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哲学・文学論など人文科学的話題を織り交ぜた日記・論文を断続的に掲載したいと思っています
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「私服」の思想と「公服」の思想
   「私服」の思想と「公服」の思想   
             ・・・・「戦争」と「平和」を巡る断章?
                                                     
  最近、何回も製作が繰り返されるシリーズが少なくなってきた中にあって、意外なくらいの国民的人気を得ていると言っていい映画シリーズに水野晴郎さん監督の「シベリア超特急」シリーズというのがあります。はっきり言って、映画史に残る、というような超大作ではありませんが、たくさんの映画に触れてきた水野さんの映画人生の知識や思い出を、主演を兼務する水野さんによってコミカルにまとめている作品シリーズで、もしかしたら、これからの時代、こういう表現方法というのもあってもいいな、と鑑賞していて思えます。この通称「シベ超」シリーズのは固定ファンもついたらしく、いつの間にか5作、6作というふうに作品数を重ねてきていて、私も知らない間にこのシリーズとの付きあいができてしまったのですが、作品の出来についての賛否両論は別として、贔屓目を差し引いても、まず何より、この作品の設定は非常に面白いものだといえると思います。
  時間(時代)設定は、ヨーロッパで既に第二次世界大戦が開始し、ドイツがヨーロッパの大半を征服し優位に戦いを進めている1941年前半です。物語の場所はその戦乱のヨーロッパを日本陸軍を代表し歴訪しシベリア鉄道で帰国の途についている日本の山下奉文将軍の乗るサスペンスの雰囲気に満ちた汽車の中、です。この時期、ドイツはヨーロッパのほとんどを征したとはいえ、まだアメリカ・ソビエト・日本という面々は参戦しておらず、世界大戦としての二次大戦は本格化する前の不気味な時間的緊張の中にあり、その緊張感が、汽車の中のサスペンスの緊張と、妙に符合するように、物語世界は展開されます。御覧になった方はわかると思いますが、水野さん演じる山下将軍はなかなかの名演(迷演?)です。
       まず山下将軍が「喋る」ということ自体が、物語的なのです。山下奉文将軍というのはシンガポール攻略戦や戦後の戦犯処刑などで名前自体は非常に有名で、エピソードも豊富であり、海軍の山本五十六と並ぶ、当時の「国民的英雄」なのですが、多弁な活動家であった山本五十六に比べ、どういう思想信条の持ち主であったかは、実のところほとんど謎に包まれています。「エピソード」と「思想信条」は、「英雄」にとっては別物で、前者は決して後者をあらわさない、ということを、山下将軍の歩みは示しているといえる。たとえば有名なパーシバル将軍への「イエスかノーか」という場面についても、山下自身が別にイギリス人に高圧的であったということではなく、突き詰めれば突き詰めるほど、「誰に対してもはっきりした表現方法を好んだ」という山下の性格的傾向が現れるばかりなのです。彼が記録たりうる「自分の言葉」を残していないからです。エピソードについて考えれば考えるほど、彼の正体は不明になってしまう。最近、山下奉文の伝記を記した福田和也さんは、実は非常にスクリーン的なヒーローであった山下将軍の謎を執拗に追いながら、彼の言葉のあまりの不在がゆえに、山下将軍という可能性のある森林をようやく言い当てることができた、という感触をその伝記に記していましたが、こういう意味での「無口」が映画や小説などの表現世界にとっては、非常に魅力を感じさせてしまうことはいうまでもありません。「エピソード」のみがあって思想信条が不明である、すなわち内面的な正体が不明である、ということにおいては、古代日本の伝説的人物をフィクションの対象にする魅力と全く同じであるともいえましょう。卑弥呼といいヤマトタケルといい神功皇后といい、表現者はエピソードのみしか存在しないそれらの「謎の人物」に言葉を語らせるまさにそのことによって、過去を創造できたような痛快な錯覚を感じることができるのです。山下将軍もまた同じです。
        水野さんは別段、口喧しい平和主義者ではありません。しかし水野さん本人が演じる山下将軍は繰り返し、しかも物語的に脈絡なく、「戦争はいけないんだ」というシンプルな台詞を繰り返し繰り返し、言わせます。「シベ超」の世界は、戦争そのものが描かれているのではなく、「戦争」は体験談としてしか登場しない。山下将軍にいたっては、それは「未来の体験談」でさえある気配です。だから説得力はぜんぜんありません。しかしこのあまりの単純語・・・正直言ってくだらない単純語が・・・このほとんどコミカルな映画の中で、妙に無視できない言葉であるような気もしてきてしまう。映画全体が茶化されているので、「戦争」という言葉さえもが茶化されているのです。
     「戦争はいけないんだ」というくだらない単純語の「戦争」が、平和主義者の言う「空語」としての近代国家間の「戦争」だけでなく、美しい独立戦争、革命的内戦、ファシズムへのレジスタンス、こういうすべてのものを意味する「戦争」であるためには、密室での何気ない言葉である必要があるのかも知れません。つまり徹底した空語であることによって、抽象性を飛び越して普遍性になる。「戦争はいけないんだ」ではなく、「戦争はいけないんだ、と私達に言わせてしまうくらい戦争は妙なものなんだ」というふうに聞こえてくる、といえましょうか。「革命」という言葉などもそうですが、あまりに手垢にまみれた言葉には、そういうことが言えるような気がします。「戦争はいけないんだ」という言葉を、山下将軍の存在感とともに、謎めいた方向へ引っ張ってくれるだけでも、この「シベ超」シリーズを鑑賞する意味はある、と私は思います。
        「戦争はいけないんだ」、いつもだったら、私はあまりにシンプルすぎる言葉には、ほとんど条件反射的に反発します。不愉快でさえある。まず、言葉としての反発であり不愉快です。私にとって「戦争はいけないんだ」という言葉は、あまりも後ろめたくて使えない言葉です。テレビキャスター、小中学の教師、宗教団体の教祖、与野党の国会議員・・・誰もが当たり前のように語る言葉ですが、そのほとんどがカントの倫理学が言うところの「他律(他人語)」にしか聞こえてこない。つまり、私自身にも、その彼らにも、「戦争」ということが、自分の精神的闘争状態の場に全く登場しない。「戦争はいけないんだ」ということで、実は戦争についての感情や思考を中断することが許されてしまうのです。こうしてこの言葉は、いろいろな人間を、虚しく饒舌にする。ますます不愉快になる。
    「他人語」の反対は「自分語」ということになりますけれど、もちろん、戦争の場にいたかどうか、ということが「自分語」の成立の絶対条件ということではありません。戦争経験者でも体験談しか語れない「他人語」を語る人はいるし、戦争未経験者でも想像力と探求から、「自分語」を語れる人はいます。私としてみれば、「戦争がいけないのかどうか」ということは、さしあたって、結論を先送りすることであっていいでしょう。人生の最終段階で結論が出なくてもかまわないことだとさえいえます。戦争ということについての根本問題は、「いかにして戦争をなくすか」ではなく、「戦争」あるいは「平和」という概念が、どうしてかくも私達を饒舌にし無思考にするのか、ということを考えなければならない、そこの不思議さに目を向けることからはじめなければならないのではないか、そういうことではないかと思います。
    「平和論」も、現代の平板で退屈なものから遠ざかり、古の書を紐解くと、なかなか面白くて退屈しない、読んでいてびっくりするような「奇書」があるものです。たとえばカントの「永遠平和のために」は平和論の古典的著書ですが、この書をひらくと、「共和国どうしは戦争を欲しない」という実に奇妙なロジックがいわれています。そして戦争は「君主国どうし」あるいは「君主国が共和国に挑む」形で発生する、という。カントの言う「共和国」はおそらくデモクラシーの度合いが高い国のことの言い換えであり、その中にイギリスや現在の日本のような民主的君主制も含まれ、「君主国」に、形式的には共和国でも実際は独裁者が王朝的に君臨しているような北朝鮮のような国、を意味するのだとしても、このカントの戦争観はあまりにも杜撰で稚拙だといわなければなりません。
    膨大な反証例が可能であり、カントが生きていた時代の革命直後フランス共和国から現在のアメリカ合衆国まで、むしろ民主主義国家の方が好戦的団結が強い、とさえいえます。カントによれば君主国家(あるいは君主的国家)は一部の人間の独断で重税や徴兵といった巨大な浪費を伴う戦争行為を決断しやすいけれど、共和的民主主義国家はそのような浪費を避けようとするから、戦争は起こしにくい、ということなのですが、もちろんこんな説明も成立しない。しかしカントの戦争観をすぐに嘲笑できないのは、この戦争観が、現実的政治から学問世界まで、いろいろなところに脈うっているということです。第二次世界大戦の正義的国家群と反正義的国家群の図式的対立の愚など、カントが考え出した堅苦しい「原理」に従うものだといって差し支えないといえましょう。こういう戦争観こそが、カントの意思とはおそらく正反対に、私達を戦争について無思考にし、そして饒舌にする、ということがいえる一例ではないか、そう私は思います。
    たとえば倫理学者ジョン・ロールズは(私に言わせればロールズほどの人物が)このカント的な図式を応用し、二次大戦時の連合軍の日本への無差別空爆や原爆投下は倫理的に違法であり、比べてドイツへの無差別空爆は違法ではないといいました。つまり、民主主義度が必ずしも低いとはいえない日本と、民主主義連合である連合軍の戦争は起こりうる戦争ではないが、連合軍と民主主義によって完全に敵対的な国家であるドイツの戦争は起こりうる戦争である、なぜならば本質的に戦争を欲しない民主主義国家の方が滅ぼされすいためでありそのための攻撃は過剰なものであっても許される、という価値観が働いているのです。この場合の「起こりうる戦争」というのは、「起こりえない戦争」ということでもありましょう。ロールズの思考はナチスドイツとの区別を欲する日本にとっては一見すると嬉しい言葉に聞こえなくもないかもしれません。しかしその根底にあるのはとんでもない欧米中心的中華思想だともいえるでしょう。またたとえばレーニンは「社会主義国家どうしは戦争は起きない」という、これまた中越戦争や中ソ紛争で簡単に覆された戦争観を言いましたが、「社会主義国」を「共和国」と読み換えれば、これはカントの平和国家論の移し変えであり、ロールズの言うことの変種であることが理解できるでしょう。
    ところが、加藤尚武さんの解説と紹介に従いヘーゲルを読むと、ヘーゲルはカントとは正反対のことを言っています。彼は共和的民主主義国の方が、「個別的なもの」と「全体的なもの」の関係が明確であるため、国民は戦争で散財や死を選択しやすい、と解いているのです。「個別的なもの」を自衛するものとして「全体的なもの」が存在すると考えているのだから、国民は国家の戦争行為に納得しやすいのだ、ということです。またヘーゲルの国家観に影響を与えたといわれるマキァヴェリは、長期に渡り民主的共和国を維持したいと思わせるならば、適度の自衛力を保持して相手を容易に攻略できないと思わせることが絶対的原則である、なぜならば征服したいという願望と征服されるかもしれないという不安を同時に抱くのが相手国というものだからだ、といいましたが、20世紀を経験した私達にしてみると、対内的にも対外的にも、このヘーゲルとマキャヴェリの戦争観の方が遥かに正しく常識的な原理を説いているということを、その後の戦争の歴史が証明しているといえるでしょう。
    カントは「戦争はいけないんだ」ということを論理的に言おうとした最初の近代人であると同時に、実のところ、「戦争はいけないんだ」ということについての考えを間違えた最初の近代人であった、ということがいえるような気がします。しかし最初に間違えた人であるからこそ、そこに私達が「平和」について間違えやすい様々なことを読み込むことができる、という逆説も、カントの平和論の中に、私は感じとれるのではないかと思います。
    カントの平和論をさぐっていくと、その平和観は、実は、国家観に平行移動された個人観であることがよくわかります。彼の国家観は、国家というものに人格的統合を認め、国家と個人を、非常に近いものとして捉えています。ここがカントという人の説教臭いところだともいえますが、もちろん、国家に人格的統合を認めるということが「国家」と「個人」を何もかも同一視するということはできないとしても、「個人」を背後に控えたカントの国家観というのは、個人観と連動するような、硬直化したものを絶えずもっていると言わざるを得ない面があります。ここのところの飛躍や誤謬が、現代の平和論の硬直を想起するにつけ、実におもしろいのです。カントの国家観を法人とのアナロジーで考えようとする立場もあるようですが、やはりカントはその場合でも限りなく「法人」を個人をモデルにして考えていて、私の考えるところ、カントの国家観は、いろんな意味で、個人のとらえ方(在り方)に近いとしか思えない面があるといえましょう。
     ではカントにとって「個人」とは何なのか。たとえば先述の、共和国的民主主義は浪費をさける傾向にある、という彼の見解ですが、カントは完済できないような負債を引き受けることは、人格的統合の集団としての国家としてはありえない、といいましたが、そんなことは全くの空論であることは、まともな頭で世界情勢を観察する人間ならば誰しもわかることです。彼の平和論をもう一度追ってみると、「永久平和のために」あるいは「人倫の形而上学」などに、国家は個人と同様、「道徳的存在」である、という言葉が繰り返しよく登場します。この「道徳的存在」という言葉に注意を払う必要があります。「道徳的存在」ということは、「道徳」という言葉を私達が日常、カントとは全く違う形で使っているため、読みすごしやすいです。
     カントの道徳的判断というのは、「何が適法行為か(正しいか)」ということの実質的判断についてはほとんど無関心である。実質論ではないということです。「適法行為」と「非適法行為」の区別という面においては、カントの倫理学はほとんど実践的な意味をもたらしてくれません。「何が適法行為か」ではなく、「適法行為」を演じている人間の中にこそ、非倫理的な悪が強く潜んでおり、その非倫理の根拠である自己愛が、そうではないような形で棲んでいる、という倫理学の構成をとるのです。これは私達の日常的常識からややかけ離れた人間観があるといえましょう。
    だから「自己愛」や「エゴイズム」が存在するということそのものが悪いことか、というと、そういうことではない、ということになります。自己愛やエゴイズムにまみれながらも、それらに敵対するような何らかの非自己愛・非エゴイズムとの出口なしの生き地獄のような精神的闘争状態、そこにしか根本的な「善」はなく、その精神的闘争状態そのものが「道徳的」だ、ということになるのです。ですから、非自己愛の姿に化けた自己愛を演じさせている「善人」こそが「反道徳的」であり、それに対して、犯罪を犯しても、激しい道徳的闘争状態に置かれている人間には「道徳的」である道の可能性が開かれていることになります。そして「闘争状態」の例として、初めから適法状態が定まっているかのように語ることを「他律(他人語)」といい、これこそが、最も忌むべき反道徳状態ということになる。これがカントの倫理学のアウトラインです。このようなカント倫理学は、一見するととても魅力的なものに映ります。なぜなら、「罪と罰」のラスコーリニコフのような人間こそ・・・自分の弱さがゆえに精神的闘争状態に陥っているからこそ・・・「倫理的」である、という結論が導き出されることになるからです。
     カントが「国家が道徳的存在である」ということは、こうしたカントの倫理学を前提としなければなりません。そしてそれはカントの個人観でもある、といえましょう。するとカントは、「戦争」について、道徳的個人や道徳的国家が「精神的的闘争状態」すなわち「道徳的」状態に陥った結果、戦争状態を選択するということがある、ということも認めるのではないか、というふうにとらえるのが自然ですが、実はここに、カントの思想の大きな落とし穴があるのです。
たとえばカントは、「自殺」を絶対的非適法行為と考え、「道徳的状態」の対象から外してしまっています。私は全くそう思えないのですけれど、「自殺」はたとえそれが自己愛に基づいたものであっても、道徳状態を形成することはない、というのです。有名な話ですが、カントは「嘘」についてもほぼこれと同じことを言っている。凶悪犯に追いかけられてきた被害者が逃げ込んできて隠れているとき、私達はその凶悪犯に対しても「嘘」を言うことはできない、といいます。なぜ「自殺」や「嘘」が例外であるかということの論証は曖昧で、成功しているとはとうてい言いがたい。カントは実は独断的に、そう考えているにすぎないのです。カントは「性愛」の世界についても、「性愛」の世界がく「道徳的」たりえない、という独断から、性愛の世界に自分の倫理学を応用することを全く拒否しています。こうして、性愛についてのカント倫理学の応用、ということは、カント自身の意図からは全くかけ離れたことだ、とういうことになってしまうのです。しかし本来ならば「自殺」「嘘」「性愛」という世界にこそ、生々しい「精神的闘争状態」が想定されるべきなのではないでしょうか。そして実は、「国家が道徳状態にある」という時、独断的に「戦争」を例外的な道徳対象においてしまっていて、そのことが、延々と奇妙な、戦争についての非現実的考察を形成しているのではないだろうか、といえそうな気がしてくるのです。彼の楽観的平和主義は、単に彼が暢気な平和主義者であったから、ということではない。だからカントと二十世紀的な平和主義者を同一なものとは混同できないですけれど、「戦争」を、人間の思考対象の例外というふうに考えることは、やはり何処かで同一性があるのだ、というふうにいえることもできる。いずれにしても「永久平和のために」という本は、いろんな意味で、つまりカントの世界の考えの中でも例外的なものだという意味でも、「奇書」だ、ということができるように思われます。
     もう少しカントにこだわってみると、本来ならば、カントの倫理学というのは、「非自己愛」「非エゴイズム」の振りをしてその実は「自己愛」「エゴイズム」でしかない、20世紀的な平和主義者や平和国家論を破砕する、最も有効な論理的な手段の一つであるはずです。しかしながら、カントの平和論はその独断によって、逆方向に向いているようにみます。ニーチェはカントについて、「形而上学の終焉に気づき、その破壊を鮮やかに開始しながら、いつのまにか檻に戻ってしまった、狡猾な狐のようなキリスト教徒」と喩えましたが、カントが狡猾かどうかは別として、何も形而上学だけでなく、彼の平和論・戦争論においても、そういう傾向が見られるのではないだろうか、と私は思います。「永久平和のために」は、私に言わせれば、それによって、偽善的な国際理想主義の根本的批判が可能であるにもかかわらず、正反対に向いた、まさに二ーチェの言うところの「檻に戻ってしまった狡猾なキリスト教徒」の書ではないだろうか、と思います。ならば、それを逆に向かせることなく、そのままあてはめてしまう、ということは可能でしょうか。
      「戦争」が、カント的の道徳形式の考え方に馴染まないということは、絶対にいえない、と思います。まずは個人のレベルでの例示をさがすため、再び20世紀の大東亜戦争の日本軍人の世界に戻ることにしましょう。大西瀧治郎という海軍軍人がいます。山下奉文将軍は「シベ超」シリーズの主人公ですが、大西提督は、昭和30年代の東宝の戦争映画の花形的主人公で、鶴田浩二さんがよく演じていました。山下将軍が寡黙なゆえに謎の軍人であったとすれば、大西提督はその饒舌がゆえに謎の軍人であったということができるでしょう。大西提督は戦史上は「特攻隊の父」とよくいわれる人間ですが(厳密に言えば、彼以前にも体当たり的特攻は数多く存在しました)彼は日米戦開始直前には山本五十六たちとともに対米戦突入反対の急先鋒であり、戦争開始後も講和推進派といってよい存在でした。また山本や井上成美と同様、戦前の非常に段階から航空機戦術論者で、大鑑巨砲主義を否定していたことから伝えられるように、合理主義的思考の持ち主でもある。また彼は、戦局が悪化した後、内地に戻ることがある度に、庶民の人々に「私達軍人の不手際で国民である皆さんに苦労をかけて本当に申し訳ない」と詫びる卒直さがありました。つまり典型的な海軍の良識派的首脳であったということができるでしょう。
      しかし、映画にせよ、歴史的にせよ、この頃の大西が語られることはほとんどありません。「特攻隊の父」であるという評価以上に、彼が鈴木貫太郎伝や米内光政伝、阿南惟幾伝などを通じ、あるいは映画を通して、苦々しく伝えられるのは「狂人」と化してからの大西です。1944年秋、戦局が極めて悪くなった段階で、フィリッピン方面の基地航空隊の責任者であった彼は、苦渋の末に、神風特別攻撃隊の編成をレイテ島海戦の一回限りで決意し、自由志願を絶対条件として、実施します。十数名の出撃直前の神風隊員を前にして講話する大西の震えながらの涙ながらの演説は、彼が軍事的指導者として珍しいほどの、人情あふれるヒューマニストだったことを伝えています。ところが、ある意味で大西の意の通り、この小規模の神風攻撃は予想以上の戦果をあげてしまいます。艦隊のほとんどを失ってしまった日本側としても他に戦法がなかったため、以後、終戦までの10ヶ月間、海軍攻撃の主方法に変貌してしまいます。しかし、豹変したのは海軍の攻撃戦法だけではありませんでした。この大西が180度、別人のように性格を変えて、気が狂ったような徹底抗戦派になってしまうのです。そして、私に言わせれば、この時期の狂人的な大西というのは、山下奉文の人生の全体についていえるのと同時に、「無口」な存在なのです。狂ったように喋っているように思えて、その言葉のほとんどは、後から考えれば、映画の中の山下将軍の言葉のように、「空語」なのです。彼は、狂人のように喋り続けるという「無言」を選択したように思われます。
       この大西の性格の変貌の凄さに関して様々なエピソードが伝えられていますが、とりわけ有名なのは8月12日の話です。大西は終戦時には軍令部次長の要職にありました。8月12日の段階というのは、強硬に徹底抗戦を主張していた陸軍ですら、ポツダム宣言受諾に原則的に賛成し、ただ一点、皇室の地位の確認のため、不明確に思われた連合国にもう一度この点だけを再照会すべきだ、という意見が一般的な「強硬派」なっている時期です。この日、再照会を主張する阿南惟幾陸相と、再照会に反対する東郷茂徳外相の押し問答の会談の場に大西はあらわれます。そこで大西は、「あと二千万人、二千万人の日本人が特攻に出れば必ず、必ず勝てます!戦争を継続してください!」という狂人めいた言葉を言い、東郷はもちろんのこと、阿南さえも唖然とさせた、ました。あるいは、終戦への方向性を討議する御前会議の場に威嚇のために軍刀をちらつかせて現れ、温厚で一言も他人を怒鳴ったことのない米内海相に「大西、神聖な宮中でに刀を持ち込むとは何事だ!」と大声で叱り飛ばされた、という話もあります。大西は終戦に同意する昭和天皇を人前で堂々と批判したとも伝えられ、あるいは大西と会うのがストレスのあまり、寝込んでしまった海軍首脳もいるといいます。
    とにかく終戦工作を妨害する大西の行動のエピソードはどれもグロテスクなほど異常なのですが、どうして彼がこんなふうになってしまったのかといえば、疑いようもなく、特攻に出撃する青年達の純真な目をその都度見つめるうちに、彼自身の深い人間味が、何ものか別のものに変貌してしまった、ということになるでしょう。私は歴史的には、鈴木首相をはじめ終戦工作に心を砕いた人たちを尊敬しているので、あらん限りの妨害をした大西はすぐには決して好きになれない。しかしそのこととは別に、彼ほど、カント曰くの「道徳的」な人間はいない、ということが実はいえるのではないでしょうか。あるいは、山下将軍と同様、「エピソード」と、その人物の内面は全く別のものである、ということが、不思議と理解できます。一般的な良識からすれば、彼のひどいとしか言いようのない数多くの言動は、どれも、精神的闘争状態の中で、吐かなければならなかった、空しい言葉、「空語」だったのだ、ということです。
      やがて終戦の日が来る。多くの人が伝えるところによると、彼はその瞬間から、別人と見間違うが如き穏やかなな人間になってしまう。つまりかつての彼に戻ったのでしょう。終戦の翌日、静かで格調高い遺書を記し、彼は割腹自殺します。180度の豹変は、かくして360度の豹変になった、ということでしょうか。その大西の遺書の終わりに、これからの若者に向けて、「永遠の世界平和のために尽くしてください」という言葉があるのですが、私に言わせれば、これほど感動的な「平和」という言葉はない。その言葉が「他律(他人語)」でないことは言うまでもありません。彼は自分の手で、特攻隊という、自分の思想と矛盾を演じざるをえなかった。それから10か月の時間、彼の精神状態は、まさしく精神的闘争状態にあったということができます。「戦争に勝利する」という国家目的(国家としての自己愛)と、「特攻に散っていく罪のない純真な若者の命を一人でも助けたい」(国家としての非自己愛)の間の中で、彼ほど苦悩した人間はいないでしょう。その中にあって、その中にまみれる中で、人生の最後の言葉として、「永遠の平和」という言葉を選択したのです。常識人と狂人を行き来した大西はカントの倫理学に反して、「戦争」の場にありそれを推進し、さらには「自殺」もした人間ですが、しかし実にカントの倫理学にふさわしい人間であるということができると私は思います。「戦争」という世界は、カントの意思に反して、道徳的でないどころか、最も激しい「精神的闘争状態」すなわち道徳的状態をもたらす、ということがいえるのではないかと私は大西のエピソードを読む度に思います。カント的な倫理形式を修正することは充分に可能であると思います。
    「国家が人格的統合である」という、もう一つのカントの飛躍的な思考形式に関してはどうでしょうか。たとえば湾岸戦争時、西部邁さんは「ルール違反を犯した強盗(イラク)に関して、被害者(クウェート)を世間(世界)が支援するのはあまりにも当然だ」という喩を展開し、日本国憲法的価値観にしがみついている国内の平和主義者を厳しく批判しましたが、西部さんの結論は正しいとは思いますが、西部氏も実はカントの「人格的統合としての国家」論に近い国家論に基づいて、議論を展開しているように私には思われます。当然のことながら、調停役的な第三者が存在する個人間の私闘と、主権間の間に潜在的な戦争可能状態があり調停的第三者が存在しない国家間の戦争では、さまざまなレベルで、ニュアンスが異なる、ということが、現実的国際政治の基本だといわなければならないでしょう。
    にもかかわらず、西部さんをはじめとする平和主義批判者の多くが、平和主義者の不自然さを批判するために、個人の喩を展開しています。西部さんの喩が正しいレトリックとして成立するためには、「国家」が家族共同体に近いものである、という了解が必要になると私には思われるのですが、家族共同体に人格的統合を置く人間、ということと、「人格的統合としての国家」論は、表裏一体のものだ、というふうに思うべきです。だからカントの喩えも西部さんの喩えも、戦争の賛否ということでは価値的には対立するように見えますが、実は同類的であるということができます。注意しなければならないことは、こうした国家観・戦争観は、国家の戦争権の無制限の解禁を禁じる傾向にある、ということができる、ということにあると思います。個人の喩の世界には、個人の私闘権の無制限の解禁を禁じる「何か」を想定するからこそ、その喩の世界が完成するということになるからです。
    たとえば、戦争についての倫理学的立場は、国家の戦争権を無制限に認める立場、自衛的段階において制限的に認める立場、そして一切の戦争権を認めない絶対平和主義の立場に大別できますが、少なくとも第一の無制限主義は、この「人格的統合としての国家」論からは論理的に導かれないでしょう。
    これに対し、たとえば、前述のヘーゲルのリアリズム的な戦争観には、「国家」というものに個人の自己実現の全面的可能性という、ほとんど宗教的なニュアンスの国家観がおかれていて、おそらくヘーゲルは、西部さんのように、個人の喩に国家の喩をもたらすことは否定的でしょう。ヘーゲルは「自分がそのために生き、そのために死んでもいいと思うような、普遍的な理念」が、国家には宿っている(宿るべきである)といいます。こうしたヘーゲルの修辞学は、近代国家がナショナリズムをたちあげるときに、必ずといっていいほど構築する国家理念です。しかしこのヘーゲルの国家観も、よく読めば、トマス・モアやホッブスが、個人を超えた「巨獣」として警告的に把握した個人を超えたものとしての「国家」を、言い換えたものに過ぎないことがわかります。個人間の私闘状態を解決するという、人類の長年の理想状態を解決する理想的な主体であるからこそ、「そのために死んでもいいと思うような普遍的な理念」を有しもするし、「巨獣」でもある。旧約聖書ではジェノサイドの権化だった神が、新約聖書では無言の優しい神に変貌したが如く、両者は表裏一体なのです。こうした「個人」か「非個人」か、ということは、戦争観ということに関して、様々な側面で微妙なニュアンスの相違をもたらしてくるように思われます。ほんの一例に過ぎませんが、こうした相違を踏まえて、「自衛権」ということについて以下、ざっくばらんに考えてみましょう。
     ここで再び水野晴郎さんの登場なのですが(映画評論家としての水野晴郎)小学校時代、どういうプロセスで登場したのかはさっぱり忘れてしまいましたけれど、「こんな世にも恐ろしいアウトローの世界があったのですよ」というふうな説明とともに、私は西部劇の写真を授業中見せられたことがありました。小学生高学年の時分だったと思います。「アウトロー」という言葉をおぼえているということは、意味がよくわからなくても、その英語が理解できるくらいにかなり強烈な写真を見せつけられた、ということになのでしょう。お蔭様で、私はそのままあやうく、西部劇の世界を「アウトロー」そのものの世界だとすっかり信じ込んでいました。中国や韓国での腹立たしい反日歴史教育は数え上げればキリがないですが、しかし私が受けたこの「アウトロー」教育というものも、実のところは、ずいぶんと杜撰な一種の反米歴史教育だった、といわざるをえないでしょう。しかしその数日後、たまたまロードショーで流れていた、とある西部劇映画の水野晴郎さんの見事な解説は、それを実に丁寧に否定していました。つまり、よく考えれば当たり前のことなのですが、西部劇の世界は、アメリカ合衆国独立後の世界、すなわち「法治国家」の時代の話である、彼らはデモクラシー的手続きによって制定された「法」に従っていたということをよくふまえて、西部劇を見なければならない、ということを、水野さんはきちんと指摘されていました。
       その上で西部劇映画を見ると、確かに、「正義」を気取るガンマンの多くが、相手が射撃スタイルに入るや否や、こちらから射撃する。実はここにガンマンの「正義の法的テクノロジー」がある、のです。彼の射撃技術、という意味での「テクノロジー」ではありません。どうしたら、そういう場にまで憎い相手を追いやることができるのか、という、実に人間的、総合的な意味での「テクノロジー」です。しかもそれは、法的に自分がいかにして違法にならないか(正当防衛が成立するか)という意識と密接です。そうでなければ、合衆国憲法と州刑法に逆らい逮捕起訴されてしまうことになってしまう。当然、ガンマンの行為は過剰防衛行為に該当する可能性はあります。が、それは近代刑法にすっかり馴染んでいる私達が言うことであり、少なくとも、ガンマンの中には既に近代的な意味での「法」意識は確かに存在しています。ゆえに、アメリカ西部劇の世界は、アウトローな世界ではなく、まさに法治国家であるからこそ、単純な殺戮ドラマにならない、という独自の世界を形成しているのだ、ということができます。繰り返しになりますが、アメリカは西部だろうがどこだろうが、合衆国憲法をはじめとする近代的法体系の中にすっぽり覆われていたのですから、刑法的価値観は、刑事裁判での買収など日常茶飯事だった当時の中国(清)や、やはり階級差によって違う刑法法規が適用されていた当時の日本(江戸時代末期)よりも、ずっと現代人である私達の感覚に近いものがある(あった)と、とりあえず言っていいでしょう。かくして、巧みにも多くのガンマンは起訴されることなく、再び法治国家アメリカを渡り歩くことができる、という物語が完成されことになります。
      しかしこのことは、言い換えれば、むしろ逆に、アメリカ人の正当防衛観は、依然としてこの西部劇の世界から踏み出していない、ということも示しています。そしてこれも西部劇の世界においてはよく見られるシーンなのですが、攻撃準備を行おうとしている敵方のガンマンの集団に「自衛権」という名の先制攻撃を仕掛けることは許されるのかどうか、という問題も登場します。面白いことに、こういう意味での「自衛権」の行使をしたガンマンを逮捕起訴しない保安官も少なくないのです。
      「個人の人格的統合」が国家であるということなら、こうした自衛行為の是非は、アメリカ文化の特殊性という比較文化論に解消してしまう可能性が高く、そしてそれがゆえに、根本的な否定は難しい、ということになるでしょう。従って、アメリカ人が、西部劇状況(あるいはそれを継承した現在の正当防衛観)に従って戦争を行なうならば、それを根源的に否定する論拠を探すのは難しいことになります。人格的統合が国家なのですから、個人において許されうる行為は、国家行為においても倫理的に許容されなければならない、ということになるからです。にもかかわらず、無制限な戦争権の行使は否定されなければならない(無制限な個人の暴力は否定されなければならない)から、自衛行動であるかどうか、ということを巡る、際限のない議論を始めなければなりません。私に言わせれば、少なくとも(世界最初の大殺戮戦であった)第一次世界大戦以降、国家の戦争権に対する考えは無制限主義から制限主義ないしは絶対平和主義に転換し、その後から、戦争は違法であるかどうかという議論が開始されたとみますが、「戦争が違法である」という価値判断への転換は、法的なものに根源をもつものでなく、殺戮戦による倫理学的な価値転換に基づくものであって(あるいはそれに過ぎないものであって)さらにそれとともに、リヴァイアサン的なものであった国家論あるいは戦争論が、「個人」の喩によるたとえの対象としての国家観に転じていくきっかけになったとも考えられます。それには独立国の増加が、近代国家(巨獣)でない国家の存在を激増させた、という背景もあるのではないでしょうか。そしてまさにその戦争観の変化が、ガンマンの正当防衛の理を、国際紛争の場において、可能にするという役割を演じさせることになってしまうのです。
     たとえば、「正当防衛」段階に至るまでの時間的経緯を引き起こした戦争の因果関係に関して、極東国際軍事裁判(東京裁判)で、最終代表弁論でローガン弁護人は、「経済封鎖はそれ自体で戦争行為である」というパリ不戦条約の起草者ケロッグ国務長官の言葉を引用し、アメリカが日本の経済活動が不可能になるほどの経済封鎖により日本の戦争を挑発したことを論難しました。ローガンの堂々たる弁論は被告席の東条英機の涙を誘ったと言われるほどですが、ローガンが言おうとしたのは、日本が引き金を引かなければならない状況を、アメリカの方こそが故意につくりだしたのであって、つまり日本は、西部劇的状況を故意につくりだした狡猾なガンマンではない、ということなのです。しかしそうすると、戦争の因果関係をいったいどこまで遡ればよいのか、という問題が生じることを避けられない。アメリカ側はアメリカ側で、あの時点で日本が中国全土を支配しそうだったという脅威に対して、同盟関係にあった中華民国に対して、経済封鎖という自衛手段が必要だった、というロジックを採用するでしょう。正当防衛行為というのは、法理論上、自分に対してだけでなく、「他人」や「物」に対しても成立するのです。つまり「狡猾なガンマン」ではなく、「臆病なガンマン」の問題がここに登場するということです。
     東京裁判の法的根拠の問題性はいうまでもありませんが、反面、東京裁判がそれを裁く法が不在であったため、戦争の正当性や本質を、正面から倫理的に論じる場であったことも見逃すべきではない、ということもできると思います。たとえば、東京裁判が、国家の戦争権に関しての無制限主義を否定する価値観に少なくとも裁判進行内では依拠していたため、連合国の主張が、おそろしいくらいの形式論になってしまっている。「自衛権」が果たしてどちらにあったのか、という議論は、国家の戦争権を無制限に認める立場からは、必ずしも最重要の問題ではないはずです。ソビエトの検事にいたっては厚かましくも、日露戦争までを持ち出して、日本のソビエト侵略計画を立証しようとしましたが、ソビエトのとんでもなさは別として、なぜそのような主張を展開しなければならないか、というと、戦争権に関しての価値転換に、ソビエトもまた敏感であったから、ということができましょう。ソビエトは「臆病なガンマン」として、因果関係の針をずっと以前に遡るようにしてしまった、ということです。
    周知のように、アメリカは第二次大戦後の朝鮮戦争、ベトナム戦争などの介入戦争のほとんどに関して、「いつかは自分(自分の国)がやられる」という理屈で、そのすべてが「防衛戦争」だった、という理を持ち出しています。つまり先ほどの、自分を攻撃する準備をしているグループに対して、先制射撃を加えても、それは正当防衛行為になる、という西部劇的状況を、ついにアメリカ的論理は可能にしてしまった、ということになります。同時多発テロリズムに関しても、あの凄惨なテロは極限的なものとはいえ、どう考えても「国内法的犯罪行為」の一種であり、それがただちにアメリカの軍事行動を許容することができる、というロジックは、常識的に考えて、全く無理があるといえます。しかし「西部劇的状況」を捻じ曲げて解釈して「臆病なガンマン」たりえれば、これが自衛権の発動の一種であるという、奇妙きわまりない結論に至ってしまうのです。
    念のために言っておきますが、私自身は、同時多発テロリズム後のアメリカの一連の報復戦争行為は、全く正当なものだと考えます。ただそのための論理的な下地に関して、国家の戦争権を制限するという方向性で考えることによっては必ず論理矛盾を来たす、ということが言いたいのです。世界は事実上、戦争権の無制限時代に回帰しつつあるのにもかかわらず、左右を問わず、そうではない価値観を主張しあっているように思えます。ならばおまえは国家の戦争権を無制限に認めるという、19世紀以前の世界に逆行することを承認するのか、といえば、然り、と言います。絶対平和主義はもちろんのこと、国家の戦争権を制限するという倫理的立場も、アメリカのイニシアティヴでようやく平和が保たれているという状況では、事実上破産しているといわなければなりません。世界は或る意味において、20世紀以前の時間の世界へと逆行しているのです。
     カントとは異なり、国家の戦争権の無制限を許容する立場をやはり採用した論者の一人であるグロティウスの、「交戦者どうしの良心に従うことをもってしか、戦争の発生もその方法も制限できない」という言葉に立ち戻らなければならない、という状況に私達は再び私達はさしかかっているということができましょう。そのグロティウスも「敵の不正が正しい戦争を生じさせる」といっているのですが、そこから踏み込んで、「不正」や「正しい戦争」を倫理的に規制するということになれば、たちまちどうどう巡りになってしまう、ということに、既に気づいていたからこそ、ある意味で正しく絶望的な戦争権の考察に踏みとどまったといえるのではないでしょうか。そして、戦争権の無制限のこれからの「新しくて古い」時代にあっては、カントや西部邁さんの「個人の喩」の世界が、国家間において成立しえないことは、言うまでもありません。
     ついカントの話が多くなってしまいましたが、ついでに補足的に言いますと、平和な市民社会状態においてこそ成立が可能であり、大西提督の例でも言ったように、戦争時における個人間でもきちんと成立しえた、カント的倫理学の「道徳」論も、「国家」においては成立しえない、といわざるを得ません。国家が個人とどういうふうに相違する意思主体であるかどうかは別として、国家というのはカントが考えるようには道徳的存在ではないといわざるを得ません。たとえば、共和国的民主主義であるかどうかはとりあえず別として、北朝鮮という「悪」国家にこそ「精神的闘争状態」の可能性がある、という道徳形式論はとうてい成立しないのです。国家の犯罪行為は「精神的闘争状態」という言葉であらわされるような潜在的なものではなく、政府首脳の決意にせよ民意の暴走にせよ、もっとずっと顕在的なものであって、カントの道徳論の対象に馴染むものではないのです。
     カントの道徳形式に従い悩んでユダヤ人殺戮を決断した、とアイヒマンは言いましたが、アイヒマンの裁判で明らかになってしまったカント倫理学の「悪への自由」の問題が、国家を道徳主体と考える見解ではよりはっきりとした形で立ち現れてしまう、ともいえるでしょう。ヤスパースは、「通常の国家が犯罪を犯す」ことと、存在すること自体が「犯罪的国家」であるという有名な二分法を採用し、ナチスドイツは後者であるとし(言い換えれば日本やイタリアなどの他の旧枢軸国は後者ではない)といいましたが、アイヒマンの例は、国家の構成員のほぼ全員が、カントの倫理形式に従い、「精神的闘争状態=道徳的」であることによって(あり続けながら)ユダヤ人大量虐殺という「悪」を悩んであえて選択したということがありうる、ということを示しています。形式的な道徳法則においては、「巨大な悪」「組織的な悪」を避けることはできない、という袋小路がそこにあるようです。「嘘」「自殺」そして「性愛」を自分の対象からはずしたように、「国家」ということを例外視すればよいのではないか、と私は皮肉をこめて、言いたいくらいです。それをはずすことなく、論理展開することによってまさに論理的的に成立しないことを示したのが、「永遠平和のために」という書であった、と言わなければならないと思います。国家は個人とは別のものであって、国家が精神的闘争状態、つまり「道徳的」であるということは考えれらないのです。それは国家の戦争権が無制限状態に回帰しつつある現在では尚更なことです。
     国家の戦争権の無制限主義に回帰すべしと言っても、それが世界が暗黒の状態に戻る、ということを意味することではもちろんありません。カントは、グロティウスが苦渋をこめて言った「良心」という言葉にこそ、考察を深めるべきだった、と私は思います。国際機関や国家に「道徳状態」を求めるのではなく、交戦国の、個々の人間というミクロ化していく方向にこそ、「道徳状態」は存在しえます。繰り返しになりますが、そういうことを抜きにして、国家や戦争、平和を語ることの一切が、「他律・他人語」の世界に向いてしまうといわざるをえないでしょう。ヘーゲルの国家に重要な影響を与え、そして当然、国家の戦争権を制限するものは存在しえない、という立場に依拠したマキャヴェリがその国家論を記すとき、必ず公服に着替えて執筆した、というエピソードに、私はまさしく出口のない、この世界の、戦争と平和を語ろうとしたマキャヴェリの、地道だけれども偉大な精神を発見できる思いがします。それが気取ったものでなく、下級公務員の公服であったということが、実に面白いことです。私達が国家や戦争について記したり語ったりするとき、公服を着なければならないということではないでしょうが(笑)カントの平和に関しての倫理学にはこの「公服」の思想が実はみられないように感じられます。私達は何かの「公服」を心に着なければ、議論は個人的思い出話あるいは稚拙な理想の語りに転じてしまうのだ、ということを、このマキャヴェリのエピソードは正しく伝えているように、私には思われます。
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