が救い出さなければならないことを意味する、といえましょう。私は「解釈」ということでなく、「読む行為」あるいは「本」ということに、いったいどういう普遍的意味があるのか、ということにこだわりたい。そのことが、どうしても「勤勉」あるいは「他人を退屈させる」ということとかかわりがあることだ、というふうに思えるから、なのですね。
      たとえばこういう非常に苛立たしい現象例が「本の世界」にあります。「読書行為」自体に意識的であり懐疑的でなければならない、ということを考えているのに、「本」の氾濫は、ほんのちょっとした油断で、読書という私の行為自体にも、身勝手に進入してくる。「退屈させる人」も困ったものですが、「退屈させる本」はもっと困ったものだといわなければならない。たとえば「速読術」という私に言わせれば、実に馬鹿げた一分野が本屋の一角を占めています。困ったことに、こういう本の類をマスメディアが薦めるのならまだしも、私の高校時代、高校の国語教師で推薦図書にした教師がいました。私に言わせれば「速読術」が完全に馬鹿らしいということでなく(読まなければならない本の種類によってはこうした技術が役にたつこともないわけではないでしょうから)「速読術」が勝手に普遍的なものとして前提としている「本」というもの、「読書」という行為についての価値観が実に馬鹿らしいのですね。つまり、「速読術」というのは、「読書」を救いだそうとするのではなく、まさにその逆、勤勉さの中に閉じ込めようとするものだ、ということに他ならないからですね。大体、難解きわまりない本、あるいは巧妙な逆説的に満ちた本、平易だがその表現の裏で真実に激しく迫った本、こういった本を「速読」などという技術で扱えるものではない、ということについて、速読術の世界は何も結局何も答えられません。「読書行為」に対するあまりに貧しい認識が前提になっていなければ、速読術が成立するはずがありません。
      哲学者の大森荘蔵は、お昼までに一ページ、ご飯を食べてまた午後一ページ読むという「遅読」法を最高の読書方法として推薦したといいます。これが抽象的な哲学書に限定された読み方などとはいえない証拠に、川端康成は、終戦間近のある時期から、「源氏物語」のみを、毎日ほんの少しずつ読み続けるという読書習慣によって、戦後の創作活動の根拠としたという、エピソードをもっています。川端の「読書」には、空襲その他により、破滅と悲劇を繰り返すその頃のわが国にあって、そうした行為自体が、何かの激しい意味をもっていたのではないかと私には想像できる。あるいは速読術が前提としている価値観の一つに、作者の意図(本の意図)の「正確な理解」ということがありますが、作者の意図などというものと全くかけ離れた「誤読」をしたところで、それが読書という行為においては責められるべきものだ、ということは必ずしもいえない。それどころか「誤読」が創造的行為に結びつくということは「読書の歴史」においては一般的なことだとさえいえると思います。たとえば個別的な読書行為そのものではないかもしれませんが、ヘーゲルの歴史哲学というのは、彼が世界史やプロシア史を読解通読した結果、「世界史はプロシア史によって終焉完結する」というおそるべき「誤読」に到達したことをそのスタートにおいています。ヘーゲルの凄みというのは(私に言わせれば実は世界の大思想家の多くが)モラリストエッセイふうに言うならば、壮大な言葉の体系ということとは別に、「誤読」による勘違いということを生涯貫く中で、自分の哲学体系を完成した、ということにある。「遅読」や「誤読」があるからこそ、私達は「読書」という行為を成立させてきた、とさえいえるでしょう。世界中に本が氾濫しているにもかかわらず、私達がなぜか古の賢人の言葉の紡ぎからますます遠ざかっていってしまうように思えてしまうのは「速読術」のような、実に「勤勉」な本との接し方が、本の氾濫以上の勢いであふれかえっているから、ということができるのではないか、とさえ思います。私達はまずこういう、「本」の側からやってくる、「勤勉」さの魔物、言い換えれば「他人を退屈させる本」の襲来に意識的でなければならないのかも知れません。「速読術」の世界はほんの一例ですが、「本の洪水」ということことの実体は、かくの如く恐ろしい厄介なものなのです。
      「本を読む」ということを、いろいろな「勤勉」「退屈させる」ということのの拘束から、もう少し解体・解放していていってみましょう。私は諸子百家の思想家の中では「老子」が自分の性に合うらしく特に好きなのですが(同じ老荘でも「荘子」は儒家との論争的な気配がやや鼻につきますね)周知のように老子の思想を伝えたこの「老子」という書物は、司馬遷などの伝えるところによれば、生涯のほとんどを隠者として暮らした老子が、函谷関を通り(これに関しても異説あり)その生涯の痕跡の最後を消し去ろうとしたとき、その関守に懇願され、数日間とどまるうちに自分の思想を彼に教え、その数日間の間に彼が記述した約5000字の文章が後世の残された「老子」という書物ということになっていますが、この「記述」についても、彼自身がどうやって記したか、ということの具体的伝承が不明で(あるいはその点の伝説が欠けており)思想を教示したという伝承との整合性から、関守への「口述」であった可能性、あるいは老子があらかじめ記してあったその5000字の書物を携帯して、思想を教示した後、手渡したという可能性も充分考えられます。これまた周知のように、中国では古来から老子の実在そのものに疑問を投げかける説が非常に有力で、その老子の実在云々が老子の哲学をより神秘主義的なものにしているともいえるのですが、ここで私が問題にしたいのは「老子がいたかいなかったか」という議論でなく、「老子」という本が「ある」というその「ある」ということはどういうことか、ということです。言い換えれば「本」とは何か、ということになのです。
     まずもっていえることは、老子という人間は、伝説的存在と歴史的存在のそのいずれをとってみても、自分の人生において、たった一度しか、その5000字の書物の中でしか、自分の思想を語らなかった人物だ、ということですね。そのことは「思想」が「書物」を通して語り尽くされるものでない、ということと、「思想」が「書物」を通じてでしか語られないという、矛盾した二面が存在している。矛盾しているのですが、この場合は表現しなければならない原理が明らかに矛盾しているため、正確を期するためには言葉が矛盾しなければなりません。私達はここで弟子達の記述でしかその思想が存在していないソクラテスのことを思い出すことができるでしょう。つまりソクラテスの思想書を読むということに関しては、「本」という、私達がそこにたどりつけさえすれば何か安心感を与えてくれるようなものの存在感は、ある種の根本的欠如を強いられている。「本を読めばその人物の思想がわかる」という前提からしてまずもってまったく危ういものであるというところから、スタートしなければなりません。老子の生涯わずか5000字の「著作」に関しても、実のところ同じことがいえる。老子は「書いた」かも知れませんが、しかしあきらかに語りつくせないものがその5000字の中に含まれると私たちは考えながら読まざるをえない。しかも、最低限の実在性が保証されているソクラテスに比べて、老子に関しては、「老子」という書物、すなわちこの5000字の著作の成立の伝承自体に、おそろしく不安定なものが存在しています。いったい「本」とは何か、という問いが、「本」という存在に慣らされている私たちには、「老子」という書物を目の前にするとき、自然に湧いてくる、といっていいでしょう。数十人の「老子」的人物が作り出した書物が「老子」であるという説すら存在しています。歴史学や文献学ではそういった「数十人の老子」という説は本来認めにくいのですが、そういった矛盾的学説をどうしても許さなければならないほどに、「老子」という本はその思想内容以上に、その存在を説明することが現代に生きる私達にとって「難しい」書物なのですね。しかしそれがゆえに、「老子」を読むということは、その始まりから、私達に何か私達が慣れ親しんでいる「読書」とは別の何かを私たちの読書行為に強いてくるのです。
      たとえば「知識の実践」という言葉があります。「書物で得た知識の実践」と言い換えてもいいかもしれませんけれど、私達は「思想・知識(本によって得られた知識)」を実践せよ、というニーチェやブルクハルトが言った言葉を、近代世界の小説家、革命家や思想家の、その書物にある血を吐くような、命がけの言葉を読み込むべし、ということにおいてイメージ化しやすいのではないかと思うのですが、その場合であっても、「作者」があってそれによって記された「書物」がある、という安定した構図は多くの場合、読者である私達にとっては崩されていません。言い換えれば、読書という行為自体については、私達は依然として「実践」という生々しいもの、とは遠ざかったものとして考えやすいのです。しかし「老子」という書物はその第一頁から、私達が慣れ親しんでいる安定した構造を崩す何かをもっている、と言わざるを得ない。それは老子という人間が実在したかどうか、あるいは正しい伝承であるかどうか、というレベルのものではありません。そうした「真偽」は「作者の正しい意図」があるという前提に自足している速読術が前提としている価値観と大同小異である、というべきです。「老子」と私達の間にはそもそもが全くの無であるような関係があって私達はそれを出会いの時から、その書を読むたびに、つくりださなければなりません。繰り返しになるかも知れませんがそれは「老子」という本に関しての「正しい読み方」や「作者の考えの正当な理解」が存在しないから、なのです。「老子」を読みながら、私は「読む」こととはいったい何か、という問いを読みながら捨てきれない。「老子」を「読む」ということ自体が、間違いなのかもしれない。あらゆることが根源的に自由なのです。「本」の背後に作者がいるということすらからも自由にさせられてしまっている構造から、私達は意味をつかんでいかなければならない。そうした様々な思いの混乱の中で、私達は「読む」という行為が、安穏としたものでなく、次第に「実践」としかいいようのない激しい何かである、ということが自然と納得できてくるのではないだろうか、と思います。「本」の中で収まりきらないものがあるという読書という行為の不可能性、しかし信じるものは「言葉」でしかないという可能性、その不可能性と可能性がゆえに、この書物がこの存在した初日から、「老子という書物を正しく理解すること」でなく「老子という書物を読む様々な人達の中で解釈・変遷されていくこと」という運命を背負ったものとして、「老子」という書物は存在しているということですね。老荘好きだった湯川秀樹氏は、絶えず「老子」や「荘子」を思い浮かべながら目の前の科学理論の検討を消化していったといいますが、これを「誤読」や「遅読」に低い評価を与えるような現代の読書観からは、いったいどう評価されるのか。湯川氏は老荘を「誤読」したのかもしれませんが、最も理想的な読書の実践者だったというべきでしょう。目の前の様々な理論対象となる事象を、「老子」が言い当ててていたとか、あるいはヒントを与えられた、ということではありません。ヘーゲルが「世界史はプロシア国家をもって終焉完結する」という誤読から、様々な哲学的真理に接近しえたヘーゲルをここであらためて思い浮かべるできでしょう。このことも繰り返しになりますが、これは解釈論ということ沈む問題ではなく、あるいは「時代」によって読書の形が違うのだという社会学的指摘でもなく、読書の「読」と「書」のそれぞれに関して、私達が普遍的なものから遠ざかってしまっている、ということだと思います。蛇足かもしれませんが、こういうふうに読書行為を考えること自体が、変幻や無為による流転ということを絶対視する「老子」の思想になかなかふさわしいものだ、といえるもではないか、と思いますね。
      実は何も「老子」に限ったことではありません。「たくさん語った」とされる思想家においても、事情はさして変わらないものがある、といえます。「老子」においてそれが極大化しているだけの話であって、孔子も荘子も韓非子も、あるいは諸子百家に限らない世界中の様々な近代以前の「著作」のほとんどは、単に「作者の名前」が記述されているだけなのであって、ほとんどの場合、その後幾度も幾度も書き加えれて今日残っています。近代以前の書物に関して、「偽書説」というのが時々ジャーナリズムを賑わしますが(私も時々関心もってしまいますが)「正しいこと」を前提としてしまう限り、私達は「読書」ということを、「勤勉」なものに引っ張ってしまうという悪しき可能性を考えてみる必要もあるでしょう。「正しい読解」の後ろには「正しい作者」がいて、その前には「正しい読書」がありその行き着いた果てには「正しい勤勉(な読書)」がある、といったら言いすぎでしょうか。読書ということ自体が生々しい実践であるということを知り尽くしていたからこそ、古代の賢人は、現代よりも遥かに稀少な本や活字の中にあっても、読書を「実践」行為の次元にしっかりとどめ、そして膨大な言葉を紡ぎだし、大半を出尽くしたと評価してもよいような、哲学・思想の基盤を形成しえたというべきでしょう。読書を「行為する」、あるいは本が「ある」ということは、おそらく現代の私達がなかなか理解せないようなものであった、ということですが、それは単に「違う」ということでなく、読書という行為、あるいは本があるということ、そういうことについては、現代の方が例外的である可能性をよくよく考えなければならないということです。ポスト近代社会やポスト国民国家という議論が喧しいですが、私としてみれば、「本」と「読書」ということの周囲にある近代社会や国民国家の束縛といった身近なことを、問題対象にしていってほしいと思います。「本を読まない」と嘆く老先生や文学青年の友人はもちろん、部屋の中の自分の時間に充足しきった読書を理想状態と考えている私も、本を読むというこということ自体に意識的でないということから、「本」あるいは「読む」ということを考えださなければならないでしょう。
     「老子」の中で私が特に好きな言葉に「民に利器多くして国家ますます昏く、人に伎巧多くして奇物滋(ますます)起る」というくだりがありますが、私はそこに、「読む」こととは何か、という問いの存在をいつも思い浮かべ、自分をなるべく懐疑的な方に引き寄せようと思っています。もちろんそも懐疑も「読む」ということと無関係でないという逆説の中に、私の読書行為は存在せざるをえない。それは決して意味のない遊戯ということでなく、空虚な書物の洪水がますます予想されるこれからには、何かの意味があるものではないだろうか、と考えています。最後に問題をあらためて整理しなおすと、それは「あらゆる人間はあらゆる時代と同様に、今でもなぜかまだ奴隷と自由人とにわかれている。なぜなら自分の一日の三分の二を自分のためにもっていないものは奴隷であるからである。たとえその人物が政治家・役人・学者など何者であろうとしても全く同じである」というニーチェの言葉が言おうとしている「自分の時間」ということの本当の確保、というものにつながるものではないか、と私は思います。
「時間」の世界について(1)

     放送大学とアニメしか観ない私でしたが、最近、私は休日の時にたまに、一日の大半、教育テレビを観賞し続けることがあります。教育テレビにはまっている、といっていいでしょう。別に私の頭が幼児化したということではないのですが(笑)怠惰なドキュメント番組や三文推理ドラマ番組など比べて、教育テレビ番組を、かつて子供の頃観たときと違う視点でみる方が、全然面白い。何か決定的なある面において、自分が積極的になれます。「テレビが悪い」というPTA的説教が意味するところは、受け身になって無思考になることを視聴者が強制されるということなのでしょうから、教育テレビと「大人」のかかわりというのは、PTA的には理想状態なのでしょうか。教育テレビの世界を観るときに使わなければならない感受性の幅というのは、大人のテレビの世界よりもずっと広い。・・・「道徳」の授業に使われる掌編の物語ドラマ・「音楽」の授業に使われる様々な楽器の話・「社会」の授業に使われる歴史から地理に至る様々なテーマの解説、というふうに、いろんな番組が矢継ぎ早に流れてきます。何より大切なことは、なるほど、「人間」をつくりだすための作為というものは、こういうふうなものなのだな、ということを感じることができることだといえましょう。
      番組の短い時間に、殆ど無駄がなく、一つ一つの場面にある、明確な意味付けを感じていくことができます。「子供向けのプロパガンダ番組」と悪口を言う人がいるかもしれませんが、「プロパガンダ」というのは、大人が大人を作り変えるという意味での作為、「人間をつくる」のでなく「人間をつくり変える」ということであって、世界が未知なるもの(子供の世界)を変えようという緊張感が全くない。だからつまらないし退屈だし、先が易々と読めてしまうのですね。教育テレビの世界というのは、そういう退屈さというものが、全然ない世界です。しかし、だからすばらしい、ということではありません。「プロパガンダ」というのは批判しやすいし拒否しやすい。しかし巧みな教育番組というのは、「何か」を逆に自然な形で私達に侵入させてきて、私達の一部としてすっぽりおさまって、結果的に完全な洗脳を達成してしまう。教育テレビの世界の面白さに浸っていると、段々と怖さが感じられてくる。もちろん教育というものは何処かに詰め込みということを伴わざるをえないことは理解できます。しかし「考え方」というものは強制された知識ではない。そこに洗脳といわれるものが登場する余地が生じうる。「洗脳」は洗脳だと批判できるうちは洗脳としては不完全なものなのですね。だから、教育テレビを観るということは、非常に怖いものを感じさせることでもあります。
      たとえば理科系の教育番組の大部分が、子供の頃は楽しく受け入れて、今の自分が観ていて全く受け入れることができない。苛々してくることさえあります。何もかも和やかに、そして子供の知的好奇心に沿うように、番組が展開していくのに、そういう違和感が増幅してくるのは、なぜなのでしょうか。たとえば、私達の頃がそうで、今の子達がそうかどうか断定はできませんけれど、私達は教育テレビの番組を観ていて、大人の世界の骨稽さを感じると、番組の終わった後、すぐにそれを茶化したものです。社会科の番組を観ていて、「こんな街なんかありえない」「工場はもっと汚くてうるさい」という印象なり知識を、登場する大人達を戯画化することでもって、番組の終わった後に楽しんだりしたものです。あるいは音楽の教育番組には、「実はこの人達より、流行歌の方がいい歌なんじゃないの」という類のからかいなど、ですね。もちろんそんなことをしていて大人達には怒られますが、こういうことは、大人の客観主義とは別の、世界の真偽への、子供達の鋭い挑戦の始まりとさえ言っていいでしょう。ところが理科系の教育テレビというのは、子供の戯画をはさむ余地がなかったことに、はたと気づかされました。もちろんそれは理科系教育番組ばかりに、というわけではないのでしょう。ただ「憧れ」と「権威」は表裏一体であり、その「権威」が、「客観主義」の衣を纏い登場する瞬間が、実はこの教育テレビの世界のいたるところにあるのではないしょうか。そして典型が理科系の番組にあるように私には思えたということです。
      たとえば生物関係の授業で、「数十億の細胞によって構成されている」という表現に、子供達が驚く、という番組内の雰囲気の作為をあげてみましょう。「数十億」のという数字のアナロジーが、いったいどこからくるのでしょうか。数十億が多いのか、少ないのか。私達は「数十億」の生物的存在というものに関して、殆どの人間が地球人口の認識が常に先行するように精神教育されていますから、「数十億の細胞」は、実は人口学的世界の数字認識を基準に「驚く」可能性が非常に高いといえましょう。しかし数十億の細胞数と、数十億の地球人口のいずれが基準的存在であるかは、本来無前提であるべきことなはずです。あるいは無前提であるように教えることが、正しい生物教育だと私は思います。「数十億」が地球人口の数に近いということで「多い」と捉えると(地球人口を「少ない」と感じる人もいるでしょうが)「数万」や「数千」という生物学的数字が登場した場合、それが「少ない」と感じる傾向になるでしょうが、「数十億」に驚くということが子供の「純粋」さではない、ということがいえてくると思います。しかし、私達は殆どの場合、ずっとこのつくられた「驚き」を子供の時からそのまま、ある種の固定化された知識として持続してしまっている。子供達の「驚き」がここにおいて、ある意味でつくりだされている。驚くということは確かに子供の哲学的特権です。しかしつくりだされた驚きはそうではない。私達はずっと驚いたまま、この「数十億」の数字の世界に置かれています。杞憂といえばこれほどの杞憂はないかも知れませんが(笑)あえて言うと、地球人口の数を超えた数字のリアリティを知らないことは、膨大に広がる宇宙やこれまた無限に微細な生物の世界のリアリティを知ることの何かの障害になるのではないでしょうか。
       あるいは「動物の神経の反射」をあげてみます。動物の神経反射は小中学の理科教育において繰り返されるテーマで、実験風景の楽しさとともに憶えていらっしゃる人も多いでしょう。神経反射自体を子供達に知識的に伝える。その実験の後・番組の結論において、「動物の神経反射も人間と同じなんだね」というニュアンスのコメントが頻繁に登場します。調べてみると、教科書にも同様なものが多い。自分の記憶をたどっても、確かにそうでした。しかし、これもおかしい。私達の刺激反応と動物の刺激反応が同一であるということは、実は何の根拠もありません。多くの科学哲学者が指摘するように、私達が「痺れる」と感じるとき・叫ぶとき(あるいは考えるとき)私達は「痺れる」という概念を了解して認識している可能性が高いわけで、「概念」をもたずに神経反射する動物達の反応と、何らかの差異があると考えなければなりません。当然、乳幼児の神経反射は微妙なものということになります。「言葉」を有しているかどうかの境界線ということですが、ここにまた、生物の世界を同一視するアナロジーが隠れて登場している。もちろん、人間と人間外の生物に、生物学的に同一な面は少なくありません。しかしそれもまた、無前提的なことではありません。動物と人間の共通項という前提が作為されていることによって、神経反射ということを理解する、という筋道がつくりだされ、以後、そのままずっと、私達の生物というものの理解を継続している、ということができそうな気がしてくる。難しい専門知識や科学哲学的認識をそ教えるべきだ、ということではありません。「人間と動物が同じ」ということを比喩したいのなら、何もこんな神経反射のところで、いわなくてもよいだろうに、と私は単純に思えるのです。
       私達にとってもっと身近な話になると「緑の地球」の比喩の世界があります。たとえば、「光合成」を巡る教育の話です。光合成による酸素の話をしながら、環境破壊を嘆くというニュアンスが登場します。「永遠なる緑の地球」の比喩の世界ですが、これも作為のたまものです。酸素というのは、私達にとって絶対必要なものであると同時に、最大に毒性の強いもので、酸素を倍加した空間の中でマウスの老化が異常に早くなるという実験結果にみられるように、過剰な酸素は体に最大の老化をもたらします。この酸素の毒性というのは、一般科学的にも殆ど完全な定説にもかかわらず、不思議なほど、一般論になりえていない。進化過程でもこのことは立証されており、この地上にはじめて生物が出現したのは約35億年前ですが、その後、光合成植物が出現した25億年前、短期間で酸素が現在の地球の千分の一まで増加したとき、その酸素の毒性についていけないために実は地球上の生物の殆どが一度絶滅してしまっています。つまり「緑の地球」になりはじめたとき、まさにその「緑」がゆえに、生物はあやうくこの地球から消えかかっている、というのですね。もちろん私達の環境破壊は嘆かわしいことですが、しかしそのことと、「緑=光合成植物」の増加と地球の繁栄を結びつけるのは、全く別の問題だというべきでしょう。たとえば世界の光合成を今より倍加させれば、地球上の生命の寿命は短縮し、地球はある面において「荒廃」する可能性が高い、とさえいえるのです。ヨーロッパには「緑の政党」なるものもあって、「緑の地球」の比喩を心の支えにして、環境運動に奔走している人間はこの地球上に少なくないように思えますが、「緑の地球」の比喩がいったいどこからスタートしているのかといえば、これも教育番組以来、脳内の住人になっているといえるのではないでしょうか。
       もちろんこうした作為の一つ一つを指摘していけばそれはきりがないことだし、作為が善意か悪意かは、必ずしも明白なことではありません。間違いを指摘したいのではありません。つまり、教育批判が本稿の目的ではありません。「数十億の細胞」といい「神経の痺れ」といい「緑の地球」といい、そうした作為の背後には、多くの人によって無言に多数可決された「承認された世界」というものがある。繰り返しになりますが、その一つ一つを覆す、という単純な権威破壊的なことはあまり私はありません。教育テレビを観る。「承認された世界」のからくりを知っていく営みの中で、この「承認された世界」の根幹はいったい何なのだろう、と考える、ということです。私達の日常の背後には、まるで「物自体」のように、「承認された世界」というものがあって、私達の日常がその反映である、という、実にドイツ観念論的錯覚、というべきでしょうか(笑)端的に言えば、教育テレビにしても、教育書にしても、それに触れることで、「承認された世界」以前の無前提的世界へと、遡行したい、「承認された世界」の作為が色々明白になる段階で、この「承認されたの世界」で最も崩壊しにくく存立していて、しかしその反面、崩壊したらば何もかもが危うくなってしまうものはいったい何だろうか、と考えたい、そういう欲求が湧いてきた、ということですね。「数十億の細胞」の営為が解体しても、私達の「承認された世界」は揺るがないでしょう。「神経の麻痺」も「緑の地球」もまた然り。それらは間違いをきちんと修正して、再び、「承認された世界」に舞い戻ってくるでしょう。それらは決して、根源的な「承認された世界」の要素ではないから、です。
       私達の「緑の地球」の比喩なんかにも典型的に現れることですけれど、私達は、数世紀の後の「理想社会(地球)」という理念を、小中学の時から教えこまれる。私もかつてそれに胸を躍らせたし、今の子供の大半も多分、同じではないかと思います。しかし数世紀後の自分は存在していない、ということを考えないようにするからこそ、数世紀後の世界について、自分の事のように喜べる、という恐ろしい矛盾に私達は気づかないということも、実は同時に教え込まれているので す。確かに驚きは子供の哲学的特権ですが、しかし数世紀後の世界に自分がいない、ということの不思議や恐怖が、子供の哲学的感性というべきで、実は未来世界への理想主義というものは、その感性を破壊したところに存在している。「23世紀とは何か?」という問いに、「23世紀は23世紀でしかない」と訝しむように、私達は次第に慣らされます。ここまでは「承認された世界」への懐疑の一例にしか過ぎませんが、ここから先に私達の「承認された世界」を根本的に揺るがせにする、「時間」についての「承認された世界」というものが広がっているように私は思います。
         子供達にとって「未来」ということが、哲学的感性に基づいた大問題から、理想世界論その他の限定を著しく受けた認識へと移し変えられてしまう。私達が存在する全く可能性がない未来時間だけではない。私達が存在する可能性がある未来ですらも、それは可能性であって確実ではないのに、それが実在するような気がする。それが何であるかは、実は私には判然としない。「来年の自分」「明日の自分」の「来年」「明日」ということについて、私達の「承認された世界」は何か違っていたのではないだろうか、という疑いが、実は子供の哲学的感性からそぎ落とされたまま、しかし私の中には残存しつづけているように思います。「来年」の自分や「明日」の自分が今のようにあるとは百パーセントの保障はないのに、なぜ「ある」ような気がするのだろう、ということは、古くからの問いであり、しかし依然として新鮮な問いでもあるのですね。子供の時の微かな記憶で、私達の明日・来年・そしてその後の無限の未来・死ということに、感性的に思いを至らせていたはずなのですね。もちろん、どの教育書にも教育番組をひらいても、そんな類のことはどこにも書かれていません。「未来」ということはいったい何なのだろうか、ということを疑わないところに、私達の世界のいろいろは存在しています。疑うということは当然、未来の非在ということを考えるというわけですが、「時間」への疑問が全面化して、私達が承認していたはずの「未来」が崩壊したら、いわゆる理想社会だけでなく、約束、子育て、家族形成、社会建設、そういう「未来」にかかわるものの一切のものがぐらついてくるのです。
      「時間」についての「承認された世界」への懐疑を、未来的世界でなく、反転して、過去的世界に向けてみて、懐疑を考えてみると、私達のぐらつきは、よりひどいものになる。はっきり言って、立っていられないくらいのものになる。なぜなら、「過去」は自分の人生的時間の範囲でしたら、それを経験してきたという実感があり、自分の人生的時間の範囲を超えた範囲のものでしたらそれは証言や物証によって存在してきたように私達は考えるからです。私達にとって、存在していたはずの人生の色々な苦楽の段階が、果たして存在していたのか、と考えることは、「承認された世界」の安定した住人からすれば、狂人の行為の一種となるからです。個人の人生的過去が崩壊するだけならそれはある意味で重大事ではないかもしれませんが、「過去」の実在性が崩壊するということは、人文科学・社会科学・自然科学の殆どの基盤を危うくすることを意味します。しかし、にもかかわらず、私達は自分の人生的時間をこえた時間を、体感的には知らないはずにもかかわらずなぜそれが認識できるのかという問い、そして私の人生的時間の過去とはいったい何か、という静かに眠っていた問いは、教育テレビの、「承認された世界」の創造を観るにつけ、再び蘇るように思えてきました。・・・疑われない「時間」というものがそこにある、ということですね。「過去」に関していえば、「私がいた可能性のある過去」と「私がいる可能性のない過去」の双方が、果たして実在するどうか、という問いかけですね。こう考えると、いわば教育テレビは「パンドラの箱」みたいなもので、変な大人の私が観るとずいぶん罪つくりな世界に変貌してしまう、ということでしょうか(笑)
        私は前回の自殺論で、「否定」ということを知っているということは「無」を知っていることであり、「無」を知っていることは自殺という否定を人類が言葉を知っていることから導き出せることだ、といいました。このことに関して、一部の読者から「果たして人間だけが否定を知っていると言い切れるのか」とその見解について疑問を呈示されました。が、動物の意識が不明だとしても、否定ができるのは、明らかに言語的動物としての人間だけです。様々な動物が、数字や色や食べ物に人間同様に反応したりします。動物は賢い、と私達は印象を抱く。動物は優れた直観的本能によってそれを判断している。しかし、改めていいますが、動物は、目の前の「物」に対して、刺激的に反応しているだけです。そこにないものに対しては反応できない。いい証拠に、動物の目の前に「ないもの」のカードに反応する実験をしてみればいいでしょう。「青色のカード」に行くことはできても、「青色でない」カードのところにいくような動物の行動ということはありえません。あるいは自然世界を考えてみて、たとえば狼が、ある場所に行くと必ず食物を得られるということで、一定の時間に一定の場所に必ずいく。ここでまたしても、神経反射と同じ、人間と動物の共通項のアナロジーのフィクションが登場しているわけですが(笑)では狼が、そこに行く以前に「あの場所」「あの時刻」ということを認識しているかというと、決してそうではありません。今の場所が「あの場所」でない、今の時刻が「あの時刻」でない、という否定的了解をしているわけでなく、天体の動きやその他体内の生理的システムから、「あの場所」「あの時刻」へと移動するのです。つまり「あの場所である=あの場所でない」「あの時刻である=あの時刻でない」というふうに、私達は否定を通じて、それをセットにして、対象の実在性というものを確保できる。目の前に「ある」というだけでは、対象の実在性を確保することはありえません。ですからもちろんのこと、自分の生命について、「自分の生命がない」という状態を認識することは不可能で、当然、動物に自殺はありえない、ということになります。
      そして、「否定」の世界は、私達にとって、自分達が目の前にないものを次から次へと理解できることを意味するように思われます。ここにおいて、私達は、自分の目前にないものとしての「自分がいない世界」すなわち「世界」への認識というものをスタートすることができるようになると思われます。「自殺」ということも、否定(自分が存在しないこと)を知った瞬間から私達に嫌が応なく訪れた不幸だということになりますが、実は私達にとって「時間」もまた、この否定的了解によって生じるものだと考えられます。なぜか。ただ漫然と流れる今が、「過ぎ去ったとき(過去)でない」あるいは「これから来るとき(未来)でない」ということを了解できるときに、私達は独立して「現在」ということを理解できるようになるから、です。「無としての現在」が、「実在としての現在」の認識と、表裏一体のものとして私達に登場してくる。事物の認識における「否定」の存在は、「世界」ということの認識を私達に教えた、と私は考えますが、現在の認識における「否定」の存在こそが、私達の「時間」の認識のスタートだ、というふうに私は考えます。「否定」を知っている動物が人間だけなら、「時間」を知っている動物も人間という言語的動物だけだ、ということができましょう。
       狩猟採集民族と農耕民族の文明史的考察は本稿の主要な論題ではありませんが、「時間」の認識ということについて考えると、狩猟採集民族よりも農耕民族の方が、ずっと「無としての現在」を知らなければ農耕行為が成立しないのは明らかで、人間と動物との意識の違いが鮮明になります。もちろん狩猟においてさえ、私達人類と動物は、言語取得による否定によって、その方法は明確に別れます。「獲物を待っている」の「待っている・・・」に、人間の待機行為には「・・・まだ来ない」ですが、動物の待機行為には「・・・まだ来ない」という否定性は含まれないと考えられます。「待つ」という行為は、人間にしか成立しない否定的行為であるともいえましょう。が、しかし、表面をなぞるだけですと、多くの面で、動物の狩猟方法と類似しているともいえます。「待つ」行為において、その場の嗅覚や地面の動きその他、動物
的能力がねければそれは成立せず、否定的判断が正面に現れるということはありません。狩猟には自然的現象に対する直観的把握という面において、動物に似た能力が必要といえるでしょう。考えてみれば、メディアで展開される動物の「賢さ」の演出も、その殆どが、狩猟的レベルに還元できる刺激や反射を巡りなされているわけです。
      ところが比べて、農耕的な世界というものは、絶えず、「在る」背後の「無い」世界を認識しなければ、絶対に成立しないようになっています。言い換えれば動物に農耕は(たとえ農耕技術自体を身につけたとしても)決してできない。農業収穫は、それがたくさん「ある」年・時間に、「ない」年・時間のことを考え、種の量その他を考えなければ成立しないから、ですね。大河の氾濫や害虫の襲来などの予防的側面も全く同様です。「世界」や「時間」を認識した生物でなければ、農耕という営為をおこなうことはできない。たとえばよく文明史的説明が、農業生産の上昇により、食料供給が安定したから、古代文明の進歩が始まった、というふうに言いますが、私はそういう統計学的説明よりも、「否定」という言葉の契機が、農業生産の創始とともに飛躍的に高まり、そのことが、「世界」や「時間」の認識を大きく向上させ、文明の各分野の展開を創始した、という説明の方がより説得的なものに思えます。そこまで言うと、ある種の「否定論ドグマ」のように聞こえるかもしれませんが(笑)人類にとって「否定」こそが、エデンの園で不意に知ってしまった知恵の禁断の実であった、ということを、私は妥当と考える立場を採ります。     
      しかし、「否定」ということが時間の認識の始まりだということがたとえそうだとしても、時間を巡る「承認された世界」は全く揺らぐことはないでしょう。つまり、このことは「時間」の起源を説明するだけで、「時間」の認識の構造を考えることは次の段階だということになります。たとえば、時間認識を本格化した文明初期段階の民族と話をすることができても、彼らは現在と「現在でない時間」の区別ということまでは私達と同意できますが、「現在でない時間」がただちに「未来」や「過去」を意味するとは限りません。人類学的指摘によると、アフリカやアジアの部族のいくつかには「未来」を意味する文法が存在しない。あるいはヒンズー教徒の時間にとって、「過去」は私達近代文明人が考える「過去」とは全く異なったものなのです。このことは、まずもって、私達にとって、「過去」や「未来」ということが、相対的にしか存在しないことを、文明史的なレベルにおいて、まず教えているということができます。
       大体、「現在」ということからして、私達は定義しないまま、その概念を鵜呑みにして日常使用していることが、ほんの少しでも立ち止まって考えるとすぐにわかります。たとえば、「現在」が一瞬間・一瞬間の連続であるという物理学的時間論を突き詰めても、「現在」というものが「一つの時間」として成立するのはいったい何時なのか、という答えは全く出てきません。「一瞬間」といっても、それがどんな範囲かということは、時間計量的には定義が不可能です。たとえば今から五分間くらいの狭い範囲が「現在」だ、としても、その中にいろんな激しい出来事がたくさん生じ「おまえは今いったい何をしている」という答えに対して、五分間よりも更に短い時間に「現在」的概念がたちまち幾つも成立してしまう、ということもいえてしまでしょう。しかし「出来事」が基準か、というと、そうも言い切れません。出来事が全く生じず、意識も無意識的な限りなく空無に近い状態においても、「現在」が成立する余地は充分あるといえます。「現在」論は後述のテーマなのでここでは深入りはしませんが、いずれにしても、私達は「現在」ということさえも不明なまま、「時間の世界」に住んでいる、という指摘が可能ということになります。
       「現在」さえも不明な「時間の世界」の不思議さの一例に、モーゼス・メンデルスゾーンの詭弁的表現の一つをあげることができるでしょう。その詭弁に曰く、私達の時間が量的連続だとすると生の連続は確認できるが、死の段階に移行する瞬間というものは確認できない、ゆえに私達は死なない、というものがありますが、つい笑って見逃しがちなこのメンデルスゾーンの詭弁に、実は、私達の時間認識の構造の問題への問いかけの始まりがぎっしり潜んでいる、といえます。もちろん「死なない」というメンデルスゾーンの認識は間違っている。しかし私達が瞬間から瞬間に移行する場合の「瞬間」が「一つの時間」であるということはどういうことなのだろうか、ということ、最も明白だと思い込んでいる生から死に移行する「瞬間」さえも認識できない、つまり、「死ぬ瞬間」ということが「一つの時間」として成立することさえ疑わしい、ということが、メンデルスゾーンの認識の意味するところなのです。しかし「死なない瞬間」と「生きていた各瞬間」がアナロジー的に確立し継続するという思考法は出鱈目です。現在と過去を連続的に考え、どちらかの否定がどちらかの肯定につながるという単純な(しかし私達の殆どが陥っている論法)に、このメンデルスゾーンの詭弁は陥っている、といえましょう。なぜこういう誤謬に陥るかといえば、現在と過去のいずれかが「本質」である、という前提を、メンデルスゾーンが考えているから、というべきでしょう。「現在」の成立の難しさがそのまま「過去」の成立しやすさに流れるとは限りません。つまり、現在と過去、さらには未来のそれぞれが、全く別個の概念であるという前提から、各概念に向かって考えることが、時間論に関してのスタートラインである、ととりあえず考えるべきでしょう。時間は何処かに本質があると思うと、たちまちこのような、「本質」と「偽物」のアナロジーに陥ります。カントは、時間論というものは、「時間とは何か」という総合的懐疑だと見えにくくなるもので、「時間とはいろんなところでいかに別個に存在しているか」という分析的懐疑対象である、といいましたが、これはなかなか妥当な見解だといえると思います。
        分析的懐疑対象としての時間ということで思い浮かべるのは、たとえば、サルトルの小説「嘔吐」に、存在を巡ってのロカンタンの有名なマロニエに木を巡っての嘔吐感の場面とは別の場面にある、「時間」を巡ってのロカンタンの次のような認識論なのですが、ここでロカンタンの言葉を借りてサルトルが言いたかったことはいったい何でしょうか。
      「・・・束の間の輝きからは、もはや、何も残っていなかった。・・・周囲を私は不安気に眺めた。現在だけだ。現在以外のなにものもなかった。それぞれの現在に閉じ込められた軽くてしっかりした家具、テーブル、ベッド、鏡つき洋服ダンス・・・そして私自身。現在の真の性質が暴露された。それは存在するものであった。そして現在でないものは全て存在しなかった。過去は存在しなかった。少しも存在しなかった。事物の中にも私の思想の中にさえも存在しなかった。・・・確かに、久しい前から、私の過去は私から逃れ去ったことがわかってはいた。しかし今まで、私は過去が私の手の届かないところに引込んだだけだと信じていたのである。それは存在の別の仕方であり、休眠の状態・活動停止の状態であった。事件がそれぞれ結末を告げると、それはおとなしく箱の中に整列して、名誉ある事件となった。それだけに、無を想像することは大変な骨折りなのだ。だが私は知った。事物は全くそうらしく見えるもの、それだけのものであり・・・そしてその<背後>には、何もないことを・・・・」
       私達にとって、「過去が存在しない」ということは、否定的に考えるか肯定的に考えるかということ以前に、あまりにも漠然とした言い方、のように聞こえます。文学においても「過去」ということは、無数の回数使われてきたでしょうし、ある意味で軽い、詩的言語の一種のような気もする。しかし「私の思想の中にも(ない)」というくだりになると、「それはおかしい」というふうに言われるのではないでしょうか。少なくとも、私の思想(頭脳)の中には記憶という形での「過去」が存在しているではないか、というふうにです。しかし「記憶」が存在するからといってただちに「過去」が安定して存在するかというと、そういうことにはなりません。
       大概、私達は数年前の記憶・数年前の記憶・数日前の記憶のそれぞれが、何かの秩序をもって、線的に整理されているように思っています。この時間的秩序が狂うと「ボケた」と思われがちです。一年前にあったことを一ヶ月前にあったように思い込んだり、子供の頃にあったことを先週にあったかのように思い込んでしまう。ひどくなると、食事など日常的生活においても生じてきます。「ボケた」人間が正常な人間にとって痛ましく思えるのは、その人が生きてきた様々な「過去」から遠ざかった存在になってしまったかのように感じられるからです。「過去」を共有しているからこそ、愛情その他の様々な感情が共有できているという了解が私達にはある。ゆえに記憶が混乱した人間はその共有ができなくなったことを意味してしまうのです。しかし、その「ボケた」人間の、脳内生理力がデータ的に異常を来たしたのは確かだとしても、その人間が「過去」から疎遠な人間になったかということには、懐疑的にならざるをえない、といわなければなりません。言い換えれば、私達が「過去」を共有しているのかどうかということは、幾重にも疑って考えなければならないことなのです。
        たとえばアリストテレスやアウグスティヌスが確立した古典的時間論の指摘の一つに、人間が物事について出来事を思い出すとき、思い出している今と思い出しているその出来事の間の、「その間の時間」が全く存在しないということはいったいどういうことなのか、というものが存在します。記憶とは何かということについても実は一筋縄でいかない問題が様々あるのですが、それはひとまず置いておくとして、私達は昨日も昨年も20年前に関しての記憶も、それらを現在において同じく思い出していることには変わりない。各記憶はそれ自体では、「思い出す」行為の前において、どれも平等的に存在している、ということです。20年前だからといってより思い出すのに長い時間がかかるわけでもない。ただ、次のことが問題になります。私達は思い出すときに、その思い出す行為に、「あれは20年前のことだったな・・」という、時間の線的認識を付加して、「思い出す行為」を二重化しているのです。この線的距離を一気に超越たような気になって、昨日の記憶と20年前の記憶が等しく思い出すことができるために、私達は歳をとればとるほど、時間の経過ということを記憶とワンセットにして、時間の経過に対して感慨をいだく、ということができるようになる。これが「その間の時間がない」という古典的時間論の指摘の一つの帰結ということになります。ここにおいて時間の「線」的認識ということの問題があらわれてきます。私達は思い出す行為の中で、実は記憶の秩序化の作為を通じて、時間に何らかの秩序化を施しているのです。
        そう考えると、記憶・時間は線的存在でなく点的存在だ、という指摘に陥りやすいですが、しかし、実のところ、「点」である、という指摘すらあやしいのです。多くの時間論を巡る思索家が言うように、私達は思い出すとき、その時と全く同じ生理状態に自分を再現できることは不可能です。どんなに苦しいことであっても、全く同じ状態になるということは不可能なのに、私達は「思い出す」行為が成立しているかのように了解しています。言い換えれば、「思い出す」行為というのは、過去を再現しているのではない、ということですね。すると、「点」という喩えさえも問題が出てくるといわなければなりません。「思い出す」行為が謎だ、と言いたいのではありませんが、思い出す行為というのは、ある意味で、非常に限定的な行為だという認識が大切だと思います。にもかかわらず、私は文明の至るところで、この思い出す行為に過重な意味を感じるように考え、この行為を通じて、過去というものの実在化ということができるかのように考えています。この作為を見抜いていたアウグスティヌスは、「過去は場所ではない」と主張し、「魂の延長」というところにしか過去はないのだ、と巧みな表現を用いました。こうした考察は、「過去は存在しない」というロカンタン(サルトル)の過去不在論のロジックの第一段階を意味するものである、といえるように、私には思います。
        アウグスティヌスの「過去は場所ではない」という言葉にここでとどまってみましょう。「場所」とまでは言い切れないとしても、「過去」は何処かに存在しているかのような了解が、私達にはあるような気がします。ここに、実は過去論の主要部分である、時間の空間化ということの問題が存在しているように思われるからですね。たとえば私達は物理学的時間論の殆どが、客観主義の衣を纏いながら、実は、時間の空間化をいたるところに施した上に成立しているきわめて貧弱なものだということ、をまず認識できると思います。物理学の世界の時間論というのは、実は空間的比喩だらけで、その比喩そのものに関して、自省的ではないのですね。時間は「線」でも「点」でもない、「線」も「点」もそれらは比喩的空間の世界にのみ存在するものだ、と考えるときに、私達は物理学的時間論に支えられていた自分の時間認識に気づかされるのですが、しかし一見すると時間を、物理学的認識から離れて分析しているような時間論にも、この空間化という作為が施されています。「時間の空間化」ということは、私達文明人の殆どが身につけている作為だといえましょう。すなわち「時計」にせよ「人生」にせよ「歴史」にせよ、私達は「数える」という行為によって、時間を抽出し、空間化の作為を通じて、「時間の世界」に安住することができるのだ、といえるでしょう。それが崩壊し、「承認された世界」の何かが崩壊するとき、「嘔吐」のロカンタンのように、時間に対する崩壊感覚が自分達に訪れる、ということになるといえる。
        たとえば、真木悠介(見田宗介)氏は、時間論の名著と言われる「時間の比較社会学」で、原始共同体=無限反復的時間・ヘブライニズム=線分的時間・ヘレニズム=円環的時間・近代社会=直線的時間という4分類を行い、欧米や日本の近代社会においては物理学的時間論の延長である直線的概念であり、近代人の殆どがその直線的な客観的時間から疎外されている状態にある、と説明しました。これは非常に見事な分類であって、確かに、近代社会における時間概念は直線的なもので、物理学的な平板さを有しており、実は根拠の不明な時間概念といわなければならないのです。が、「線分」「直線」「円環」その他の概念を使うときに、真木氏は「時間の空間化」という、時間論の根源的な落とし穴にすでに陥っている、といわざるを得ません。「直線」だろうが円環だろうが、「時間」は「時間」なのであって、「空間」ではありません。比喩が実体化しているということに意識的でないまま、私達は時間を語り続けているという誤謬に何時までも取り付かれてしまうのですね。大森荘蔵氏は真木氏の時間論を「早トチリ」と揶揄しましたけれど、真木氏ほどの社会学者でも、なかなか「時間」と「空間」の区別が読み取れないところに、時間理解の難しさの一端を垣間見ることができましょう。そして真木氏よりもずっと安直なレベルで、私達は時間を絶えず空間化し、時間について語っているようにみえて、実は時間に関しての空間的比喩のせめぎあいを延々と議論しているという場合が殆どなのです。
        日常的な言葉遣いの世界でも、「人生が短い」「人生が長い」という人生論的時間の感慨からして、私達は時間を空間化してしまっています。たとえばカントは、「自分の一生の大部分を通じて退屈で苦しめられ、毎日が長く感じられていた人間が、それなのに人生の終わりになって、生の短さを嘆くというのはどういうわけなのだろう」と「実用的見地における人間学」で説きましたが、こうした人生が「短い」「長い」ということが、すでに時間というものを直線化(空間化)して理解把握しているということを示しています。あるいはメルロ・ポンティが「過去が移り行くのか、自己が移りゆくのか、あるいはその二重構造が妥当か」と、一見すると非常に時間論的に深遠な命題を論じていますが、これもまた、「移動する」という空間的比喩を知らずに使っていることに意識的でない、時間論的にみて比喩のせめぎあいに過ぎないもの、といわざるをえない。また、戦後文学で最大の哲学派人物とみなされている埴谷雄高氏が、美しい修辞学で語る永遠や無限についての文学世界も、時間論という側面からみると、その内実は時間の空間化的比喩の世界の凝縮であって、「時間」について根本的に洞察しているとはとうていいえない。ここまで考えると、サイエンスフィクションやバーチャルリアリティの時間世界の大部分が、一見すると、実に整然とした時間的世界を有しているようにみえて、その実、単純な空間化されたものにすぎないのは言うまでもありません。
       こうした空間化されてしまった時間認識の最大の問題点は、瞬間瞬間に過ぎ去る(消え去る)現在的時間が、その後、過去的時間に姿を変えて、何処かに「存在」しているが如き錯覚をつくりだしてしまう、ということに他なりません。シラーの「未来はためらいながら近づき、現在は矢の如く過ぎ去り、過去は永遠に静かに立っている」という有名な「時」に関しての詩に代表されるように、私達が「時間」ということに小説や詩で出会うとき、「何処か」へ過ぎざるという表現に出会う場合が非常に多い、といえます(その点、サルトルのこの小説はきわめて例外に時間を冷徹に認識している稀有な例です)「何処か」ということに関して、何処でもない、ということを明確にしつつ考察をすすめなければならないことは、時間論にとって、最も留意しなければならない点だというべきでしょう。そして、こうした作為全体を完全に見抜いて、アウグスティヌスは「時間は場所でない」とすでに指摘していた、ということになるといえるでしょう。あるいはロカンタン(サルトル)の言葉に立ちかえると、私達は時間が「私の手の届かないところに引っこんだと信じ込んで」いると錯覚して思っている、ということになるわけですね。
       「時間が場所でない」ということは、「過ぎ去ったかのようにみえる時間が場所でない」、もう一度言い換えれば「過去はどこにも場所的に存在していない」ということになるわけですが、では、空間的比喩を取り払ったところにおいて、どこかに存在するものなのでしょうか。再び、「思い出す」行為について考えてみましょう。「記憶」が明確化するとき、私達は漠然とですが、しかしその記憶一つ一つを言語によって概念化しています。もちろん、概念(記憶)の一つ一つに名前がついているということではありません。私が漠然とした映像を思い浮かべながら、あれは「何処そこに、誰彼といた・・・」というふうに、どんな形であっても言葉と結びつくときに、記憶が鮮明になってくる、ということですね。ゆえに、「否定」だけでなく、「思い出す」行為というのも、私達言語をもった人類特有の行為という可能性が高いと私は思います。「記憶」は既述したように、その記憶の初生したその時の経験時において、生理的感覚を含めて、完全に再現するということは絶対に不可能です。にもかかわらず、その記憶が一つの記憶として実在的なものになる過程において、言語によって概念化されていくという作業を伴うことによって、ということに他なりません。
       「ここがA市である」ということを「記憶」として憶えていることは、動物がそれをできるように「ここがA市である」ということを、言語以前の生理的感覚で把握していることとは異なります。いったいどこが異なるのか、といえば、言語化・概念化されていない記憶というのは、その記憶が消滅するということを意識することがありえないから、というべきでしょう。「ここがA市である」という記憶の欠落を意識できるとき、私達はその欠落あるいは欠落の潜在的可能性を意識がゆえに、逆に、記憶を秩序化できることを意味する、といえるのではないかと思います。「欠落している記憶」というものを意識できるということは、意識外にある自分や世界を秩序だてていくことができることをを意味します。脳外においては「世界」の成立ということですが、脳内の記憶において、それは「過去」の成立ということになるでしょう。記憶の欠落・記憶の欠落の潜在的可能性ということが意識されなければ、記憶が欠落するということそのものがありえません。単に各記憶があるということが認識されているだけでは、私達はバラバラなままの記憶背負ったまま生きていかざるを得ません。動物の記憶というものは、欠落してもそれを意識することができない。ゆえに記憶を秩序化することができないのだ、と思います。
       ここで再び、「否定」論ドグマに立ち返ると、各記憶の存在している背後にその記憶の「無」を意識するからこそ、つまり「記憶」に関しての否定的判断をすることができるからこそ、私達は記憶の世界を農耕の世界のように秩序化することができるのだ、ということがいえるのではないか、と思います。私達が「過去」と考えるものの正体は、ここらあたりにある、ということがいえると思います。つまり存在しているのは、「思い出す」行為がつくりだす秩序化の作為のみであって、端的にいえば、「過去」というものは限りなく存在しない、といわざるをえない。ロカンタン(サルトル)が「自分の思想の中にさえ過去は存在しない」と時間認識を展開する背景にある過去不在論を解析すれば、こういうことになるのではないか、と私は思います。以上、時間論の入り口から過去論について、「否定論」ドグマに取りつかれたような展開になってしまいましたが(笑)とりあえず、おおざっぱですが語りつくせたと思いますので、次回後半は現在論に戻りながら、私が時間論についてより根源的議論と考える「未来」論について考え、よりまとまった形の考察を展開していきたいと思います。








      
       




    
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